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レベル3

「大丈夫?」

「……いや、あんまり」

 いろいろな想像と感情がない交ぜになって、おれは倒れそうだった。ぼんやりしているおれの目の前で、葉澤が白い手をふらふらと振る。

 葉澤はおれの瞳を、訝しそうに覗き込んでいる。おれは彼女に焦点を合わせた。

 葉澤のアイスブルーの瞳を見ると、ミント味の飴を口に放り込まれたみたいに、少しだけ頭が冴える。

「今の電話……本当に穂坂からだったの?」

「ああ。確かに蘭太だった」

 おれが、蘭太の声を間違うはずはない。

 けれど、おれの即答にも納得していないようで、葉澤は眉間に少ししわを寄せた。

「……本当に、電話はつながっていた?」

「は?」

 おれまで眉をひそめてしまった。彼女は何を言いたいんだ?

「葉澤も聞こえただろ? あの雄叫び」

 おれの近くで電話越しの声に聞き耳を立てていた葉澤には、ある程度おれたちの会話が聞こえているものと思っていた。あの、つんざくような「何か」の咆哮なら、尚更。

 けれど彼女は、不可解そうに眉間のしわをより深くした。

「雄叫び?」

「途中で、なんかすごい声聞こえただろ。ドラゴンの叫び声みたいな」

「……久岡。少し言いにくいんだけど」

 葉澤にしては珍しく言いよどんでいる。……なんだよ。

「さっきの通話、私はすぐ横で耳をそばだてていたけれど、ドラゴンの雄叫びどころか、穂坂の声も、何も聞こえなかった」

「……は?」

「だから、まるで君が、どこにもつながっていない無音のケータイに向かって、一人で喋っているみたいだった」

「…………」

 頼む、神様。これ以上わけ分からんことを増やさないでくれ。

「……でも、バイブ鳴ってんのは見たろ?」

「うん。だから確認のために着信履歴を見せてくれる?」

 そうか、その手があった。「あ、ああ」

 履歴画面を表示する。一番上に、真新しい「蘭太」の文字があって安心した。自信を持って葉澤に画面を向ける。

「うん、なるほど。本当に着信はあったのね」特に驚く風でもなく、葉澤はごく自然に納得したようだ。「それで、穂坂は何て言っていたの? 異世界って何?」

「……異世界にいるんだってさ、あいつ、今」

「…………」

 うん。そんな顔になるのも分かるぞ、葉澤。

 共感しながらも、その表情におれは少したじろいだ。整いすぎている美貌で無言、無表情だと、妙な迫力がある。

「……それで?」葉澤の立ち直りは早かった。「どうして通話が途切れてしまったの?」

「なんか、すごい雄叫びが聞こえて、そうしたら蘭太が『どでかい敵が現れちまったから一旦切る』って。けど『また絶対連絡するから待ってろ』って」

「その雄叫び、どんな感じの声だった? 彼の周りに、他に人はいるみたいだった?」

 意外にも食いついてきた。

「葉澤、案外、ファンタジー好きだったりする?」

「好きか嫌いかと聞かれたらどちらでもない、と答えるけど。何故?」

「え、だって、こんな突拍子もない話に抵抗なさそうだし、異世界に興味を持ってるみたいだし……」

「……興味は、ある」

 やっぱり意外だ。すべての事柄に対してクールなイメージだからか、彼女が夢を見ているところを想像できない。蘭太よりもガチガチな現実主義者かと思っていた。

 その意外さが、おれはなんだかうれしかった。

「まあ、とにかく、話を元に戻すと……雄叫びは、よく映画で出てくるドラゴンみたいな、ギャオーって感じの鳴き声だったよ。あと、蘭太の傍には女がいた。あいつのこと『ランタさま』って呼んでた。周りもかなり騒がしかったな。活気のあるどこかの町の中、みたいな感じ」

「そう」

「分かったのはそれぐらいだな、あの短い通話時間だと……」

「試しにこちらからかけてみたら?」

 そう言われて、蘭太の番号を呼び出す。けれどやはり、コール音ではなく、抑揚のない女の声が聞こえてくるだけだった。

「うーん、やっぱりつながらないな。蘭太の方も、何度もかけてくれてたらしい。でもつながったのは今の一回きり」

「何が決め手なのかしらね」

「さあ……?」

 スマートフォンの背を指で撫ぜながら、ため息を漏らした。その時、教室の入り口からいきなり声をかけられて、おれはまた飛び上がる。

 今度は数学の先生だった。葉澤が盾になっているおかげか、ケータイの存在はばれていないみたいで、おれは胸を撫で下ろす。

「何やってんだおまえら。最終下校時刻はとっくに過ぎてんぞぉ。さっさと帰れ、さっさと」

 どうやら見回りに来たようだ。おれたちの姿を見て、からかうような微笑を浮かべている。

 他に誰もいない教室に、高校生の男女が二人きり、向かい合って突っ立っていれば、確かに冷やかしたくもなるだろう。

 おれは突然恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じた。葉澤はいつも通りの涼しい顔をしていた。

 おれたちはそそくさと教室をあとにして、二人で下駄箱までやって来た、のだが。

 そこでおれは考える。もしかしてこのまま、駅までの道を、葉澤と一緒に帰ることになるのだろうか。

 それは気まずい。

 彼女の容姿が目立ちすぎて絶対に人目を引くし、万一他の生徒に目撃されでもしたら、変な噂を立てられかねない。「あいつじゃ葉澤凜華と釣り合わなくね?」と囁かれることが分かっているのに、そんな噂の餌食にされたくはない。

 けれど、同じ道を妙に間隔を空けて歩くのもそれはそれで気まずいし、寄り道しようにも、駅までの一本道の間には見事に何もない。つまり、「おれ、コンビニ寄ってくから。じゃあな」が使えない。駅前にならコンビニがあるけれど、駅前では意味がない。

 そんなことをモヤモヤと悩んでいたら、葉澤は駐輪場の方を指差して、あっさりと言った。

「私、自転車」

 あ、さいですか。

 葉澤、ここから家近いのかな。というかおれ、あれこれ悩んでいたことがバカみたいだ。

 しかし、葉澤はすぐには駐輪場に向かわなかった。バッグからノートを取り出し、素早く何かを書き込むとそれを千切って、脱力しているおれに差し出す。

「私のケータイ番号とメールアドレス。何か進展があったら、教えてほしい」

 教科書のお手本のように整った彼女の文字を、呆然と見つめる。気づいたら、当の葉澤はさっさと背を向け、自転車で颯爽と去ってしまっていた。

 しばらく一人で立ち尽くしていたが、我に返って、紙切れをバッグの内ポケットに大切に仕舞う。

 校門に歩きだした時には、自然と口角が上がっていた。脳内に、ロールプレイングゲーム風の画面が浮かび上がる。

 学校一の美少女の連絡先を手に入れた! ミツローの「運」が5上がった!

 ……なんてな。

 まあ、何はともあれ、ラッキー、だ。




 家に帰ったおれは、蘭太の行方を心配していたのとは違う、悶々とした感情に悩まされていた。

 蘭太の無事が確認できた。その事実は、動揺して自分らしさを失っていたおれに、本来の性質を取り戻させた。つまりは、空想開始だ。

 3分にも満たなかった通話の中で拾った情報を、頭の中で情景にする。

 異世界に飛ばされたらしい蘭太。

 異国風な街並み。行き交う冒険者たち。行動を共にする異種族の女性。立ちはだかる巨大なドラゴン――。

 想像は膨らむ。膨らむほど、腹の底から熱いものが込み上げる。

 クッソ! めっちゃくちゃ羨ましい!

 おれは悶々としていた。親友への激しい嫉妬と、理不尽に下された運命に。

 何故だ、神よ! 何故、異世界妄想を常にしているおれではなく、異世界なんて信じてもいなかった蘭太の方を選んだ? おれなんか、異世界に飛ばされた場合のシミュレーションだって完璧だったんだぞ!

 ベッドの上で一人、頭を抱えてのたうち回っていると、ドアをノックされた。風呂上りらしい母さんが、不満そうな顔でノブを握っている。

「露三。帰って来てたの? 遅くなるなら連絡くらいしてよ。夜ご飯まだよね?」

「ああ、ごめん。部活で遅くなった」嘘だけど。

「なら今からご飯温めるわ。それとも先にお風呂?」

「先食べる。いいよ、自分でやるから」

 父さんと兄貴たちはまだ帰って来ていないようだ。

 父さんはずっと昔から、仕事が忙しくて毎晩遅くまで働いているが、最近は長男も大学の研究室に遅くまで入り浸っているし、次男は気ままな大学生活を満喫しすぎて、よく朝帰りをしている。

 生活習慣がバラバラになっているから、もう家族揃って食卓につくことも少なくなった。一人か、あるいは母さんと二人で食べることがほとんどだ。時々、それをさみしいと思う自分もいる。

 台所で、自分の分だけ温めようとしたら、母さんが「私の分もお願い」と言ってきた。

「なに、母さんもまだ食べてなかったの?」

「うん。作ってそのままだった」

「もしかして待ってた? ごめん。メールしなくて」

「んーん、いいわよ。お父さんやお兄ちゃんたちに比べたら、あんたはかなりこまめに返信してくれてるもの」

 二人で、言葉少なに食事をした。一人で食べるのと比べたらマシだけど、やっぱり少し、侘しい感じがする。

 ふと、蘭太の家の食事風景を想像した。

 蘭太は、もう何年も前からずっと、母親と二人きりで飯を食ってきたんだよな。やっぱり、さみしいと思ったりするだろうか。それとも、もう「それが当たり前」だから、何とも思わないんだろうか。

 食器の音に沈黙を咎められた気になって、つい、蘭太の失踪のことを母親に話した。

「え、なに、それ! 蘭太くん大丈夫なの?」

「あいつのことだから、そのうちひょいと顔出すと思うんだけどね」

「でも、それ、何か事件性がありそうだし、お母さん心配だろうねえ」

 そうだ。

 蘭太のお母さん、今この瞬間も、息子の無事を祈って、ご飯もろくに食べていないんじゃないだろうか。二人きりどころか一人きりになった食卓で、心配で胸が押し潰されそうになってたりするんじゃないか。

 そう思うと、蘭太の無事を知っていることに罪悪感が湧いてきた。蘭太の母親にだけは、蘭太からの着信のことを教えるべきだろうか。

 けれど、もし。

 もしも葉澤が言っていた通り、電話越しの音を、おれ以外の人は聞こえなかったとしたら。おれの頭がイカれてると思われるだけで、信じてもらえないのでは?

 いや、着信履歴はきちんと残っているのだから、蘭太の無事だけでも証明できる。問題は、蘭太が今いる「異世界」のことをどう説明するか、だ。

 おれは、おれ自身の耳で聞いたからこそ、信じることができたのだ。しかも蘭太の性格上、大事になることが分かっていて、こんな手の込んだ悪ふざけができるわけがない。

 しかし、心配で心をすり減らしているところに、いきなり「息子さんは今異世界にいます」なんて言われたら、ひっぱたきたくならないか? 親心として。

 そもそも、あいつは家でおれの話をすることはあるんだろうか? 突然、話にも聞いたことがない高校生に押しかけられても、戸惑うだけだろうしなあ……。

 ぐるぐると頭の中を回しながら、上の空で母さんの話を聞き、風呂に入り、自分の部屋の椅子に腰かけた。

 机に向かった瞬間、おれは唐突に、無性に、叫びたくなった。

 叫ぶ代わりに、引き出しを勢いよく引き、中からペンタブを取り出す。パソコンにつなぎ、起動させる。

 ペンタブとは、タブレットの一種で、コンピュータで絵を描くためのツールだ。

 おれがパソコンで絵を描くようになったのは、高校の入学祝いに、自分用のパソコンを買ってもらったのがきっかけだった。

 それまでは、画用紙やノートの空ページに、ひっそりと描いていた。そうして描いたものは、ほとんどそのまま破って捨てていた。

 パソコンで描くようになってからは、描いた絵を小さなリムーバブルディスクに保存しておくことができるので、捨てないで済むようになった。捨てなくても、自分以外の人に描いた絵を見られる心配がないからだ。

 おれが絵を描くことを、おれ以外は、誰も知らない。

 無我夢中でペンを動かし、気がつけば二時間もの間、パソコンとにらめっこをしていた。

 出来上がった絵は、禍々しいものだった。

 見るもおぞましい黒い鱗を持ったドラゴンが、町の人々を足蹴にしている。立派な武器を持った勇者らしき人物すら、その大きな爪の餌食になる寸前だ。「圧倒的」を通り越して、「絶望的」が伝わってくるような、恐ろしい光景。

 きっと、今、おれの中が、どろどろとした黒い感情で占められているせいだ。妬ましい、って思ってしまうせいだ。身近な人に対して。よりにもよって、蘭太に対して。

 自分が描いた絵が悪意に満ちているように感じ、おれはパソコンを消した。

 明日の予習をまだしていなかったが、ケータイ片手にベッドに突っ伏す。電話もメールも着信なし。

 葉澤の連絡先はすぐに登録したものの、何の進展もないのにメールをしていいものかと迷っていた。

 けれど、もし、本当に万が一、葉澤からおれに連絡をとりたい時があったとして、おれの連絡先を知らないのはきっと不便だろう。

 それに、おれだけ彼女の情報を知っているのも、なんだか不公平な気がする。おれはメールを打った。

〈久岡露三です。今日はいろいろあって驚いたね。蘭太から何か連絡が来たら葉澤にもすぐ連絡するけど、そっちから何か連絡とりたい時のために、一応おれのメアドと番号教えとく。〉

 それから30分ほどうとうとしていたが、メールの着信音で飛び起きた。

 葉澤からだった。絵文字も顔文字も句読点もなく、たった一言。

〈わざわざありがとう〉

 おお。今時の女子にしては、なんて素っ気ない。

 これは葉澤のスタンスなのか、それとも他の人にはもう少し愛想のいいメールを送っているのか。前者であることを祈る。

 ケータイを持ったまま、ごろんと寝返りを打った。蘭太の番号に、ダメ元で電話をかけてみる。やはりかからない。

 蘭太のことを「ランタさま」と呼んだ女のことを考える。

 あれは、もしや、異世界に迷い込んだ主人公を甲斐甲斐しく支える、世界の案内人兼旅のお供のヒロイン、という立ち位置の女なのでは。

 蘭太の行った異世界は、もしかしたら、魔法も普通に存在するところなのかもしれない。

 それで、あの女は補助系や回復系の魔法を得意としていて、蘭太は勇者に相応しい大剣で戦って、敵を倒したあとは、あの女の魔法で怪我を治してもらったりして……。

 考えれば考えるほど、羨ましさが止まらなくなる。

 電話越しの、蘭太曰く「どでかい敵」のことを想像した。どんな恐ろしいモンスター相手だって、きっとあの女と一緒に倒して、今頃蘭太は英雄扱いを受けているのだろう。

 うつ伏せになって、枕に顔を埋める。おれの吐いたため息が、柔らかい布に吸い込まれていった。

 ああ。異世界に行きたい。

 眠りの世界へ誘われる意識の中で、おれは漠然と、けれど強く、願った。

 


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