おまじない
とある夫婦の話。
「ねえ、あなた」
「ん?どうしたんだい?」
「今、また蹴られた。本当に元気な子ね~」
「ははは。早く産まれて来たいよ~って言ってるんじゃないか?」
「あなたに似て、積極的なのかしら」
「そうかもね」
その男には、妻がいた。
そして、妻のお腹の中にはもうすぐ産まれるであろう新たな命が宿っていた。
二人は正に幸せの絶頂の中にいた。
「あなたと出逢ってから、5年かあ。ここまでくるの、あっという間だったな…」
「そうだなぁ。思い起こせば色んな事があった」
「最初のデートの時とか?」
「あれは、まぁ、しょうがないことだろ?」
最初のデートで遊園地に行った時。
アイスクリームを一緒に買ったのだが、彼はうっかりズボンにこぼしてしまったのだ。
しかも一口も食べていないまま。
「あなた、そそっかしいから」
「緊張してたんだろうなぁ…今思い出しても恥ずかしいよ」
「他にも、初めて部活で顔合わせした時とか?」
「お前があまりにも好みのタイプだったから、ずっと見とれてた」
「やめてよ、恥ずかしいな」
「事実だもん。しょうがないだろう?」
そう言って悪戯に笑う彼は、とても愛おしかった。
ずっと一緒にいたい。彼女は心から思った。
「あ、そういえばさ」
「ん?」
「高校のころ、変なうわさが流行ったわよね」
「うわさ?」
彼らは同じ学校の出身だった。
当時軽音楽部に所属していた二人は、どちらからともなく仲良くなっていった。
「ほら、好きな人と仲良くなるおまじないよ」
「あぁ、あのうさんくさいやつな」
おまじない―――
彼らの学校では、とあるおまじないが流行っていた。
それは好きな人を絶対に自分のモノに出来る!というもので、探せば何処にでもありそうな、いかにも都市伝説の類だった。
「どうしてそんなこと急に思い出したんだ?」
「あの時さ、あのおまじないを使って、あなたのこと奪いにくる子がいるんじゃないかって考えて、ひやひやしてたなあって」
「ほんとに?絶対あんなの信じてないと思ってた。なんかあの話題避けてたように見えたから」
「そうかしら?でも、それほど心配だったってことよ」
このおまじないには、リスクがある。とある代償が必要なのだ。
その代償と言うのが、人間関係。
要は、"あなたの大切な人が一人ずつ消えていくが、その分彼の気持ちはあなたに少しずつ移っていく"というものだった。
「もしかして、お前あのおまじないつかったとか?」
「もう、そんなことできるわけないじゃない。まず私は条件が揃ってなかったし…」
そう、大体の場合、大切な人というのは家族と考えられていた。
自分の家族を犠牲にしてまで、好きな人を手に入れたいと思う人がいるだろうか?
「あぁ…そうだよな。ごめんな、変なこときいちゃって」
「ううん。いいよ。きっとお母さんも、私たちに赤ちゃんが出来たこと、天国で嬉しく思ってるだろうしさ」
「……俺、お前のこと………絶対幸せにするからな。だから、二人で幸せな家庭を築こうな」
「………うん!」
彼女には母親がいなかった。高校の頃、交通事故で死んでしまったのだ。
母親だけではない。父親、妹、弟。みんな彼女が高校生の頃………ちょうど、"その噂"が流行りだした時期に、死んでしまっていた。
そして、彼はその事を知らない。
"家族は幼稚園の頃には皆既に死んでおり、私は親せきの家に引き取られた"。
彼は彼女からそう聞いているからだ。
そう言われれば、普通信じてしまうだろう。
こんなことで嘘を吐くわけがないと思うからだ。
あのおまじないは、本当だったのだろうか?
「そろそろ俺、風呂入ってくるわ。明日も早いんだ」
「わかった、じゃあ先にベッド行ってるね」
「あいよー」
「早く来てくれないと、拗ねちゃうからね」
「わかったよ。かわいいなぁ、もう」
これから彼らはどんな人生を送るのだろうか。
きっと幸せな家庭を築くだろう。
だがその裏で、とある一つの家族の犠牲があったことを彼は知らない。
彼女が口を開かない限り、永遠に知ることはない。
彼がお風呂に行くと言って部屋を去った後。
彼に聞こえないように、彼女はそっと呟いた。
「幸せにしてね、絶対に………………」
実際にあるかもしれないお話。