教師か生徒か
三時限目が終了した。三度、十分の休み時間である。
チャイムが鳴るなりわたしたちは集まり、再び職員室へと向かった。その途中で連太郎と楓に高田先生から聞いたことを話した。
「なるほど。室内は見えなかった、か……」
「可能性が増えちゃったわね」
連太郎と楓は口々に言った。つまり、犯行が行われたのは楓たち部員が去ってから、学校が閉まる十九時過ぎの間。もしくは、学校が開いてから楓が発見するまでの間……。この学校は開くのが早く、確か六時五十分くらいには出入りが可能になる。だからもう一つの犯行可能時刻は六時五十分から七時二十分の間。なかなかに面倒くさいことになっている。
「そうだ。そっちはどうだったの? 坂祝に『怪盗鈴木』のこと訊きにいってたんでしょ?」
そう尋ねると、連太郎は残念そうに肩をすくめた。
「圭一も知らないってさ。たぶん初犯なんだろうな……」
「ただ単に坂祝が知らなかっただけ、とかはないの?」
たぶんないだろうな、と思いつつも言ってしまった。
「ないよ。奈白も知ってるだろう? あいつのすごさ……もとい馬鹿さ。常日頃から校内の面白そうなことを調べ回ってるから、『怪盗鈴木』なんてものが出てたら、とっくに僕に教えてるよ。まあ、念のため調べてくれるらしいけど」
わたしは腕を組んだ。中学時代、女子生徒(わたし含む)の身長・体重・スリーサイズや誰と誰が交際しているか、抜き打ち小テストの日時などを把握し、情報屋とまで呼ばれていた坂祝が知らないのなら、やっぱり『怪盗鈴木』なる……梨慧さんに言わせると『二流』は出現していないのだろう。
わたしたちの話を聞いていた楓が大きなため息を吐いた。
「なんでこんなことになっちゃったのやら……」
普段のサバサバした雰囲気が消え、どこか弱々しく肩を落としている。しかし、突如はっとした顔になり、
「もしかしたら、王子様登場の前振り? もしくは魔法使いが出てきてあっという間に解決?」
それだけ子供っぽい妄想を抱けるならまだ大丈夫だろう。
だが、わたしのは大丈夫ではない。今日の夕方六時を過ぎたら彼女が犯人にされてしまうのである。いや、竜崎先生とか彩坂先生とかが口添えしてくれるだろうから、流石に彼女が犯人だ、と決めつけられるわけではないとは思うが……。
それでもいまのところ、彼女以外に犯行はできないのだ。……いや、待てよ。最悪犯人は捕まえられなくても、彼女以外にも犯行が可能だったとわかればいいわけだ。つまり、犯行時間が増えたのは決して面倒などではない。むしろ楓のためになっている。
そう思うと気力とやる気がみなぎってきた。わたしは連太郎に訊く。
「それで、わたしたちはどうして職員室にきたの?」
「鍵の貸し出し名簿を確認するため」
「ああ、そうだったわね!」
戸の近くにきたわたしは早速ノックしようとするが、連太郎にとめられた。彼は楓の方を見て、
「細かい話は昼休みのときに、料理研究会の部員たちを集めて訊く予定だけど、とりあえずいまはざっくり確認しておきたいことがあるんだ」
「なにを?」
楓はぽかんとした表情を浮かべる。
「昨日も部活はやったんだよね? スマホを忘れたんなら」
「うん」
「じゃあ、昨日最後に準備室を出たのは誰かはわかる?」
楓は視線を少しだけ宙に向け、
「えっと、私と如月さんと宮崎さんっていう二年の先輩。三人同時に帰ったわね」
「そのときに鍵をかけたのは?」
「確か、宮崎さんだったかな」
「ということは鍵を返したのも?」
「うん。宮崎さん。返すとこも見てたから間違いない」
怪しさMAX! 宮崎!
……失礼か。鍵を使っていたというだけで怪しいことはなに一つしていない。
連太郎の表情を伺ってみる。フィンガースナップをしながら、真顔で楓の話を受け止めていた。なにを思っているのかはわからない。
連太郎は職員室をノックすると、まったく臆さずに中へと入ったので、わたしと楓も後へ続く。連太郎が彩坂先生に頼んで、鍵の貸し出し名簿を持ってきてもらった。
この学校では鍵を借りる際、ノートに自分の名前と借りた時刻を記入する。返す際も同じ名前を記入し、返却時刻を記す。つまりは名前さえ知っていれば誰でも借りられるわけである。
連太郎が今日の日付のページを開いたので、肩越しに覗いてみた。今日一番最初に鍵を借りにきたのは、楓であった。
連太郎は前のページ……昨日の日付のページをめくった。昨日、一番最後に返却された鍵は調理準備室のものだった。借りた人の名前は『宮崎祥子』。返却時刻は十七時四十分。それ以降に誰かが鍵を借りた記録はない。
連太郎がすかさず確認する。
「多摩川さん。時間はこれであってる?」
「う、うん……。間違いないと思う。このくらいの時間に帰ったから」
連太郎はノートを睨みながら右手でフィンガースナップを始めてしまった。顔からは、まあそうだろうな、という感じが伝わってくる。
昨日最後の鍵が返されてから、楓が朝借りるまでの間、調理準備室どころか鍵そのものを借りた生徒がいない……。運動部の部室の鍵は朝練にくる生徒が所持しているから、生徒がまったく鍵を使っていない、ということはないだろう。しかしそれはいま関係がない。
生徒には鍵を借りることができないということが問題なのだ。
連太郎が彩坂先生を見上げた。
「鍵って、こっそり持ち出すことはできませんか?」
「無理だよ。職員室には最低でも一人は教師がいることになってるからな。テストの答案を盗もうとする不届き者対策で」
「それは今日の朝や昨日の夕方もそうでしたか?」
「ああ。俺は今日は七時からずっといたし、昨日も五時から六時までは職員室にいたな。他の先生たちも、何人かいたしな」
三人で顔を見合わせてしまう。
彩坂先生は不思議そうに呟いた。
「なんで昨日の夕方のことを訊くんだ?」
連太郎が簡単に説明すると、彩坂先生は顎に手を添えた。
「なるへそ……。でもなあ、結局、昨日の夕方だろうが今日の朝だろうが無理だよな。……多摩川以外」
「やってませんってば」
「わかってるって」
わたしは連太郎からノートを受け取り、昨日と今日のページを何度も見る。どこもおかしなところはない。顔をしかめてしまう。考えたくはないがこれは……、と思っていると、彩坂先生がわたしたちに顔を近づけ、声をひそめて言った。
「これ、もしかして犯人は教師じゃねえか?」
普通に考えれば、そうなのよね……。しかし連太郎は首を振った。
「可能性はありますが、まだわかりませんよ。なにかトリックを使った可能性はありますから」
「トリックねぇ……」
彩坂先生が遠い目をして言った。わたしたちはなんとなく黙ってしまう。そうしているとチャイムが鳴ってしまった。
大丈夫なんだろうか、これ……。
◇◆◇
四時限目の数学の時間。わたしは授業内容を聞き流しながら、事件を整理していた。
まず事件が発覚したのが七時二十分。発見したのは昨日置き忘れたスマホを取りにきた楓。廊下の窓から、室内の床に食器や調理器具が置かれているのを確認した。鍵を使って中に入ると、『怪盗鈴木』のグリーディングカードを発見した。それに記されていた通り、食器六点とミキサーが盗まれていた。現場は戸と窓に鍵がかかっていた密室。昨日の七時ごろ、高田先生がそれを確認済み。そのとき既に犯行が行われていた可能性はあるが、昨日は料理研究会が鍵を返してから誰一人として鍵を借りた者はいない。更に今日一番最初に鍵を借りたのは楓……。
犯人が楓ではないのなら、犯人は教師の可能性が大きい。
そもそも、犯人が教師だろうが生徒だろうが、犯行の動機がわからない。それにどうしてわざわざ密室なんかにしたのだろうか? それに床に食器などなどを並べた理由も謎だ。 ――ら! 『怪盗鈴木』……なにをたくらんでいるんだ? ――原! なにか壮大な計画の前振りかなにかだろうか?
「風原!」
「はい!?」
先生に思いっきり怒鳴られ、裏返った声を上げつつ反射的に立ち上がった。
「ぼうっとするな!」
「す、すいません……」
「じゃあ、この公式のxの値を答えろ」
じゃあ、ってなによ、じゃあ、って……。
「4?」
「……正解だ」
当たったよ。適当に言っただけなのに。
わたしはため息をつきながら席につく。そしてまた事件のことを考える。犯人がまだ犯行を重ねるつもりなら、動機から犯人を絞るのは難しいだろう。せめてもう一件くらい事件が起きればいいのだが、犯人が一日に二回も犯行を行うとは思えないし、そもそも事件など起こらない方がいい。
わたしは自分の席から楓の表情を伺った。顔は真剣に授業を受ける生徒のそれだが、視線が宙に浮いていた。このままじゃ、割と冗談抜きにやばいかもしれない。わたしも頑張るつもりだが、連太郎にももっと頑張ってもらわないと……。