レベル4
異世界の夢を見た。
まるで絵本の中のような、美しい街並み。見たこともないような文字の羅列の看板。獣の耳や尻尾を持つ人々、さまざまな種族。剣を持つ者、盾を売る者。行き交う冒険者たちと、待ち構える商売人たち。
町の喧噪はすべて異国の言葉で彩られていて、意味の分かる会話は聞きとれない。
広場のようなところでは、大きな人だかりができていた。その中心にいる奇抜な格好をした男が、何やら魔法を使った見世物をしている。
自由に浮遊できるらしいおれの視界は、そのままふわふわと広場を通りすぎ、街中も通りすぎ、大きくて厳めしい屋敷の、仰々しい門をも通りすぎた。
屋敷をぐるりと回り、裏側の森の中を進むと、威圧感のある屋敷とは正反対の、開放感溢れる美しい花畑に行き当たる。
黄と、白と、橙と、ピンクと。
とにかく明るくて優しい色だけを集めて、それらを丁寧に塗り込んだような、嘘みたいに綺麗なところだった。
よく見ると、そこには小さな男の子がいた。
淡いアッシュブロンドの髪が、陽の光に輝いていて綺麗だ。顔立ちも、幼いのにとても整っている。
一人で花の中を進んでいた男の子は、顔を上げた途端、花たちに負けないくらいの笑顔を咲かせた。
彼の視線の先には、これまた綺麗な女の子がいた。
彼女の傍に、男の子がうれしそうに駆け寄る。彼女もほんの少し微笑んで、彼の頭を優しくなでた。男の子は目尻を下げて、何かを言う。意味は分からないが、声が弾んでいることだけは感じとれた。
女の子は男の子よりは年上のようだけど、まだ子供であることは、顔立ちに残る幼さで分かる。けれど彼女が纏う雰囲気には、大人顔負けな厳かさがあった。
「リンカ」
男の子が紡ぐ異国の言葉の中で、唐突に耳に引っかかった音があった。
ん? リンカ?
どこかで聞いたような響きだ。あれ、どこだっけ? 最近、近くにいたような……。
優しく風が吹く。少年少女の髪がなびく。
肩まである砂色の髪がさらさらと揺れて、女の子は目を細めた。それはそれは美しい、透き通ったアイスブルーの瞳で……。
あれ?
――――葉澤?
聞き慣れない音で目を覚ます。
急かすような、けれど目覚まし時計とは違うメロディーを発するそれに、無意識に手をかける。半分まだ夢の中のおれは、身体が覚えている動作でボタンを押した。
「んん……葉澤?」
目を瞑ったまま、何故かそう口にしていた。
《ミツロー! って、え? 葉澤?》
蘭太だった。
おれは飛び起きた。そういえば、いつ蘭太から連絡が来ても気づけるように、ケータイのマナーモードを解除していたんだった。
「ら、蘭太! おまえ、無事か!? どでかい敵はやっつけたのか?」
《おう! 大変だったぞー! まあ、だからその、また連絡するの遅れて悪かったな》
「いや。無事ならそれでよかった」
前の通話の時よりは、蘭太の背後は静かだった。どこかの建物の中だろうか。
「てか、今は落ち着いて話せるのか?」枕元の目覚まし時計を見やる。まだ朝の5時だ。「もうわけの分からんことばっかりで、頭爆発しそうなんだよ。おまえに聞きたいことはたくさんあるし」
《あー、悪い悪い。前はすごーく気になるところで電話切っちゃったからな》
「ほんとだよ。おかげでおれの心は見事に掻き乱されたぞ」
大げさな口調で、意地悪くそう言ってやる。蘭太は悪びれずに笑う。
《悪かったって。今は大丈夫だから。てか、オレだってそっちの様子聞きたいんだよ。オレって今どんな扱いになってんの?》
「普通に行方不明扱いだよ。母親が捜索願出したって」
《うわあ、まじかよ……一か月半も行方不明になってたら、もう諦められてんじゃねえの?》
「え?」
《それよりさ、さっき電話出た時『葉澤』って言ったよな? 何おまえ、葉澤と仲いいの?》
「おまえ、今、何て言った?」
《葉澤と仲いいのかって。いつの間に連絡先交換する仲になったんだよ?》
「違う、その前!」
《ん? もうオレの捜索諦められてるんじゃねえかって話?》
「……おまえ、まだ、いなくなってから3日も経ってないぞ」
《え。…………マジかよ》
「……マジだな」
ああ神よ。何故だ。何故こんな設定を突きつけてくるのだ。
現実と異世界の時間の進み方が違うなんて、完全に王道じゃないか!
異世界でかなり長い旅をしたのに、帰ってきたら1日経ってなかったり、逆に日本の昔話では、現実の方の時間が経ってしまっているものだってあるし!
おれは一人で心躍らせていたが、向こうの蘭太は絶望的な声を発した。
《何、実際、オレがいなくなってからどれくらい経ってんの? 2日?》
「土曜日の夜にいなくなって、今は火曜日の早朝……だから、2日半くらいだな」
《え、何、これどうすんの? こっちはもう一ヶ月半経ってるんだけど! オレ、元の世界に帰った時はどうなってんの? こっちで成長したままの姿でそっち帰るとか、アレじゃね? 浦島太郎状態じゃね?》
「いや、逆だろ。こっちでの短時間が、そっちでは長い時間経ってるんだから」
《うわああ! じゃあ何、せっかく帰れても、オレだけお爺さんになってるかもしれないってこと? 何の罰ゲームなのそれ!?》
ああ、ダメだ。
蘭太、嘆いているところすまないが、正直、めっちゃ羨ましい。
電話の向こうで「早く、一刻も早く帰る方法探さねえと! オレが別人になる前に!」と取り乱している蘭太に、モヤモヤとした感情を抱かざるを得ない。
おれの憧れる異世界で「帰りたい」と嘆く蘭太。電話越しでしか感じられないファンタジー。こんなの、生殺しじゃないか。
おれにとっても、これは罰ゲームだ。