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犯行不能



 先輩たちが帰って、わたしたち一年生三人だけになった調理準備室。連太郎は食器棚や戸棚をあさっていた。理由はわからない。たぶん本人も深く考えているわけではなく、なんとなく探っているのだろう。彼の肩越しに戸棚を見る。


 先ほど楓が開けていた戸棚で、白く新しそうなミキサーやスライドスイッチ式の古そうなハンドミキサー。スペース的にここにもう一つ古いミキサーが入るのだろう。


 連太郎はやや顔をしかめながら戸を閉め、部屋を見回す。それから、彼は楓を見据えた。


「多摩川さん。この部屋の窓の鍵って、普段はどうしてる?」

「どう、って言われても……。うーん、中庭の方は開いてることもあるけど、廊下側は鍵かけたまま構わないようにしてるよ」

「閉まってるかどうかの確認はしないんだね?」

「う、うん。開ける必要がないから、絶対かかってるはずだし。それに最終的に高田先生も調べてくれるし。……それがどうしたの?」


 連太郎はそこまで聞いて、腕を組んで黙ってしまった。その顔は少し神妙なものになっている。

 わたしは連太郎が気にしている様子の窓を見る。西と東に別れた二つの窓。どこの学校の教室でも似たようなものだろう。いま現在は東側の窓にカーテンがかかっている状態だ。


 不意に、連太郎が窓の上部を指さした。高さ二十センチくらいの小窓が、西側の戸の上部から東側の戸の上部まで存在している。この学校の教室の殆どについているものだ。あの小窓には鍵はない。しかし、誰も入れないだろうから無視していた。


 連太郎が口を開く。


「あらかじめ窓の鍵を開けておいて、多摩川さんたちが帰ったあと、その窓から侵入する。盗むものを盗んで、現場を散らかす。そしてクレセント錠に糸かなにかを括りつけて、あの小窓から糸を引っ張って鍵をかける。窓に手を突っ込んで、糸を真上に引っ張って回収する。これなら一応、犯行は可能だ」


 わたしと楓は顔を見合わせる。確かに小窓は椅子に乗れば腕を突っ込めるし、窓の縁に乗るだけでもいけるだろう。しかしそうなると、


「そうなると、犯人はあの四人ってことになるわよね? 窓の鍵を開けておくことなんて、ここを使ってる人にしかできないし……」

「……天海先輩たちには無理だ。後で確認を取るつもりだけど、彼女たちの話が本当だとしたら、七時半まで塾にいたことになる。そうなると学校に入れないから……」

「宮崎先輩か如月先輩?」

「うん。ただ、教職員って可能性も残ってるけどね」


 楓の表情を伺う。解決の目処が立ってきたはずなのに、複雑そうな顔になっていた。部活仲間が犯人というのは、流石に嫌なのだろう。かといって教員が犯人というのもあれだ。……自分が犯人だとか言い出すまいな。


 連太郎は廊下側の窓のクレセント錠を上げたり下げたりしている。鍵の上がり易さを確認しているのだろう。幸いなことに(?)この部屋のクレセント錠は非常にスムーズに動く。


「これからどうするの?」


 そう尋ねると、連太郎は振り向き、


「とりあえず、天海先輩たちの塾仲間から話を訊いてみよう。それから彩坂先生に犯行が可能そうな先生をピックアップしてもらう」

「あの人が犯人って可能性はないの? ……そう思いたくはないけど」

「大丈夫だよ。犯人なら自分から事件に関わってきたりしないって」

「それもそうね」


 犯人は準備室ここを部室に使っている誰か、もしくは鍵を扱える教職員。容疑者はかなり絞れてきた。……と思ったのも束の間、数十秒後にこれらは打ち砕かれた。



 ◇◆◇



 部屋から出て、楓が鍵をかけている間、わたしはそれに付けられている黄色のタグを眺めていた。取り外しが可能っぽいし、タグの付け替え……みたいなことができるかもしれない。


「おーいお前ら」


 西側から声をかけられた。振り向くと、暑さからかダークスーツを脱いで、ワイシャツ姿になった彩坂先生がこちらに歩いてくる。彼の後ろには見知らぬ美人の女性がいた。誰だろう?


「どうよ? 首尾は?」

「まあ、やるべきことは見えてきたかな、という感じです」


 連太郎は曖昧に笑って答えると、奥の女性に視線を移す。


「そちらの方は?」


 彩坂先生はにやりと笑い、


「新たな情報の提供者だ」

「新たな情報?」


 つい、鸚鵡返ししてしまった。


「犯人は捕まえる自信はねえから、せめて犯行時刻だけは特定してやろうと思ってな。で、毎朝この廊下を通る――」


 女性に目を向け、


「この明野あけの先生に訊いてみたんだ。因みに国語教諭で吹奏楽部顧問。二十六歳独身だ」

「さ、最後のいらないですよね!」


 明野先生は恥ずかしそうに少し頬を赤らめながら慌てて言った。

 連太郎はそこには無反応の様子で、明野先生を見据える。


「毎朝通るんですか?」


 明野先生は咳払いをし、


「ええ。うちの吹奏楽部、部員不足だから少しでも宣伝しようと思って、録音した演奏を放送室から流してるのよ。本当は朝練に付き合って上げたいんだけど、私音楽経験ないから」


 放送室のある後ろを振り向いてしまう。


「ああ、なんか聴いたことあります。今日も流れてました」


 楓の言葉を受け、わたしも思い返してみる。確かになんかかかってた日があったような気がする。そういえば吹奏楽部の友人もそんなことを言っていた。顧問の先生が宣伝を頑張っているとかなんとか。


 ぱちっという音が耳に入ってきた。連太郎のフィンガースナップである。彼は彩坂先生が彼女を連れてきた理由を察したらしい。準備室を指差し、


「この部屋の中、散らかってました?」


 彼女はふるふると首を横に振ったね


「いいえ。なんともなかったわ」

「それは確かですか?」


 明野先生は頷いて、窓を見た。


「朝もいまと同じように片側にカーテンがかかってたけど、こっちの窓から部屋は見えたわ。前を通ったとき、なんとなくちらっと見ただけだけど、特に変わったことはなかったわよ」


 わたしは一歩前に出て強い眼差しを明野先生に向けた。


「本当に、本当になにもなかったんですか?」


 明野先生は無言で頷いた。

 わたしは楓が撮った写メを思い浮かべた。あの写真からすると、片側の窓から見るだけで十分確認できるし、なんとなく歩いていても目に入るだろう。


「それって何時ごろですか?」


 連太郎も真剣な表情で尋ねた。


「……うーん、七時十分くらいだと思うわ。それから十五分くらい経って、放送室から帰るときに、」


 明野先生が楓を見た。


「あなたと高田先生と竜崎先生がこの部屋で食器かなにかを片づけていたのよ」


 彼女の話が本当だとすると、犯行時刻は今日の朝七時十分から楓が来る二十分の間、ということになる。そうなると、連太郎が先ほど言っていたトリックによるあの四人の誰かの犯行、というのはありえない。


 わたしたち生徒三人が黙って無表情で思案していると、明野先生が腕時計を気にし出した。


「ごめんなさい。私、五時限目の準備があるからもういきますね。なにか訊きたいことがあったら言ってください」


 彩坂先生にそう断りを入れると、わたしたちにお辞儀をして、明野先生は背を向けて去っていった。


 彩坂先生がわたしたちを見ながら言う。


「どうだ? 参考になったか?」


 連太郎は明野先生が消えていった廊下を見つつ、


「はい。さっき言ったやるべきことが見えなくなりましたけど、まあ、ありがたい情報ですね」

「あっ……見えなくなっちゃったか?」

「ミラーワールドに消えました」


 またわけのわからない例えを使う。……しかし、


「まだわからないわよ。あの人が犯人とグルで、犯行時刻を隠すために嘘の証言をした、っていう可能性もあるかもよ」

「もともと犯行時刻なんて特定できないんだから、そんなことする必要はないと思うけど」


 楓がぽつりと呟いた。

 ……確かに、さっきの連太郎の話は容疑者が絞れただけであって、犯行時刻を特定できたわけではない。だいいち、この件に関しては犯行時間の特定なぞ、目撃証言でも出てこない限り不可能なのだ。彼女が犯人側の人間だとして、あんな証言をするだろうか? なにかの拍子で疑われたら、それこそ犯行時刻が昨日だとバレてしまう。


 連太郎も楓の意見に賛成のようで、


「僕も明野先生が犯人と共犯というのは、ちょっと考えにくいと思う」

「どうしてよ?」


 わたしの疑問に答えるためか、連太郎は彩坂先生を見上げた。


「先生、二つ質問があります」

「なんだ……?」

「この事件のこと、職員の間では有名なんですか?」

「なわけねえだろ。有名だったら、今日一日の猶予の意味がなくなっちまうし。この件のことを知ってんのは、俺と竜崎先生、高田先生と明野先生、それからお前らだ」


 それに梨慧さんと坂祝、料理研と郷土料理研の四人だ。

 彩坂先生は頭を掻く。


「そういう事情もあって、事件に関係がありそうな情報を確実に握っている人にしか聞き込み的なことができねえのよ。そういうことしすぎて、多摩川が泥棒した、みたいな風評被害が起こる可能性もあるしな。お前らも気をつけろよ」

「心配ご無用です。こういうのには慣れてますから。では、二つ目の質問です。第一印刷室の機材の調子がおかしいんですよね? いつからですか?」

「一昨日からだな。今日業者に見てもらう予定になってる」


 これらを踏まえた連太郎は小さく頷き、


「やっぱりあの人は無関係だと思う」

「だからどうしてよ?」

「奈白は、明野先生は昨日の犯行を誤魔化すために嘘の証言をしている、と言っている」

「そうよ」

「それは難しい。彼女が来る以前に、第二印刷室に用があって、その際に準備室の状況を見て、なにもせず放置した職員がいるかもしれない。この事件のことは職員の間では話題になってないから、その証言は殆どの確率で今日中には出てこない。かといって自分で訊いて回るのも怪しまれる。犯人側からすれば、そういう人間を怖がって嘘の証言なんかできないと思う。もしその証言が出てきたら、どちらかが犯人になっちゃうからね。これは危険すぎるよ」


 む、確かにそうだ。つまりはこういうことか。明野先生が来る前に教師Aが第二印刷室に向かう途中で、この部屋の惨状を見たとする。しかし教師Aはそれを無視してしまう。部活に使われている部屋だから、部員がふざけたのだろう、と思っても不自然じゃない。こういう可能性があるから、犯人側としては不用意に嘘の供述をすることはできない。


 それに犯人なら極力事件に関わるのは避けたいはずだし……やっぱり違うのだろうか。……いや、待てよ。


「ここを通った人間がいないって知ってたんじゃない? 実は一番朝早くに来て、この廊下を見張ってたから」

「なんのために見張ってたの?」

「人がここを通ったか通ってないかを知るためよ」

「なんのためにそれを知りたがったんだよ」

「え? だから楓を犯人にするために決まってるじゃない」


 わたしがそう言うと、連太郎はため息を吐いた。


「この事件はさ、多摩川さんが偶然スマホを忘れてしまったから厄介なことになってるけど、本来はただの盗難事件なんだ。犯人が予知能力者でもない限り、見張りなんか置かない」


 わたしは喉の奥でぐっと呻いた。


「偶然じゃなくて、犯人が楓のスマホを抜き取ってたのかも」

「多摩川さんが朝一番に準備室に来るかなんてわからないって。放課後かもしれないし。いつ来るのか以前に学校を休むかもしれない。犯人は多摩川さんに罪を着せようとはしてないよ」

「じゃ、じゃあ、人を見張ってたんじゃなくて、なにか別の目的があって、廊下を見てたんじゃない? 犯人の目的はわからないんだし十分ありえるでしょ?」

「あー、あのよ」


 彩坂先生が横から割って入ってきた。わたしと連太郎は先生を見る。


「明野先生は俺が出勤した七時の段階じゃいなかったぞ。彼女、隣の市に住んでて、黄色い派手な車で出勤してくんだけど、それがなかったんだ」

「徒歩で来たんじゃ?」

「その後、駐車場を見たときはあったんだ。ほら、職員室前の廊下の窓から駐車場見えるだろ? 彼女は間違いなく車で来てる」

「じゃあ、学校の近くに停めておいて――」


 連太郎が即座に反論してきた。


「そんなことするくらいならもっと早く出勤すればいいだけだよ」

「そっか……」


 反論され尽くされた。まあ、もともと、彼女が犯人側の人間とはそこまで思っていなかった。ちょっとした感情論である。

 沈黙したまま床を見ていると、事件の当事者たる楓が遠慮がちに呟いた。


「じゃあ、あの人が犯人で、自分で嘘の証言をした……とかはないよね。さっき間颶馬君も、犯人が自分から事件に関わってくるわけがないって言ってたし」

「まあ、ないと思うよ。……先生、放送室は鍵がかかってますから、明野先生は職員室から鍵を持っていったんですよね? そのとき、どんな感じでした?」


 連太郎は彩坂先生に尋ねた。


「別に普通だったぞ。俺が出勤してからちょい後に来て、ちょい自分のデスクの上でなにかしてから、放送室の鍵とパソコンを持って出てった。放送室で仕事やってんだと」

「その鍵は放送室のもので間違いはありませんか?」

「ああ。俺のデスク、鍵のすぐ近くにあっから、よく見えるんだ。取った鍵は一本だけでタグの色も緑だった」


 楓が握っている鍵のタグを見る。準備室の鍵のタグは黄色である。わたしは先ほど考えたことを口に出した。


「タグを付け替えたのかもしれませんよ」


 しかし連太郎につっこまれる。


「それは無理だよ。明野先生は放送室から音楽を流しているんだ。準備室の鍵を持っていったんじゃ、放送室に入れない」

「昨日のうちに放送室の鍵を開けておいたのかも」

「そうだとしても違う。明野先生が準備室の鍵を持っていったら、多摩川さんがこの部屋に入れないじゃないか」

「そう、ね……」


 わたしは黙りこくってしまう。楓も俯いている。連太郎は真剣な顔でフィンガースナップを連打している。彼は彩坂先生を見上げ、


「先生、今日の朝、教師陣の中で犯行が可能な人はいますか?」


 先生は何故か申し訳なさそうにかぶりを振った。


「いや、いないと思う。さっき朝の記憶を辿ってみたんだが、多摩川が来る前に鍵を持っていったのは明野先生だけだ。多摩川が来た後、高田先生が第二印刷室の鍵を持っていったけど」

「それですよ!」


 わたしは叫んでしまった。


「な、なにがだ……?」

「高田先生は楓が鍵を借りて、どのくらい経ってから第二印刷室にいったんですか?」

「なんだ? その質問……」

「楓が鍵を借りてすぐなら、楓に犯行は難しいってことになりませんか? 食器や調理器具を床に並べるの、時間は計ってませんけど二分以上はしそうですし」

「ああ、なるほど……。確か……五分くらい経ってからだったような……」


 職員室からここまでは歩いて五分、急いで二分ほどだ。楓が急いで準備室に向かって、食器などなどを並べ、盗むものを持ち出してどこかに隠した後、再びここに戻ってくる。それを行える猶予は、高田先生が歩いて来たとして……八分。それだけあれば、十分可能だろう……。


 先の四人と高田先生は、明野先生の証言で容疑者から外れる。その明野先生にも犯行は不可能。他の生徒は鍵を借りていないし、教師も楓が来るまで明野先生しか借りていない……。


「そんな……それじゃあ、本当に楓しか犯行が可能な人がいないじゃない……」


 わたしは呆然と呟いた。

 昼休み終了を告げるチャイムが鳴り出す。それはまるで、呆然と立ち尽くすわたしたちを、学校が嘲笑っているかのようだった。

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