甲状腺上のマリア
ごめんね、蟲分があるから、ごめんね。
苦手な方は回れ右願います。
彼女は、人と呼ぶのははばかられる容姿をしていた。
人の身体ではある。だが、その背中からは蟲の脚めいた触腕が十対生えており、その額には細長い触角がある。眼の形は人と変わらぬが、その瞳は六角形。
蟲と人間の混ざり物。
全く異質な、蛇蝎の如く嫌われる存在である。
好き好んで蟲の子を孕む女など居ない。彼女の母は哀れな女であったのだろう。産まれた子を見て、すぐに山に棄てたのも無理もない話だ。
誰も入ることのない廃坑。残された小さな魔術の灯り。暗くなることのないその灯りが照らす、薄暗くて狭い坑道。それが彼女の世界の全てであった。
友達は蝙蝠、鼠、小さな虫。
食料も蝙蝠、鼠、小さな虫。
ある日、大きな音がした。落盤だろう。蟻の巣のように入り組んだこの坑道は、破棄されて長い。小さな落盤で今まで行けたところに行けなくなるのはよくあることだ。だが、今日の落盤は大きいようだった。
もっとも、彼女には関係のない話だ。ここには灯りもあるし、地下水も湧出している。食べ物にも飲み物にも困らない。ここから離れなければ済む話だ。
足音がした。今まで聞いたことのない、大きな足音。
少しの間の後、人間の女が現れた。
「……アマルガムッ!?」
人間が何を喋っているのか、アマルガムは理解できなかった。ただ、驚いているのが表情でわかった。
人間はキラキラしたものを構え、しばらく警戒を解かなかった。何をそんなに警戒しているのか、アマルガムは理解できなかった。何度も首を傾げるアマルガムを見て、人間はキラキラしたものをしまった。警戒を解いたのだろうか。
「……害はなさそうだね」
人間は喉が渇いたのか、地下水を口に含む。
「ふー」
初めて見る人間は綺麗な人だった。こちらの視線に気付いたのか、人間が振り返った。
「……あんた、宿屋のおかみさんにちょっと似てるね。ひょっとしたら……。あー、失礼なこと考えちまったー!!」
人間の声は坑道の中によく響いた。初めて聞く人間の声。こんなにうるさいものだったのか。
「さて。アタイはシェリー。お宝があるって聞いてここに来たのはいいけど、出口が塞がれちまってね……」
人間が何を喋っているのか、アマルガムには理解できなかった。
「一応助けは呼んだから、助けが来るまでしばらくここに居させてもらうよ。悪く思わないでね」
何度も首を傾げるアマルガムを見て、シェリーは察したようだ。
「あー、言葉、わかんないか。ここに、居るから。いい?」
地面を指差して、寝るようなジェスチャー。アマルガムはシェリーが何をしようとしているのかを理解したようだ。危害を加えないのなら、ここに居てもらっても構わない。笑顔で返答する。蝙蝠、鼠、虫以外の友達。食料でない友達
「おー。笑顔、案外可愛いじゃん。蟲の脚は勘弁だけど……」
シェリーはアマルガムの頭を撫でようとしたのだが、触角を見つけ、思いとどまったようだ。代わりに肩を叩く。
「食べ物、どうしてんの?」
シェリーが食べるジェスチャー。彼女はそれを見て、灯りの近くにいた虫を捕まえて、お近づきの証にとシェリーに差し出す。
「あーいや大丈夫、間に合ってます」
シェリーは苦笑して、手を振った。腰袋から携帯食料を取り出して、アピールしてみせた。
外では数日が過ぎた。無論、この中ではわかるはずもなく。
シェリーは退屈を紛らわすためにか、アマルガムに何度も話しかけた。アマルガムにはシェリーの話している言葉が理解できなかったが、笑顔を見せるとシェリーが嬉しそうにするので、笑顔のままでいた。綺麗なシェリーが嬉しそうにしていると、こちらも嬉しくなる。
「アマルガムも悪い奴ばかりじゃねぇなぁ……」
シェリーはそう呟いて、アマルガムの肩を抱き寄せる。胸が少しどきりとした。今までに味わったことのない感覚。
「助けが来たら、一緒に外に出ような。可愛い服、見繕ってやるから。着飾って化粧したらさ、絶対可愛くなるぜ、お前」
当然のことだが、アマルガムは服を着ていない。
「大丈夫。きっと、助けは来る。きっと」
シェリーの言葉は、自分に言い聞かせているようだった。
食べ物がなくなった。
蝙蝠も、鼠も、虫も。シェリーの携帯食料も。
入り口が塞がれたのだ。外から迷い込んでくる動物はいなくなった。坑道に住んでいた動物も食べてしまった。
「なんでだよ! なんで助け、来ないんだよ!!」
空腹からか、シェリーの語気は荒い。言葉の意味はわからないが、怖さは伝わる。そして、彼女の不安も。
「来るって言ったじゃねぇかよ……。見捨てんのかよ……」
どうすればいいかわからない。そっと、隣に座る。
「ああ、悪いな……。怖がらせたかな……」
シェリーは苦笑して、アマルガムの肩を抱いた。
不安は空腹のせいだ。飲み水はあるのだから。なら、シェリーの不安を紛らわせるには。
アマルガムは背中の脚を一本、自切した。それをシェリーに差し出す。
「え? 何?」
口をぱくぱくと動かして、食べるジェスチャー。アマルガムは何度か自分の脚を食べたことがある。再生はするから大丈夫だ。
「食べろって? これを? いやいやいや! お前の身体だろ、食べれるかって!」
シェリーが拒絶しているのは伝わる。大丈夫。食べられる。美味しい。笑顔を見せる。
「なんだよその笑顔……。……切ったものはしょうがねぇか。背に腹は代えられないし……。いいよ、貰うよ」
シェリーがアマルガムの脚を受け取った。よかった。これでお腹も膨れるはず。
「……どうやって食うんだ、これ」
アマルガムの脚は外骨格に覆われており、女性の腕ほどの太さがある。大丈夫、そのまま食べればいい。あまり身の詰まっていない先端のほうをそのまま食べてみせる。
「いや、お前みたいに顎強くないからさ。……カニみたいにすればいいかな」
シェリーはキラキラしたものを取り出して、外骨格を剥がしていく。そんな食べ方があるのか。
「……じゃあ、いただきます」
シェリーはこちらに礼をすると、脚を食べた。どうだろう。美味しいだろうか。
「……あ。美味い……」
シェリーは脚を食べきった。美味しかったのかな。美味しかったら、嬉しいな。
「……感想、聞きたいのか? 美味しかったよ、お前の脚」
シェリーが微笑んだ。美味しかったようだ。なんだか嬉しい。
「でも、こういうの、もうやめてくれよ。お前が痛い思いするの、嫌だから」
シェリーがアマルガムを抱きしめる。また、どきりとした。顔が熱くなっているのがわかる。アマルガムも自分の腕と、背中の脚で、シェリーを抱きしめた。
さらに日が過ぎた。
アマルガムの脚は半分なくなっていた。二人とも、体力の消耗を防ぐため、横になったまま動こうとしなかった。
たまにこちらを撫でてくるシェリーの指が心地よかった。
「……ごめんな。あんなこと言っときながら、お前の脚、半分食っちまって……」
大丈夫。シェリーのような綺麗な人に、困ってほしくないから。
「生まれ変わったらさ、友達に、なろうな。アタイからだけじゃなくて、お前からも、話しかけてくれよ」
シェリーは微笑むと、アマルガムを抱いた。
「ううん、友達じゃなくて、恋人でも、いいぜ」
シェリーの腕に込められた力が、少しだけ強くなった。また、あの感情。どきりとして、胸がちりちりする、不思議な感情。
「……しぇ、り?」
シェリーの名前を呼んでいた。幾度となく聞いた、大切な単語。
「お前、アタイの名前……」
シェリーが驚いたような表情を浮かべる。
「しぇり、しぇり。しぇりー?」
「バカ。そんなことされるとさ、ヤバいって」
シェリーは優しく微笑むと、アマルガムに唇を重ねた。突然のことに戸惑うが、今までにない胸の高鳴りを感じた。気がつけば、身体が勝手にシェリーを抱きしめていた。
アマルガムの脚が全てなくなった。
空腹。自切痕の痛み。だが、シェリーに抱きしめられていると、それらは不思議と紛れるのだった。
「……もう、ダメかもな」
「しぇりー?」
「だけど、怖くねぇよ。お前が一緒だから、な」
言葉の意味はわからない。だけど、シェリーとこうしていると、とても落ち着く。緩やかに死んでいくだけとなっても、シェリーが一緒なら、怖くない。
後悔なんかない。そう。すでに自分の身体はシェリーの身体に溶け込んでいるのだから。
アマルガムはシェリーの温かさに包まれながら、そっと目を閉じた。
アマルガムの身体が少しずつ冷たくなっていくのがわかった。
「……嘘だろ。嘘だろ、おい……」
アマルガムの頬を撫でる。反応がない。眼も開くことはない。
自分のせいだ。自分が、アマルガムの脚を食べたから。それで、自分だけ生き残るなんて、そんな。
泣いた。ただ、泣いた。どこにそんな声が残っていたのかわからないが、大声をあげて泣いた。
悲しさと、寂しさ。そして、自分への嫌悪。それらが混じり、ただただ泣いた。
アマルガムの冷たい身体を抱いたまま、ただただ泣いた。
静かな坑道の中に、シェリーの泣き声だけが響いた。
坑道に入る者は、誰も居なかった。
読んでいただき、ありがとうございました。タイトルは人間椅子の楽曲から。
友人が百合短編を書いたのに触発されて半日で書きました。バッドエンドでごめんなさい。
最後はシェリーだけ助かるのも考えましたがそれは美しくないのでやめました。
蟲娘はいいぞ。