最有力容疑者
チャイムが鳴ったため、わたしたちは少し駆け足気味に教室に戻っていた。走りながら、わたしは事件のことについて考えていた。現場は密室で、詳しくはわからないけど鍵を借りたのは楓だけなのだろう。ということはつまり、当たり前のことだけど、他にも鍵を開けられる人間がいればいいのだ。合い鍵を持ってる人がいればいいのだが、そんな人はいないのだろう。いたら楓は疑われていない。そもそも合い鍵自体がないのかも。
それじゃあやはり、なにかトリックを使用したのか……。鍵のかかった部屋に入って、鍵を閉めて出て行く。この動作は鍵がないとできない気がする。おそらく犯人はなんとかして鍵を手に入れたのだろう。
ん? 待てよ。鍵なんてなくても、あの手を使えば鍵を開けることができる。そしてそんなことができる人といえば……、
「ねぇ。最有力容疑者を思いついたんだけど」
わたしの言葉に二人は歩きながら視線を向けてきた。楓が口を開く。
「誰?」
「梨慧さん」
その名を口にした途端二人とも、ああなるほど、といった表情になった。
連太郎が足をとめ、腕を組んだ。
「そういえばそうだった。どうしてあの人のことを忘れてたんだろ」
「果園先輩かあ……」
楓も顔をしかめている。
梨慧さんとは、わたしたちと同じ中学出身の一つ上の先輩である。彼女を一言で表すなら『危険人物』だ。クライム映画などの見すぎで、犯罪にとても興味を抱いている人なのだ。一応自制心はあるらしく、窃盗だとか暴行だとかはしないけれど、ピッキングを習得してしまっている。しかも施錠まで行える始末。梨慧さんならば、この事件を起こすことも容易だろう。
「うーん……。なにかの拍子に自制心が消えてなくなってしまった、っていうのは考えられるね」
連太郎がものすごく失礼なことを言うが、そう思われても仕方がない人なのである。
「とりあえず、一時限目が終わったら果園さんの教室に行こう」
◇◆◇
一時限目が終わり、十分の休憩時間になった。しかし、連太郎のクラスは授業が少しだけ延びることに定評のある淵野先生の授業だったので、わたしだけ一足先に梨慧さんの教室に向かった。話を聞くだけならば、わたしだけでも問題はないだろう。
二年の教室がある三階まできたのだが、廊下には大勢の上級生がたむろしている。この光景は流石に緊張するが、別に彼ら彼女らは不良ではないし、不良だとしても打ち負かす自信はあるから大丈夫だとは思うのだが……。ひとまず深呼吸をして、梨慧さんの教室を覗いてみた。
教室全体を見回してみたのだが梨慧さんの姿はどこにもなかった。トイレかな、と思っていると、背後に気配を感じた。勢いよく振り返ってみる。
「ひゃっ」
おそらくわたしの肩を叩こうとしていたらしい小柄な女子生徒が、小さく悲鳴を上げてのけぞった。知っている生徒だった。慌てて頭を下げる。
「す、すいません。貝原先輩!」
「いや、気にしないでいいよ。ちょっと驚いただけだから」
貝原先輩は笑顔を浮かべつつ言った。彼女はわたしが所属する手芸部の先輩……貝原美屋子さんである。
「にしても、よく私が後ろにいるってわかったね。驚かそうと思ってゆっくり近づいたのに」
「い、いえ……なんか、わかっちゃうんですよね」
本日二回目である。なんというか、わたしには後ろを取られると振り返ってしまう性質があるようだ。どこぞの殺し屋のように殴らないだけましだと思うことにしよう。
苦笑いを浮かべていたわたしだったが、貝原先輩の後ろにもう一人女子生徒がいることに気がついた。綺麗な長い黒髪。どこか上品で整った顔立ち。身長はわたしと同じくらいだから、女子にしては高い方だろう。なんとなく眺めていると、彼女が口を開いた。
「美屋子さん、このお方はどなたですの?」
お嬢様言葉、だと!? 現実に使う人がいたなんて……。
わたしはあまりの衝撃で固まってしまったが、貝原先輩は気にする様子はなく、女子生徒に笑顔を向けて言った。
「えっとね、部活の後輩の風原奈白さん。風原さん、この子は友達の北条赤姫ちゃん」
「よろしくお願いしますわ」
北条というらしい彼女は頭を下げてきた。
「こ、こちらこそ……」
挨拶しながら、やっぱりお嬢様言葉だよ、と思ってしまった。しかしながら、北条先輩のお嬢様言葉は険のある感じではなく、けれどおしとやかな感じでもない。普通に、ただ普通に、これが標準語ですよ、と言わんばかりに普通にお嬢様言葉を使っているのである。
そこまで考えて、北条という苗字で思い出したことがあった。以前梨慧さんがクラスメイトにそんな苗字の人がいると言っていた。なんでも、町にある城みたいな家に住んでいるお嬢様らしい。……そうか、この人が。
「風原さん。どうして私のクラスにいたの?」
あっ、そうだった。わたしは慌てて口を開いた。
「えっと、梨慧さん……果園さんってどこにいるかわかりますか?」
貝原先輩と北条先輩の二人は顔を見合わせ、
「今日は休みだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「昨日も休みでしたわね。熱を出したと先生が言ってましたわ」
「昨日も……」
二人の視線もはばからず、つい腕を組んで考えてしまう。じゃあ梨慧さんが犯人という可能性は薄いか……。というか、中学からの先輩を本気で疑っていた自分に引いた。そして、中学からの後輩に本気で疑われる梨慧さんにも引いた。
「奈白」
横から呼びかけられ、そちらを向くと連太郎が早足に近づいてきた。彼に身体を向け、わたしは言った。
「梨慧さん昨日から熱で休みだって」
「そうなのか? ……じゃあ、後で本人に電話で確認してみよう」
言ってることはなかなかに酷いが、彼はわたしほど本気で疑っているわけではないのか、あっさりした調子だった。そんな彼に北条先輩が声をかけた。
「お久しぶりです。間颶馬さん」
「え?」
思わず声が漏れてしまう。知り合いなの? 連太郎に視線を向けると、彼は首を傾げていた。
そんな様子を見て取った北条先輩は自分の名前を連太郎に告げた。彼女の名前を聞いた連太郎は、ああ、とらしくない素っ頓狂な声を上げた。
「北条さんでしたか。お久しぶりです。すいません、わからなくて」
「いえいえ。一度会っただけですし」
どうやら二人は知り合いのようである。どういう関係なのか気になった。後で訊いてみよう。
梨慧さんがいないのならここにいてもしょうがない。連太郎と北条先輩はなにかを話し合うほど親しくはないようなので、そろそろ戻ることにする。
二人に挨拶をして踵を返したところで、貝原先輩に言っておくべきことがあるのを思い出した。振り返る。
「貝原先輩」
既に教室に身体を入れていた先輩は戸から頭だけを覗かせた。
「なあに?」
「今日、部活休みますけど、いいですか?」
先輩はきょとんとした顔になる。
「別にいいけど……なにかあるの? 今日図書委員の日じゃないよね?」
「はい。実は友人が危機的状況でして……。助けないといけないんです」
「うーん……よくわかんないけど、わかった。部長に伝えとくね」
貝原先輩はにっこりと笑って教室に消えていった。優しい先輩だなあ、としみじみ感じていると、再び先輩が顔を覗かせた。
「今日はいいけど、明日はちゃんと来てね」
「え? はい。それは、いいですけど……なにかありましたっけ?」
「校長が視察に来るんだよ」
「ああ、そうでしたね……」
この学校には変な部活動、同好会が多い。中には名前を聞いただけでは活動内容がわからない、なにやってんだこの部、的なものも沢山ある。そんな理由があって、校長先生が直々に各部活を視察して回るのである。
「わかりました。絶対行きます」
この視察であまりにも意味不明なことをやって廃部、もしくは部費カットになる部活が毎年出るようなので、真面目にやらないわけにはいかないのである。
教室に戻る途中、連太郎に訊いてみた。
「ねえ、連太郎って、北条先輩とどういう知り合いなの?」
「僕の母親が、北条さんの父親の秘書なんだ」
「連太郎のお母さんって、社長秘書だよね? ってことは北条先輩のお父さんは社長さん?」
連太郎は頷いた。
「三年前に一回だけ、北条さんの家で主催されたパーティーに呼ばれたことがあるんだ。そのときに会った。まあ、挨拶しただけだけど」
「ふぅん……」
二人の間に特に繋がりがあるとかじゃないらしい。大丈夫だとは思っていたが、少しほっとした。
連太郎はどこか視線を宙にやりながら言う。
「話したのはちょっとだったから、僕は殆ど忘れてたけど、北条さんは憶えてたみたいだね。すごい記憶力だ」
彼はそこまで言うと、それはどうでもいいんだ、という表情になった。
「一応、確認のために果園さんに電話してみよう。まあ、流石に違うと思うけど」
わたしは頷き、階段の踊場で梨慧さんに電話をかけることにした。連太郎も立ち止まって、わたしのスマートフォンに耳を近づけくる。
熱を出しているのだし、出られるだろうかと心配になったが、梨慧さんは三コールで出た。
『もしもーし。どうかしたのかい?』
いつもなら、いつまでの聞いていたくなるようなよく通る低い声なのだが、今回は声に気力がなかった。
「風原ですけど」
『知ってるよ。なんの用?』
「熱を出して休んでいると聞いたので、大丈夫かなあ、と思いまして」
『あいにくと、まったく大丈夫じゃないね。さっき熱測ったとき、九度二分だったから』
「それは、ご愁傷様です……」
『まあ、こんな御託はいいよ。結局なんの用なの? そんなこと言うためにわざわざ電話してきたの?』
「いえ、実はですね……」
わたしは事件のことを梨慧さんにざっくりと説明した。それを聞いた梨慧さんは納得したように言った。
『なるほどねー。君はピッキングで開錠、施錠できる私を疑っているわけだね?』
「そういうことですけど……違いますよね?」
『違うね。親に訊けばわかると思うけど、仮病じゃないしさ。それに外にも出てないよ』
まあ、そうだよね。ちょっと安心した。どうやら梨慧さんの自制心はまだ健在のようであった。……でも、せっかく電話したんだし、なにか訊いておくことはないか……そう思っていると、梨慧さんが愚痴り出した。
『だいたいねー、怪盗なんて目立ちたいだけの自己顕示欲の塊だよ? わたしがそんなものの真似をするわけないでしょ。やるなら目立たないようにやるし、犯行声明なんて出さない。そんなことをやってるうちは二流だね。一流は事件の規模だけで勝負するものさ。こんな二流の犯行で私を疑うなんて、失礼しちゃうよ』
「そういうこと言うから疑っちゃうんですよ」
肩をすくめてしまった。この人は本当にもったいないと思う。こういうこと言わなければ普通に美人なのに。
「……梨慧さんから見て、この犯行はどう思います?」
『どうって言われてもねー』
梨慧さんは電話越しに逡巡する間を置き、
『……そうだね。犯人は怪盗って名乗ってる。もしかしたら、また犯行を重ねるつもりかもしれない。いや、もしかしたら、君たちが知らないだけで、既に他にも犯行が行われていたりして……。知らないけどね』
それを聞いて、確かに、と思った。犯人がわざわざ犯行声明を出したのだから、その可能性はなくはないのだ。
『それじゃ、そろそろ頭がぼーっとしてきたから切るねー』
「あっ、はい。ありがとうございました」
通話終了。
わたしは連太郎を見た。彼はこくりと頷いた。
「果園さんの言う通り、その可能性も考えてはいたよ」
「どうするの? 調べることが増えちゃったけど……」
犯人が既に何件か犯行を重ねているのなら、それも調べないわけにはいかない。しかし、こちらには時間がない。不特定多数の部活に、あったかわからない事実を訊いて回る、というのは大変だし時間がかかる。そんなことしてる暇はない。しかし連太郎は、
「まあ、その辺は圭一に訊いてみるよ」
「あっ、その手があったか」
圭一とは、わたしたちと同じ中学の同級生で連太郎の友人、坂祝圭一である。どこから拾ってくるのかわからないが、やたらと変な情報を保持しているのだ。この学校のことにも詳しい。彼ならなにか知っているかもしれない。
唐突にチャイムが響き渡った。わたしと連太郎は顔を見合わせ、階段を急いで下る。やっぱり十分じゃ短すぎる。せめて昼休みくらい長くないとなあ……。