フラッシュコースト
A person who has lost their mind, dream.
Those recoil been brain show……
2091年――誰も自分を壊せない。彼は強く妄言していた。
少年の胸部が収穫間近のプラムになるまで、軽く半日を無駄にしていた。
彼は生かされていたが、感覚神経に支障をきたし自身と死の距離さえ怪しくなっていた。
「――寒い」
街を圧迫するように緊密な天井が霞むことはない。悪趣味な園芸の如く、蔓延るダクトの山。天地に群がるパイプに、生い茂るニクロム線の束。
通気口から漏れる雪の光が、養護施設の屋根にも積もり続ける。
窓の淵に仰向けで縛られている彼には、血と雪が流れる様を感じることしか許されなかった。
静脈が浮き出た腕は、手錠を抜けない生命的にもギリギリの細さであった。雀斑一つない彼の肌は、白く死人のように薄っすらと青い。大きな瞳は卑屈なタレ目のお陰で、辛気臭さだけが残る。マセガキと言われる顔つきも他人からすれば、違和感のないものだった。
一人の少年が口枷のバンドを彼の後頭部へと回すと、ゴムホースを彼の口に突っ込んだ。
彼は抗うこともなく、ただ呆然と雪の光を見つめていた。
「そろそろ喉が渇いたころか?」
錆びついたバルブが回り、金切声と共に雨樋の溜水が蛇のように彼の食道へと流れ始めた。
感覚が遠のく度、"反射でむせ返る自分"をガラス越しに傍観している錯覚にとらわれた。
高熱で溶けたチョコレートの様に、ドロリとした血が彼の耳から垂れていた。
「コイツ本当に人間か?やっぱり、どうみてもドロイドだろ?」
声の主はセーターについた血を不機嫌そうにこすっていた。
血の跡が取れないと諦めると、彼の剥がれかかった足の爪を1枚ずつひっぺがした。
軋むような悲鳴が漏れ、彼の喉が広がり自然と水の勢いが増した。
少年は腹を抱えて笑っている。
「彼は人として生きている。
だが、ワクチン、モディレート共に0%の人間はロゴットスには存在しえない」
また一人、少年が口を開いた。
セーターの少年に比べ、端正な顔立ちと白髪が中性的な風貌を感じさせた。
「超純水みたいなものなんか?」
「そうかもしれなあ。しかし、行き着く先は……」
「宍喰、随分な入れ込みようだな」
「下に住まない人間が、ビジネス抜きでここに来るか?」
宍喰と呼ばれる少年は、彼の足元の椅子に腰かけ透き通るような笑声をこぼした。
「教えてくれ、君は何者だ?」
窓から乗り出していようとも、無垢な声の主が狂気に満ちていると感じた。
息が詰まる度に喉彦を締め上げられ、舌がひきつる。
彼の目から涙が垂れ流れ始めると、つま先の奥手からハイヒールの音が近づいてきた。
「貴方達、何をしてるの!?」
少年達は、ぶつぶつと呟きながら部屋を後にした。女は少年達の背中を見届けると、余韻を味わうように彼を黙殺する。女は嗚咽を上げ続ける彼に、ゆったりと歩み寄った。乾燥に蝕まれたボロボロの金髪が、彼の肩から腿に垂れかかる。口枷のバンドとホースが外され、手足の拘束が解かれた。彼の瞳は酷く淀んだままである。
女は彼の耳元で囁いた。
「帰りましょう」
女は、彼を抱え自室へと足を運んだ。彼の体からは、肋をはじめ骨盤から踝に至るまで筋と骨のみが浮き上がっていた。
ダイエット中毒のOLを凌ぐ痩せこけた体から、血を拭き取るとソファに掛けるよう促した。
部屋に漂う湿気と生暖かい空気は、彼に憂鬱感を強いる。香水の臭気が血だまりの鼻道をズカズカと刺激してきた。
彼は、大量の家具に見張るように囲まれ、ただ天井のシミを数え続けた。
柄や色彩は勿論のことブランド、趣向、時季ともにバラバラの異物たちが、百本の手で指折り数えても足らないのだから心が安らぐ分けなかった。
以前訪れた時に比べ、吸い殻の山が10割増しになり、立てかけてあったフォトフレームは消え、代わりにシュレッダーが泡を吹いていた。
彼は日に日に荒れていく部屋に女の精神が重なるように見え、不安の他なかった。
なにより女には"焚浦"と言うまともな名前があり、自分にはない時点で十分にまいっていた。
女と部屋の惨状を目のあたりにし、何かに脅されたように彼の口が開いた。
「僕の、僕の名前は?」
「忘れてしまったの?だから答えないのか?」
彼が声を荒らげようと、女は彫刻のように顔色一つ変えるフリさえしない。唇は浅黒く、情の色は一滴もそのルージュに混ざってはいなかった。
「聞こえいているのか!?」
彼が喚き出すと彼と女の身長差が一気に縮まり、女の指が彼の唇にあてがわれた。
「名前は大切なものよ。自分が覚えていなくちゃ駄目でしょ」
女は厚ぼったいルージュで接吻を逼った。
肉体的なモノとは別種の汚泥が彼の脳溝に迫っていた。
彼の視線は窓の外にいっていた。
降り落ちる雪の一筋は、空に輝けぬ貧者の数に等しく果てない。
慰め物である時のみ、雪に自分をみせかけ悲観に浸っていた。
彼自身、何時から始まった事か覚えていない。
むしろ、考える気はなかった。
運さえ生まない悪夢に逃避する意味などマセガキの彼にはミミズ一節の価値もなかった。
気付くとオートファンクションの電源が切れており、生温かい空気と香気の代わりに、
ヤニ特有の悪臭が彼の嗅覚器を刺激していた。
女は鼻がおかしくなっているようで、気兼ねなくいびきをかいていた。
辺りに衣服をブチ撒け、汗臭い中でソファの上にうなだれる様にして横たわっていた。
彼は女にブランケットをかけ、ゆっくりと立ち上がった。
女は生まれたばかりの姿で股を広げ、酷い隈と赤くくすんだ肌に苛まれていた。
保母さんとは思えない底なしの悪女だが、彼にとって"嫌いな人間"と言い切るには少しばかり言葉足らずでもあった。
部屋を後にすると扉の横でに、少年が壁にもたれていた。
部屋の事を他人に悟られたかと案ずいたが、頭一つ抜けたシルエットが彼の数少ない知り合いの物だとすぐに気づいた。
「おい、大丈夫か?停電したから心配したよ」
「吾妻、僕の名前は決まったのか?」
吾妻は太く引き締まった首を横に振った。
「A-120の5K番。切りよくて、俺は好きだけどな」
「俺は呼ばれる度に、不快感を味わうんだ」
「何でだよ?一秒も光が差さないC塔に比べればマシだろ」
「"穴"から血を出されて死んだ奴と比べるなよ。ともかく俺は、名前が1字しか変わらないのが
ウン十人もここに居て、俺もその内の1人にすぎないと思うととち狂いそうなんだよ」
彼は、施設で善き児童として貢献してきたと自負していた。
しかし、今だ登録番号しかない囚人の自分に不安を抱えていた。
自分の後に続く孤児達が、坦々と名前を手に入れて行く姿を見届けていった。
彼は名前のために自らを施設の捌け口に落とした。滾る憎しみと憎悪を自らの精神へとくべる日々。あえて自身を捌け口に落とし、どん底から希望を拾い上げる。それは目的であり皮肉にも自分を守るための存在証明でもあった。
「そんな焦ることないだろ?俺から見れば、"施設内通貨"貯金せずにオッサンになって、
摘み出される奴よりお前のがよっぽど人間らしいと思うがな」
「何回目だよ、そのセリフ?」
「取り敢えず今は体を大事にしろよ」
吾妻は、彼を肩に背負い医務室へと向かった。
あの少年達と出会って以来、毎日のように顔を合わせる道だ。
彼にとって歩き慣れた道であったが、彼自身の傷以外のモノが彼にピリピリとした緊張感を漂っていた。
目を凝らすと医務室から奥の道へと大量の液体が撒かれているのが分かった。
床だけではない。壁や天井――いたるところに"ソレ"がふりかけられていた。
不衛生かつ治安の乱れたこの施設でも、動物の排泄物がそこらにあるなんて事はそうそうなかった。
近づくにつれて独特な異臭が強くなっていった。
次第に"異臭"が喉に絡みつき、咽返らずにはいられなくなった。
「なんだろうこの刺激臭?」
「吾妻、今頃気付いたのか?口を塞いだ方がいい気がするぞ」
「どういう意味だよ。うるさいってことか?それとも有毒ガスか?」
その時、医務室の扉がギシギシと開き、ふらりと男が現われた。
真っ黒のぼろ布をまとった長身、痩せこけた顔と貧相でか細い眼鏡。
この施設に収容できる歳でもなければ、職員でもない。
未熟な彼にも容易に感じ取れることだった。
何よりも、彼が目を背けられなかったのは、男の人差し指に吊られている拳銃だ。
この地下都市を開拓した結果、カジノを凌ぐ治安悪化の根本となったがヤクイ自体は今でも行政がある限り銃刀法は厳守されていた。
男は、ぼろ布の内側から煙草を取り出すとそのまま逆さまに咥えて見せた。
男と彼を隔てているのは壁一枚であるにもかかわらず、彼は慎重に足を動かした。
胸の心臓は大きく波打ち、大きく見開かれた瞳の目頭が熱を持つ。
視線と感触は1メートル先のボーペンを握り締めていた。
這いつくばる自分の影に一回り大きい立姿が重なった。
「そこに隠れているんだろうおチビちゃん?何も捕って食ったりやしないさ」
恐怖に仰がれ考える間もなく口がすべる。
「煙草は便所か外にしてくれ。こっちは、今すぐ肺が潰れてくれれば大助かりだがな」
男はボールペンに伸びた彼の手首を踏みつぶし、煙草を吐き捨て新しい煙草に火をつけた。
「何だボールペンで殺す気だったのか?大人をからかっちゃいけない。
まぁ、これからホールでパーティなんだ。同じ穴の狢だ、穏やかにいこう」
吾妻は急な展開に飲まれながらも、広間へと連れて入かれる彼の背中をつけた。
吾妻には"番号の少年"は苦しみを他人に譲りたがらない強い人間に見えていた。
そして、不器用で無鉄砲な分は自分が手を貸す――そういう仲であると。
ホールには大量の子供達と職員が拘束されていた。
垂れ流れる血と子供の泣き声や叫び声で辺りは渾沌と化している。
「怯えているのか?」
男は嫌らしい笑みで尋ねた。
「何がしたいんだよ?」
「制裁だ。同士なら分かるだろう?」
「煙草はクズの食いモンだ」
「ソイツは、同感だ」
「なら……」
男は煙草を摘まむと自分の舌に捻り潰して見せた。
男が次に口を開く時には、喉仏が頷いた後で爬虫類の肌のように焼け焦げた舌が見えた。
「俺もお前もここで育った。ここの糞みたいな環境下で俺は真人間になるために、一生分の金をすえて勉学に励んだ。この苦労がお前に分かるか?」
「…………」
「分かるまい。オマケに"上京"するだけで、ここでの生活費一年分に匹敵する交通費を叩たいたんだ。今日も同じだ」
「検問。だが検問の奴等は国民証の提示を求めたっきり、すっとぼけて返しやしない。
転売か"型"でも作って儲ける口だろう。
俺はその瞬間ここに存在しない者になった。死人に口なしってやつだ。
残ったのはヤニ臭い肺に不味い腸と空骨の俺だ」
男は子供の様に怒り狂い、悪魔の肌の様に頭に血を上らせた。
だが、彼は興奮している男に油を注いだ。
彼は男の話は愚か、それを告げた男の声から存在自体、拘束されている孤児と職員達さえも否定していた。
「俺なら上に出ても、お前より上手くやれる」
「なら今度は君の番だ。銃を握れ」
命の反義を突きつけられ、彼はあっけらかんと銃を見つめていた。
小さい体を換気扇のざらついた冷風が引き締める。
彼の指は熱く、汗で湿っていようとも金属のトリガーは冷たく、彼の疑問に答える程の誼もなく、何らかの拍子に弾かれるほど柔らかくもない。
「ここにいる人間を撃ち殺せ」
彼には分からなかった。自らの未熟さを省みることで許される子供は、一世紀前までである。
甚だ可笑しい話だ。
幾ら自分をコケにする奴がいようとも自身の手は染めることなく、自ら道化を演じて見せた。
逃避し続けた死への恐怖を見透かされ、彼は引き金に指を掛けている。
渾沌とした彼の無の表情に、一人の少年がおののくようにわめきだした。
「銃口をこっちに向けるなよ。
やっぱり俺を怨んでいるのか?」
男の口元が緩む。
「ソイツは君に殺されても当然の事をしたんじゃないのか?」
「しゃべるな」
「酷い奴だ。最低な奴だ。
こういう人間は生きていても、屑の掃き溜めから這い上がろうともしない」
「オマエの性なんだよ。焚浦おばさんも全部、オマエが来た時から歯車が狂っちまったんだ」
「撃ちころせ!」
「化け物が!」
「黙れ!」
少年と銃口が重なった。自分に魔の手が向けられている。
己の正義が死神を殺す。少年は鉄パイプを拾い上げ、彼に向かって走り始めた。
少年の泣きじゃくった修羅のような顔が上がった瞬間、発砲音がホールに木霊沈黙が生まれる。
少年は後ろの壁へと叩きつけられ、腹部からどす黒い血が流れ出る。
ひと時の静寂が破られ、再び渾沌の波が訪れると彼の視界から一人の影が消えた。
反射的確信であった。少年の仲間か職員、誰かが自分に殺意を向けている。
天秤にかけられた精神が大きく傾いた。
彼の目と照準が影を追い、引き金が頷いた。
迷う事なく引き金が引かれた。
だが、込み上げる硝煙の先には彼より年下の少女が血を出して、うずくまっているだけである。
銃を撃たねば殺される――目の前には多くの殺意の芽がある。
自分には撃つ余地しかなかった。
まるで黴臭い天井の雨漏りのように涙が流れる。
常軌を逸した人々の叫びと男の笑い声に乗じて、焚浦が電話に飛びついた。
「電話線に触れるな」
銃口とかれの殺気は男に誘導される前から女を咎めていた。
しかし、あからさまに躊躇っている様子が男にも見て取れた。
「ガキ、あの女も撃て」
「何でだよ」
「兄弟だろ?」
「誰がいつ認めたよ」
「同じ貴方の狢言っただろ?」
彼は咄嗟に、男の顔から焚浦の顔色に気をとられた。
「何でだよ?」
「男の話はデタラメよ。だだの憂さ晴らしに――」
「もう、答えたつもりだったが。同じ穴の狢の兄弟ってことだよ」
彼は男が言い切る前に、激情を引き金に預けた。
傷口から流れる血と共に焚浦が倒れ、流れ弾が巻かれていた灯油に引火した。
焚浦に続いて一人、二人と火の手に飲まれ叫び悶えていく。その様を男が眺めて腹を抱えて声を出す。
断末魔がダイキャストの室内に木霊する中、彼は呆然と雪の光を見つめていた。
人の悲鳴と同じく炎に消える雪の光。我を失ってなお、彼の右手には拳銃が強く握られていた。
「逃げよう、このままじゃお前自身も死ぬぞ」
吾妻は答えようとしない彼の手を握り、部屋を出ようとするが彼の足は一向に動かない。
「こんなはずじゃ……」
「何ぶつくさ言ってんだ。不本意じゃないだろうがここから生きて外に出れるんだ。この機会を逃がした次はないかも知れねぇぞ」
「俺は、俺は……」
「近くに、自立入植地がある。そこまで行けば飯や寝床にもありつける」
吾妻は彼を担ぎ、ひたすら雪道を走った。吾妻にも彼の戯れ言に付き合えるほどの余裕はなかった。
吾妻の中でも彼のした行為は理解できるものではなかった。
友人の鬼の様な姿に足がすくみ、無力な自分を棚に上げる気にもなれず腹の居心地が悪くなるばかりだった。
未だに現実味がなかった。分からないことは忘れることしかできない。
東の頭の中はその一点張りであった。
裏路地の林道を抜けると、高いビル群が鋼鉄の空を突かんとばかりにそびえたっていた。
二人には開通し間もないベッドタウンとだけ耳に入っていた。
古臭いネオンのうるさい娯楽街だった。
だが、彼等は娯楽街に行った経験は愚か、ネオンの色を初めて目にしたのだった。
人の噂に流されるまま吾妻の言う自立入植地の土地にたどり着いた。
赤水を被った大きい事務所が有刺鉄線の中で落ち着いていた。
苔臭いレンガ調のキャバレー臭い風情が、彼等にこの上ない不安を仰がせた。
「もういい吾妻、おろしてくれ」
「いや、もう少し辺りを見渡しに――」
「寝床と食事。目の前にあるんだ。逃がす手はないだろう?」
彼は、雪を見る目を吾妻の瞳――吾妻の後ろで佇むキャバレーにやっていた。
やけに高いステップを気にせず駆け上がり、ドアノブを引く。
「ご来店有り難うございます。」
開いたドアに反応し、色濃い中年女性の電子音声が流れる。
無知と言うものを呪った。
高さ2メートルしかない空間に人か獣かも区別のつかない声が響く中、店員と客が出入りしていた。
客の前には人間が疼くまっているゲージが縦に4つ並び、その列が数メートル先まで続いていた。
ゲージの前には名前・性格・値段のプロフィールがガラスに貼り付けられていた。
「何だこれは」
彼を育てた街――都下先端効率再生区、俗称「ロゴットス」。
第三話読んでいただき有り難う御座います。
第2話からかなりの時間が経ちましたが、残念ながら熱意は全く癒えてません。
これからも宜しくお願いします。
ご感想やアドバイス、だだの雑談も募集中です!