誤解
「で、結局どうすることにしたの?」
「……何が?」
「職業よ職業」
柚の話はいつも唐突すぎるて、理解するのが遅れてしまう。
学校の昼休み。窓際の席で弁当を食べていると、前の席に座りいきなり聞いてくる。
最初は何のことだか分からなかったが、昨日のゲームのクエストの事だろうと気づく。
「ああ、農民になるかどうかか?」
「ええ、そうよ。調べてみたんだけど農民の職業を見つけている人は既にいたわ。生産職の一つらしいわよ」
「お、もう見つけた人がいるのか。じゃあなる必要もないのか」
「そうね、あくまで私たちは新しい職を開拓することが目的だったからね」
「お前の冒険家はどうなんだ?」
「私の方は先に見つけている人はいなかったわ。だからこのまま冒険家で行くつもりよ」
「いいのか?大変だと思うぞ」
正直冒険家なんて戦闘に役立ちそうなイメージはない。逆に生産職として何か作れたり出来るのかというと、そういうわけでもない。
柚の説明曰くダンジョンという迷宮があるらしいから探索向けなんじゃないかと思う。
戦闘も生産も出来ないという事は柚の『リヴィエラ』での収入源は恐らくダンジョンにあるお宝になるだろう。そんなにホイホイお宝にありつけるわけではないだろうし、そもそもお宝見つける前に死んでしまいそうだ。
「何が?」
「いや、金銭面でかなり苦労しそうだと思ってな」
「そこはほら、経済力のある旦那様にお任せしようかなと」
「馬鹿言うんじゃない、全く。そんな経済力があるわけないだろう」
こいつの冗談は笑えない。ただでさえ俺も苦労しそうだというのに、そんな二人分を賄えるほどの金がどこにあるというんだか。
「いやまぁ、そこは何とかなると思うよ」
「本当か?」
「うん、一応金の当てはあるよ」
「ならいいんだが。どのみち最初は大変だろうしな」
「うんまぁ、誰もが通る道だよ」
「まぁ、そうなんだろうな。ま、何とかやりくりしていくしかないか」
そこがゲームの醍醐味でもあるのだから、仕方ない事ではあるのだが。やり込むつもりがまだない紫月にとって、序盤の金策は頭痛のたねだった。
「しかし昨日は楽しかったな」
「でしょでしょ!やってみてよかったでしょ!」
「あぁ、久しぶりに楽しめたよ。あんなに高揚したのは久しぶりだ」
「珍しくテンション上がってたもんね!今日はどうするの?」
「ああ、今日もバイトがあるから夜にすることにしようか」
「ん、了解。ちゃんと待っててよ」
「分かってる。お、チャイムが鳴んたな。席に戻れ」
「あーあ残念、じゃあまた後で」
昼休み終了のチャイムが鳴る。まだ話したいことがあったのか柚は名残惜しそうだったが、どうせ夜になったら一緒にやるのだ。あの調子だったらバイト先の玄さんの喫茶店にも来そうだが、まぁ好きにさせておけばいいだろう。
この話を斜め後ろの席で聞いている女子生徒が1名、あまりの内容に妄想を膨らませて悶々としていた。
名前は椎名恵。学級委員長である。今までの話は当然『リヴィエラ』の話なのだが、普段から真面目でゲームをしたことがない彼女からすれば、誤解するのも無理のないことである。
(え!紫月君は農家になりたいの?)
(柚さんは冒険家!?まぁ彼女ならなりそうだけども)
(え、経済力のある旦那さまって。いや、彼と彼女の関係は昔から知ってはいたけど、もう結婚の事まで考えてるの!?)
(紫月君!昨日は楽しかったって、高揚したってどういうこと!?一体何したの!?)
(夜!夜って何を!?いくら将来を誓っているからと言ってそれはいくら何でも早すぎますよ!!)
因みに、紫月と柚は将来を誓ってなどいないが、周囲からは普通に恋人認定されていた。
自分の好奇心の赴くままに紫月を連れまわす柚、ため息をつきながら律儀に付き合う紫月。元々柚は紫月以外にも遊びに誘ってはいたのだが、紫月以外は柚の誘いを断ってしまったため、今では紫月のみを誘っている。
幼少から頭の良かった柚が興味を持つものが、同じ年代の子供と違っていたという事もあるだろう。
例えば昆虫採集。昆虫を捕まえる事を楽しいと感じる子供は多くても、昆虫の観察記録をつけたり図鑑の情報が正しいのか実験するのが楽しいと思える子供は少なかった。
他の子どもたちがついて行けず、つまらないと感じてしまうのも無理のない事だった。
頭の良かった柚は周囲が退屈にしている事にも気づいており、自分と周囲が興味を持つことが違う事も認識していた。退屈にしている子を誘う事は控えていたし、断られることに対しても悲しく感じることはなかった。だからこそ、話を黙って聞いてくれて、誘っても嫌な顔をしなかった紫月を貴重な存在として大切にしていたし、柚自身も紫月に合わせる努力をしていた。
(紫月君は真面目だと思っていたのに……)
(柚さんも頭がいいんですからやっていい事と悪いことぐらい分かるでしょうに……)
(夜……そう、夜の行為を止めればいいのです。私は学級委員長です。二人が間違った道に進まないように見張っていなくては!)
そんな事情を碌に知らない学級委員長は学級の風紀を壊させない様二人に注意すること、そして夜の行為を止めさせることを胸に誓ったのだった。
学校が終わり、俺は玄さんの喫茶店でバイトしていた。休みの日以外人があまり来ないこの喫茶店では掃除以外殆どすることがない。玄さんとまったり談笑している時にそれは来た。
「紫月兄ちゃん!料理食べさせてくれるって本当!?」
「……本当?」
急に扉を開けて入ってきたのは坂巻茜。中学3年だ。勝気な目つきと茶髪に染めた髪が印象的な女の子だ。
後ろに恥ずかしそうに立っているのは坂巻千鶴。中学2年の妹だ。引っ込み思案な彼女は前髪で目が見えないのが特徴的だ。大人しそうな見た目だが、運動神経は悪くない。。
何しろこの坂巻姉妹の家は道場なのだ。柔道だったか空手だったか覚えていないが、この二人は幼いころから鍛えられてきたのだ。見た目に騙されて手をだそうとした男子が投げ飛ばされたのを何度見たことか。
「茜、一応店の中なんだから。マナーを守ってくれ」
「あ、うん。ごめん」
勝気な印象が強い子だが、素直に人の話を聞ける子でもある。注意するとちゃんと反省してくれるいい子だ。村の悪ガキ共は反省しないからなぁ。
「で、料理だったか?まだ玄さんに了承してもらってないから何とも言えないな」
「えー、いいじゃん玄さん。紫月兄ちゃんの料理上手いんだからさぁ。料理出したら絶対流行るって!」
「そうだねぇ。僕も良いとは思うんだけど、どんなメニューにするかとか、材料費と収入の計算だったりがまだ終わってなくてね」
「そっかぁ、まだ食べれないのかぁ」
「……残念」
そんなに楽しみにしてくれるというのも嬉しいものだ。二人には昔料理を振る舞ったことがある。あれは確か俺が中1の時だったか。冬におばさんがおすそ分けに豆腐をくれたんだった。二人は雪の中お裾分けを持ってきてくれたので、麻婆豆腐を振る舞ったのだが、それ以来妙に懐かれたようだ。
「そんなに楽しみにしてくれるのは有り難いんだが、飯くらいだったら家に来た時にでも振る舞ってやるぞ」
「本当!いつ?いつ食べれる」
「そう言えば今日は柚が来るって言ってたから、そん時にでも良ければ振る舞うぞ」
「行く行く!」
「……楽しみ」
「だったら親にちゃんと言っておけよ。飯食べてくるからって」
「ハーイ!」
「……はい」
2人とも先程までの落ち込みようが嘘みたいに元気になる。現金なものだ。自分で自覚していないんだがそんなに上手いかな。普通だと思うんだが。
「で、今日は何か頼んでいかないのか?」
「あ、私はコーヒー貰おうかな。コスタリカで」
「……私も」
2人ともこの喫茶店の常連だ。人当たりのいい玄さんに二人とも直ぐに懐き、コーヒーも気に入ったらしい。二人とも気に入っているのはコスタリカというコーヒーだ。玄さんのお気に入りのコーヒーでもある。
「はいはい、少し待っててね」
笑顔でコーヒー豆を取りに行く玄さん。今日初めてのお客さんだ。嬉しいのだろう。
「ん?」
ふと視線を感じて入り口に目を向けるとこちらを覗いている影が。本人は恐らく隠れているつもりなのだろうが、影のせいで全然隠しきれていない。全然入ってこないことを考えると店が目的ではないのかもしれない。
(誰かを見ていたのか?この二人のストーカーか?)
流石にこの村でそんな事をするものはいないと思いたいが、全然動こうとしない。いくら強いからといって、二人に確認させることは流石にできない。このまま見られたままだというのも気分が悪い。
「二人とも、ここで少し待っててくれ」
「ん?どうしたの?」
「いや、外からこっちを見ている奴がいるみたいだから見てこようと思って」
「……退治する?」
「やめてあげなさい。千鶴が出たら相手が血を見ることになるから」
「……む、そこまではしない」
「あたしも行こうか?」
「頼むから大人しくしててくれ」
茜も一緒に行ってくれようとしてくれる。その気持ちは有り難いのだが、相手がどのような人か分からない以上下手なことはできない。玄さんの友人だった場合目も当てられないからな。
下手に動いたら逃げ出すかもしれない。俺は細心の注意を払って足音を立てずに入り口の方に近づいていく。相手はどうやら気づいていない様だ。それからの行動は早かった。一気にドアを開け覗いていた人物の前に立つ。相手は急なことに驚いたのかビクッと体を震わせた後、地面にへなへなと座り込んだ。こちらを驚いた顔で見ているのは
「委員長?」
俺のクラスの学級委員長だった。
「で、何してたんだ?」
「えーと、そのぅ」
俺の前にはクラスメイトで学級委員長である椎名恵が体を小さくして座っている。左右には茜と千鶴が。
「この人って確か紫月兄ちゃんのクラスメイトでしょ?」
「まぁ、そうだな」
「……覗きは犯罪」
「うぐぅ」
「こらこら、あんまり虐めてやるな」
どうも自分が覗きをしていた自覚はあるようだ。言い返せずに余計小さくなっている。
だが分からないのは何故あんな行動をしていたのかだ。そんな事をするような人ではなかったはずだ。
「店の中を覗いていた様だったが、この店に興味があったのか?」
「ええと、そのぉ」
「なんだよ、この姉ちゃん。ハッキリしないな」
確かに珍しいな。普段はもっと堂々としているような人だったような気がするんだが。
「ええと、その。ちょっと紫月君をですね」
「俺?」
「はい、注意しようと思って来たのですが」
「あれ、俺何かしてたか?」
「ええと、その、流石にですね、紫月君も男なのでそういう事に興味を持つことも分かりますが、」
「ちょっと待て」
冷静に、きわめて迅速に委員長の口をふさぎ、二人から距離を離して
「中学生の前で何を言おうとしていた?」
「あの、そのですね。紫月君と柚さんがその、夜に一緒に」
「え!紫月兄ちゃんそうなの!!」
「……知らなかった」
……なんで着いて来てしっかり話聞いてるんだよ。離れた意味がないじゃないか。
「誤解だ。一体誰からの情報だ?そんな事していないぞ」
「え、でも昼休みに話してたではないですか」
それから、委員長は昼休みに俺たちの話を聞いたことを話してくれた。二人は付き合っていて、将来の事まで考えていて、夜に一緒にいるという風に誤解しているらしかった。確かに、ゲームの事を知らなかったらそういう風に聞こえないこともないだろうが、
「流石に飛躍しすぎだと思うんだが」
「~~~~!!」
ゲームの事である事と、別に付き合っているわけではないことを説明すると、自分がいかに恥ずかしい勘違いをしているのか気づいたのだろう。
「まぁなんだ、委員長も高校生になったんだ。そういう事に興味を持つのは分かるが、」
「ひ、人聞きの悪い事を言わないでください!!」
「でも誤解するには、誤解に結び付けるだけの知識が必要だろう。何も知らなかったらそんな誤解もしないと思うぞ」
「~~~~!!!」
おお、見る見る内に顔が真っ赤になっていく。ちなみに話を聞いていた坂巻姉妹は既に顔が真っ赤だ。あの普段活発で落ち着きのない茜まで大人しく席について俯いている。
どうするんだよ、この空気。気まずいなんてもんじゃないぞ。
「はい、淹れてきたよ。あれ、椎名ちゃんじゃないか。コーヒー飲みに来てくれたのかい?」
そこにコーヒーを淹れた玄さんが。
「あれ、どうしたの三人とも。顔真っ赤だけど。何かあったのかい?」
『~~~~!』
うん、仕方のない事なんだが、空気読まない玄さんの一言が火をつけたようだ。
「うるさい!ほっとけ!」
「……少し黙る」
「少しは空気読んでください!」
3人から次々に怒られる玄さん。
「ちょっ、何々!俺何かした!?」
あまりの形相にたじろぐ玄さん。
今日は久しぶりに静かな雰囲気を味わえると思っていたんだが、いつの間にか人が増え、いつものワイワイ騒がしい喫茶店になっていった。