調理準備室の密室 解決編
時刻は四時三十分。調理準備室には委員会を終えた如月先輩を含めた、この部屋を部室に使う五人の生徒、彩坂先生、竜崎先生、高田先生、明野先生の四人の教職員。それからわたしと、合計十人が集まっている。
関係者を集めてと言われたか集めてみたけれど、これでいいのだろうか。この人たち以外に事件のことを知ってる人はいないのだし(梨慧さんと坂祝は除く)、きっとこれでいいのだろう。
「間颶馬の奴、マジでわかったのか……?」
彩坂先生が耳元で尋ねてきた。わたしにもわからないが、
「まあ、本当に解けたんだと思いますよ」
「すげえなあいつ」
彩坂先生は感嘆の声を漏らした。
竜崎先生が腕時計を見る。
「遅いな……」
そう呟いた直後である。準備室の西側の戸が開き、息を切らした連太郎が入ってきた。右手に先ほど持っていったもの、左手にはどこから持ってきたのか紺色のズタ袋を手にしている。彼は室内を見回し、開口一番に言った。
「全員揃ってますね。……では、説明しましょう。犯人が誰なのかを」
「まず、事件をおさらいしましょうか。今日の七時二十分ごろ、置き忘れたスマホを取りにきた多摩川さんが床に食器や調理器具が並べられているのを発見しました。更に六点の食器と古いミキサーが『怪盗鈴木』を名乗る者に盗まれていたのです。しかも現場は密室でした。犯人の犯行時刻は、明野先生の供述により七時十分から多摩川さんがきた七時二十分の間とわかりました」
連太郎はそこでいったん言葉を切った。
「しかし、犯行時刻の時間帯に鍵を借りた生徒、教職員は多摩川さん以外にいなかった。普通に考えれば、彼女にしか犯行はできません」
「普通に考えれば……?」
明野先生が聞き返した。連太郎は頷く。
「犯人はあるトリックを使用して、この部屋に入り込んだのです」
「そのトリックとは?」
高田先生が緊張しているのか、やや強張った声で尋ねた。
「それは少しだけ置いておきましょう。……この事件、ずっと疑問に思っていたことがありました。それは犯人の目的です。多摩川さんがスマホを忘れたのは偶然で、犯人と疑われることになったのも偶然です。
じゃあ多摩川さんがスマホを忘れなかったらどうなっていたのか。それが気になっていました。『怪盗鈴木』の名を広めたいなら、鍵を紛失してしまっている部室を狙って、犯行を重ねればいい。それなのに犯人はそうしなかった。つまり犯人は名前を宣伝したかったわけではなく、この部屋で犯行を行うことが目的だったんです。では他の目的はなにか。色々と考えてみましたけれど、これは盗難事件ですから、やっぱり盗みたいものがあったからこの部屋に盗みに入ったのでしょう」
犯人は盗むためにこの部屋に侵入した……いやでも、それはちょっとおかしいような。そう思っていると、彩坂先生が口を開いた。
「でもそれならなんで、現場を荒らして犯行声明なんて置いてったんだ? 盗みに入ったんならバレねえ方がいいだろ」
「そうですね。確かに、こんな空き巣と怪盗をごちゃ混ぜにしたみたいなこと、普通の泥棒はしないでしょう。だから犯人は、自分が盗みに入ったことを伝えたかったんですよ。外の人間に。侵入者がいたことが外からでもわかるように現場を荒らした」
「よくわからない……」
思わず声になってしまった。
「この事件。犯人のシナリオでは、ここを通った誰かがこの部屋の状況を確認して中に入る。すると盗みがあったことが発覚。しかし現場は密室。犯人の探しようがない。お宮入り。かなりマイルドに言ったけど、こんな感じだったんだと思います。
で、たぶん現場を発見するのは、本来の計画では明野先生だったのでしょう」
「え、私?」
明野先生が素っ頓狂な声を上げ、自分で自分を指さした。
「先生が朝放送室に向かうのは有名みたいですからね。おそらく犯人は隣の空き教室に潜んでいて、先生がここを通るのを待って、犯行に及んだんでしょう。先生は犯行時刻を証言する役と第一発見者、両方の役を犯人から勝手に与えられていたんです」
「えぇ……」
明野先生から呆然とした声が漏れた。脳の処理が追いつかないのだろう。
「これを踏まえると犯人は、犯行は昨日のうちに行われたのではない、ということを言いたがっているのがわかりますよね。つまり犯人は昨日犯行が行えた人間……。この部屋を部室に使っている誰かか、高田先生」
「え!?」
まさか自分の名前が出て来るとは思わなかったのか、高田先生が驚愕の声を上げた。
「ここで、トリックの話になります」
「おっ」
楽しみにしていたのか、彩坂先生が心持ち身を乗り出したようだ。
「これが最大の問題でした。鍵を借りた人間は多摩川さんしかいない。ならばどうやって鍵を開けたのか……答えは、犯人は鍵を使わずに中に入ったんです。といっても、ピッキングとかではありません。奈白が傷跡がないのを確認しましたし、普通の人はピッキングなんて使えませんしね」
梨慧さんは普通じゃないからね……。
「じゃあ、どうやってやったの?」
恵馬先輩が尋ねた。
連太郎はさっきからずっと手に持っていたものを前に突き出した。
「犯人はたぶん、これを使ったんです」
「……ハンドミキサー?」
竜崎先生がぽつりと呟いた。そうなのだ。連太郎がこの部屋から持っていったものは、ハンドミキサーだったのである。
「とりあえず、実演してしみせましょうか」
連太郎はズタ袋から延長コードを取り出した。それをハンドミキサーと繋げると、東側の壁のコンセントに差し込んだ。スライドスイッチを動かして、5に合わせた。すると、ハンドミキサーの金属部がけたたましい音を響かせながら回転し始める。
それからどうするのか、と思ったら、彼はハンドミキサーを床に置き、椅子を引っ張るとブレーカーの下に移動した。椅子に乗り、アンペアブレーカーを落とした。電気の供給がストップし、ハンドミキサーがとまる。
連太郎は椅子から降りると、ズタ袋から長い糸を一本取り出した。
「これはさっき、ヨーヨー部から借りてきたヨーヨーのストリングです。一本百円の高級なものです」
よく見ると、右端が指を通せるように円になっている。一本の長い糸が二重になって、螺旋のようにグルグルになっているようだ。
「ヨーヨーをするには、この右端を手頃なサイズに切ってまた結ぶんですが……それはまあいいです」
じゃあ言うな。
連太郎は糸の円の部分を東側の窓のクレセント錠の上部にひっかけた。すかさずズタ袋からセロハンテープを取り出すと、クレセント錠と糸にテープをぐるりと貼って固定した。そして糸のもう片側をハンドミキサーの金属部に結びつけた。
ここまで見れば、もうわかるだろう。
連太郎はハンドミキサーを窓のほぼ真下に置いた。真下ではなくほぼである。クレセント錠から、ちょっと斜めの位置なのだ。金属部は糸を巻き取れるように横を向いている。
連太郎は椅子を抱えて戸から廊下に出ると、東側の戸の上部にある小窓を開けた。そこから腕を突っ込むと、その手でアンペアブレーカーを上げた。ハンドミキサーが動き出し、高速で糸が巻き取られていく。クレセント錠が動き、下がった瞬間、テープごと糸がすっぽ抜けた。クレセント錠は完全には下がらなかったが、金具部分からは抜けていた。連太郎が窓を開けて中に入ってきた。ハンドミキサーをとめつつ、
「入るときはこういう感じです。で、出るときは――」
連太郎は昼休みに自分が言った方法――小窓から糸を引っ張って、外から鍵を閉めてみせた。
みんなが唖然としてしまった。連太郎が戸から入って来る。
「以上が犯人が使ったトリックですね。これが使われた裏付けとして、アイスキャンディがあります」
「アイスキャンディ?」
如月先輩が言った。連太郎は頷くと、冷凍庫を開け、先ほどの『ガチガチくん』を取り出した。
「これは溶けて再冷凍されたアイスです。昨日の夕方はこうなっていなかったそうです。こうなってしまったのは、電気が冷蔵庫へ供給されていなかったからでしょう。冷蔵庫のコンセントは裏にあるから、抜くことはできません。冷蔵庫を動かすことができれば別ですが、一人じゃそんなことできないでしょう。する意味もありませんしね」
冷凍庫に『ガチガチくん』を戻す。
「他には一旦溶かしたものを用意しておいて、この冷凍庫に入れた。もしくは溶かして再冷凍したアイスをあらかじめ作っておいて、この冷凍庫に入れた……この二つですが、そんなことができたのは多摩川さんだけです。多摩川さんそんなことした?」
「してないよ」
「してないそうです。なら他に考えられるのは、ブレーカーが落ちていたから、これしかありません」
連太郎はわたしたち全員を見回す。
「昨日の夕方や夜にでもブレーカーが落ちていない限り、アイスが完全に溶けたりしないでしょう。
では、誰が犯人なのか……。ときに多摩川さん」
「な、なに?」
神妙な面持ちで楓は答えた。
「昨日、部活で珍しいが起こったんだよね?」
「え? ……ああ、食材を使い切っちゃったこと?」
「そう。このトリックはブレーカーを落とさなきゃいけない。昨日食材を使い切っていなかったらどうなってた?」
「大変なことになってた……」
楓が頭の悪そうな回答をする。
「そうだよね。冷蔵庫の食材がすべて使われていた日に、このトリックが使用された。氷も午子先輩曰わく、いつの間にかなくなってたようです。果たして、これは偶然でしょうか?」
腕を組んでいた彩坂先生が躊躇いがちに口を開いた。
「つまり、料理研の中に犯人がいる、と言いたいのか?」
連太郎は頷く。
「そうです。ここを部室にしてる人が食材をすべて使い切るように誘導していた、と考えるのが妥当でしょう」
容疑者から外れた高田先生はほっと胸を撫で下ろした。
「このトリックにはハンドミキサーとブレーカーの仕掛けが必要ですから、途中で塾に向かって、学校が閉まる七時以降まで勉強していた双子のお二人は容疑者から外れます。それから多摩川さんも」
「どうして?」
楓は自分で訊いた。
「こんなトリックを使っておいて、鍵なんて借りるわけがないからね。しかも疑われてるし」
「そっか……」
楓は安心したかのように息を吐き出した。しかし、その表情は拭えない。
わたしは残りの二人……如月先輩と宮崎先輩を見据える。二人は緊張したように強張った表情になっている。ここまできたら、わたしにだって犯人はわかる。
「犯人はあなた方のどちらか、ということになります。おそらく下校して、別れた後急いで学校に戻って、あらかじめ開けておいた廊下側の窓から侵入、仕掛けを施した。その後は僕がさっきやった方法で外から鍵をかけた。
この仕掛けは、延長コードとハンドミキサーは片側だけ閉まってたカーテンで隠せる。でも、クレセント錠に糸とテープが付いてる状態になってしまうから、高田先生の見回りで気づかれてしまうかもしれない……けど、暗いし鍵がかかってるか確認するだけだから可能性は低い。なんなら、クレセント錠と同色のテープを使えば十分隠せるでしょう」
連太郎はすらすらと言葉を紡いでいく。明野先生が小さく手を挙げた。緊張感のある声で訊く。
「で、どちらが犯人なの……」
「そうですね」
連太郎はフィンガースナップを行うと、
「宮崎先輩」
「え!?」
声を出したのはわたしだ。が、連太郎の言葉は続いた。
「が犯人なら、アイスを持って帰ったでしょう。溶けてしまいますし、なんならトリック解明の重要な手がかりになってしまいますから」
ああ、そうだよね。よかった。当たってた。
全員の視線が彼女に集まった。
「犯人がアイスを持って帰らなかったのは、アイスの存在を知らなかったから……つまり、あなたですよ。如月先輩」
如月先輩は俯き、黙り込んでしまった。
この事実には部活仲間、教職員の全員が驚愕しているようで、みんな口をぽかんと開けてしまっている。
「さ、咲良ちゃんが……犯人……?」
宮崎先輩が呆然と呟いた。続き、竜崎先生も口を開く。
「あの、超真面目な……如月が?」
「動機はなんなんだよ……」
彩坂先生が連太郎に尋ねた。連太郎は如月先輩を見つめる。先輩は依然として俯いたままだ。表情はわからない。連太郎は先輩が話し出す素振りがないのを確認すると、
「これは想像ですが……おそらく、校長先生が作ったお茶碗を盗むため……もっと言えば、盗まれたようにように見せかけるため、でしょうか」
「それは……どういうこと?」
わたしは言った。
「如月先輩。あなたは、校長先生のお茶碗を割ってしまったんじゃないですか? 何日か前に」
如月先輩は俯いたまま頷いた。
連太郎は続ける。
「明日は校長先生が部活を視察する日です。だから如月先輩は、その日までにお茶碗を盗まれたことにしたかった」
「い、いや、ちょっと待って!」
宮崎先輩が大きな声で話を遮った。
「校長のお茶碗は昨日まで確かにあったよ?」
「それは本当に校長先生のものだったんですか? 使ってないんですよね?」
「そ、それは……」
「おそらくお茶碗は外面だけ似た別物なんでしょう。けど、作った本人を騙せるかはわからなった……。だから今回の事件を起こしたんだ」
連太郎は一旦ここで言葉を切り、
「事件を起こすに当たって如月先輩が最重要視したのは、部活仲間に迷惑をかけないことでした」
如月先輩を除く部員たちが顔を見合わせた。
「この部屋を密室にして、床に食器などを並べて、カーテンを片側だけ開けておいたのも、明野先生がここの前を通るのを待って犯行に及んだのも、それが理由です。
密室にすることで、鍵を持たない者以外に犯行をできないようにした。現場を荒らしたのは、明野先生に犯行時刻を証言してもらうことで、昨日帰る際に部員の誰かが盗んだのではないということを証明するため」
そうか、そういうことだったのか。
よく考えてみれば、この事件はこの部屋を部室に使っている生徒を徹底的なまでに守っていた。密室だから入るには鍵がいるけど、借りた人間は(楓以外に)いない。明野先生の証言から、昨日の犯行ではないことが明らかになった。
……そうだ。
「『怪盗鈴木』はなんなの? これは必要だったの?」
「お茶碗は盗まれてなくなった、ということを印象付けられる。もともとなくなってたんじゃないか、と思われる可能性もあるしね」
「なるほど……」
この事件はバレなきゃ意味がない。現場が荒らされてたらものが盗まれていないか調べるだろうが、犯行声明を残しておけばまず間違いないだろう。
連太郎はみんなを見回す。
「さっき言った、犯人の本来の計画を詳しく説明すると……まず、明野先生がここを通ったのを隣の空き教室から確認すると、空き教室の椅子を使ってさっきのトリックを行う。ここを荒らして、盗むものをバッグかなにかに入れて、外から窓に鍵をかける。その後、明野先生が現場を通るときに、食器などが床に並んだこの部屋の状況を確認、他の先生に知らせて事件発覚……。まあ、ここで事件が発覚しなくても、第二印刷室に用がある教員が見つけたかもしれませんし、如月先輩のクラスは四時限目が調理実習だったので、自分と宮崎先輩が発見者になってもいいですね」
もしかしたら如月先輩が第一印刷室の機材を壊したとか……は流石にないか。ただ、壊れているのは知っていたのかもしれない。
「事件発覚後、料理研究会と郷土料理研究会の五人に、教員が話を訊くでしょう。もしかしたら疑われるかもしれませんが、そうなったら反撃すればいい。この部屋は密室だったから鍵を借りていないわたしたちに犯行は無理だ、みたいな感じですね。昨日やったんじゃないか、と言われたら、そんなことする意味がないとか言えばいいし、明野先生の証言が出てくれば無罪です。それで疑ったり、強制的に犯人にしようとする教師はいない。もしいたら、学校中の生徒に言いふらせば擁護してくれるでしょう」
けど、と連太郎は付け加えた。
「一つの誤算が発生してしまった。多摩川さんが忘れたスマホを取りに来てしまったんです。普段部員は放課後にしか来ないからこの計画を立てたのに、これで崩れた。逆に、この計画のせいで多摩川さん以外に犯行が不可能という事態になってしまった……」
部員たちに迷惑をかけないために立てた計画で、逆に部員が犯人にされかけてしまった。その胸中はきっと辛かったはずだ。
全員の視線が俯く如月先輩に向いている。部屋が沈黙に包まれた。
重苦しい沈黙を破ったのは、楓の申しわけなさそうな声だった。
「あ、ああ、えっと……」
彼女は頭を掻くと、如月先輩に頭を下げた。
「なんか、すみません」
それで如月先輩は慌てたように顔を上げた。目尻に少しだけ涙が見えた。
「多摩川さんが謝ることじゃないでしょう……」
しかし楓は自嘲的な笑みを浮かべ、
「いやなんか、私のせいでこんな面倒なことになったんで……悪い気がします」
「そんなことは……!」
如月先輩はそこまで言って、なにかを振り払うように首を振った。いま言うべきことを思い出したのだろう。
如月先輩は楓に深々と頭を下げた。
「多摩川さん。迷惑をかけた。ごめんなさい……」
それから、他の部員と教師たちにも頭を下げて謝った。
そしてわたしと連太郎に向くと、
「君たちにも、大きな迷惑をかけてしまったな。本当にすまない……それから、ありがとう。助かった」
こうして、調理準備室で起こった密室盗難事件は幕を下ろした。