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巷説乳袋

銀河A乳伝説

作者: 大嶺双山

 ザムザぐれ子が朝起きると、乳がアザラシになっていた。

 胸の辺りに違和感を感じていつもより早く目を覚ました。肋骨の上に妙な重みを感じる。それに何だか腫れぼったい。布団を持ち上げ寝ぼけ眼で覗いてみると、きゅう、と音がした。

 掛け布団を跳ね上げ、パジャマをめくり上げて、異変に気付いた。

 ぐれ子の乳は、まごうことなきアザラシに変質していた。

 鰭脚目やアザラシ科に詳しいわけではないので、何という種類のアザラシかはわからない。だがそれが水族館やテレビや写真で見られるアザラシという生き物と同種のものであるということはわかった。

 カップサイズに直せばXはあるだろうか。右と左の計二頭、巨大なアザラシがぐれ子の胸部から生え、胸元を占拠している。そして蠕動している。不意にアザラシと目が合った。アザラシはきゅう、と可愛らしい鳴き声をあげた。

 どうしてこんなことになったのだろう。ひとしきり呆然とした後、ぐれ子は考えた。胸からアザラシが生える。常識では考えられないことだ。だが、現実にその考えられない現象が起こっている。それにしたって何か要因があるはずだ。

 どこかにヒントはないかと周囲を見回す。色の褪せたカーペットの上にベッドとクローゼットと、少しの家具。いつもの自分の部屋だった。

 ふと、ベッドに掛けてあった靴下に目が止まった。赤と白のストライプの靴下。昨日ベッドの脇に吊り下げたものだ。

 そういえばクリスマスだったと思い出した。昨日はクリスマスイブ。独り身で暇と寂しさを持て余していたぐれ子は昨夜マッカランのボトルを空け、大いに酔っぱらった。様々な不満を喚き散らし、こんな可哀想な自分こそ、イブにプレゼントをもらうべきだという理屈でベッド脇に靴下をぶら下げた、ような気がする。

 靴下の中を覗いてみる。見覚えのあるメモ用紙が入っていた。

 胸にアザラシをくっつけたような巨乳美女になりたい。そんなことを書いていた。

 これを乳と呼んで差し支えないなら、願いは叶えられたことになる。だが、ドラマでよく「あなたのことを父だなんて思わない」といったような台詞が出てくるのと同じく、ぐれ子もこれのことを乳だなんて思わない。どれほどまろやかな曲線を描いていようと、アザラシはアザラシだった。

 フィンランドから帰還し、血塗れの釘バットを玄関に放り捨ててから、さてどうしようかとぐれ子は思案した。

 信じられようと信じられなかろうと、現実的問題として胸部にアザラシが棲んでいるのであるから、これを何とかしなくてはならない。頭頂部に小さくくっついているアザラシの顔さえ隠してしまえば、普通の乳房にしか見えない。鳴き声さえ上手く誤魔化せれば、プレイメイトも驚きの巨乳美女として街を闊歩できるとぐれ子はほくそ笑んだ。

 人体の構成物質を細分化してみると、人の身体にはもともとケイ素が五グラム程度含まれているのだという。ロシアの有名な解剖学者オッキナ=チチスキー博士はシリコンバストの推進論者でもあり、氏によると、人体に含有されるケイ素の量がたとえ五グラムから五〇〇グラムになったとしても人体に影響はなく、一生貧乳のコンプレックスに悩まされるよりはむしろ五〇〇グラムのケイ素注入を決断する方がよろしいと提唱している。記事の下にはチチスキークリニックの広告が大きく掲載されていた。

 ともかく、シリコンを注入するよりは、この完全に人体と一体化したアザラシの方がまだしもマシなのではないか。ぐれ子はそう考え直した。

 早速街へ繰り出してみようと思い立って、問題にぶつかった。ブラが入らないのだ。

 もともと胸が小さいというコンプレックスを抱いていたからこそ、酔った勢いであんな願い事を書いてしまったのだ。二頭のアザラシを包み込めるような下着など、当然所持していない。そもそもXカップなど、既製品で入手できるわけがないのだ。

 仕方なくノーブラで服を着ようと思ったが、これまた当然のごとく、普通のシャツやブラウスではサイズが合わない。ワンサイズ大きめのセーターがあったので試してみたが、やはり無理だった。

 ぐれ子は奥の手を引っぱり出してきた。

 その昔、憧れて買った黒のスリップドレス。Bカップ以下の女は纏うことを許されない、着て人目のつくところに出ようものなら一身に冷笑を浴びることが必至のそのドレスに、ぐれ子は初めて袖を通した。

 鏡の前で、しばしうっとりした。漆黒のドレスに詰め込まれたアザラシは、艶やかな曲線を描き、豊かなデコルテを形成していた。

 古来より巨乳は男を惑わす悪魔の兵器といわれ、例えば資料に残されている魔女はすべからく肉感的な美女の姿で描かれている。グンテル王を惑わし、ザクセンを動乱に巻き込んだブリュンヒルデもFカップを越える巨乳を供えていたといわれ、エリザベス女王はその乳力でもって世界の三分の一を支配したのだ。

 ぐれ子も先例に漏れず、その圧倒的な重量感で各国の高官を押し潰した。タイ、モロッコ、ベトナムを併合し、中華史上最大の帝国と呼ばれる広大な領土を獲得した。帝国の飛躍的な領土拡大の裏には、二頭のアザラシだけでなく、シルクロードの通行利便性から一国による支配が望ましいと考える各国キャラバンたちの後押しがあったことは、現在では有名な事実である。

 そうしてぐれ子とぐれ子率いるアオザイ部隊は、ついにフィンランド騎士団と相対することになった。

 国中で最も有名な人物をぐれ子により殺害されたフィンランド兵は色めき立ち、我こそがぐれ子の首を取るのだと殺到してくる。もちろんぐれ子も釘バットを抱えて立ち向かった。

 マクシミリアン様式甲冑とサーリットに身を包んだフィンランド騎士が戦鎚を振り下ろす。その一撃を釘バットで軽々と受け止めたぐれ子の返す一刀は、兜につけられていた孔雀の羽根飾りを叩き落とすに止まった。

 二、三十合打ち合い、決着がつかないと悟ったぐれ子は太股からデザートイーグルを抜き出し、騎士の喉元を撃ち抜いた。ビリー・ザ・キッドも驚きの早撃ちだった。

 スリップドレスを着た美女の太股には拳銃かナイフが隠されている。そのお約束を知らなかったことが騎士の敗因だった。

 勝敗は決した。王都ヘルシンキを蹂躙し、縛り上げ、鞭と蝋燭で調教し尽くしたぐれ子の軍勢は、進路を北に向けた。ぐれ子が手にしていない地球上の土地で残されていたのは、南極と北極だけだった。

「そこにキャバ嬢がいるからだ」

 なぜキャバクラに通うのか。妻や彼女に問いつめられた男たちは、例外なくそう答えたという。

「そこにアザラシがいるからよ」

 なぜ南極と北極が必要なのか。将軍に問われたぐれ子はそう答えたと『乳記』には記されている。

 世界中の辞書とレッドデータアニマルズからもアザラシという項目が失われた頃、北極と南極は宇宙戦艦の曳航する軍事基地へと変貌していた。二年前、地球を襲った火星よりの侵略者たちは、今や世界の頂点に君臨するぐれ子を大いに怒らせた。蛸の如きの自分たちの姿を顧みず、ぐれ子の姿を「胸部にアザラシを飼っているお化け」という暴言を吐いたのである。

 怒り狂ったぐれ子は火星人たちに戦いを挑んだが、そこは地球人を虐待することに関しては多くの経験を積んでいる火星人。ぐれ子の第一陣を見事に撃退してみてのけた。もしもこれが初代であれば、ぐれ子を完膚無きまでに叩き潰していたであろう。だが今回襲来した火星人たちは十三世代の、戦争を知らない子どもたちであった。

 初代の火星人は、それは恐ろしいものであった。その異形と徹底した襲来作戦、冷酷なる占領政策は人々を恐怖の底に突き落とし、世界を深い闇に包んだ。ウェルズという発明家が記した当時の記録は、今読んでも背筋を凍り付かせるような迫力を持っている。我々こそは人類の敵である、という気概と誇りを彼らが持っていたことを、その記録は如実に語っている。

 第二世代は初代よりも知性派であった。人間に化けて人間の世界に入り込み、内側からじわじわと侵略を進めていったのである。あわや侵略完了というときに正体を明かされ、本性を表したが、その姿は初代よりは幾分スマートな蛸型であった。

 初代と第二世代が地球を荒廃させ過ぎたためか、第三世代は火星人の歴史の中でも変わり種となった。第三世代は何と人間に近い姿を取り、しかも人類に火星を「襲来」させたのである。現在から見れば、何とも火星人らしくない火星人であったが、現在まで続く火星人襲来の系譜が彼らの犠牲の上に成り立っていることを考えると、第三世代をそのような形で生み出した火星人たちに先見の明があったと言わざるを得ないであろう。また、見事な滅びの美学を魅せてくれたことも、特筆に値するべきことである。

 このように歴史と伝統を持つ火星人の系譜ではあったが、今回襲来した十三世代を含め、近頃は何とも低調であった。十一世代は初代をオマージュとしてリメイク……ではなく、その姿を近づけるべく努力をしたが、そこに初代の持ち得ていたホラー風味はまったくなく、ただのアクション大作と化してしまった。何より子役が可愛くなかった。十二世代に至っては海で漁師に釣り上げられる有様だった。

 この十三世代も、姿形こそ初代に酷似していたが、その残虐性までは受け継いでいなかったのである。

 新たに艦隊を編成したぐれ子は、すぐさま火星に向けて進撃させた。

 もちろん火星人たちも、大気圏の外側で迎え撃つ。

 宇宙はレーザー、ミサイル、地雷が飛び交う戦場と化した。

 宇宙艦隊の反重力ミサイルが円盤に直撃すれば、お返しとばかりに円盤から放たれた高収束レーザーが重巡洋艦の艦橋を貫く。地雷がバラ撒かれると、両陣営のウケ狙いたちが我こそはとばかりに踏みに行った。中には自ら設置するものまでいた。

 宇宙艦隊を指揮するのは、地球一の名将と噂されるパイオツカイデー准将だった。パイオツカイデー准将はまた、無類の乳好きとしても知られており、それを証明する逸話として、彼は生まれてこの方、牛肉はホルスタイン種しか食したことがないといわれていた。これは彼の生家が貧しかったことにもよる。ちなみに日本という国では、国産牛と表記されている牛肉はほぼすべてホルスタイン種であるといわれている、というかまあこれは事実であろう。

 ともかくそのようなパイオツカイデー准将であったから、Xカップを保持するぐれ子には絶対の忠誠を誓っていたのだった。

「准将、突撃しなさい。今突撃すれば、火星人を根絶やしにできるわ」

「は。しかしこちらの被害も大きくなりますが。それに何も根絶やしにせずとも」

「帰ったら挟んであげるわよ」

 火星人は滅んだ。

 地球圏を手にしたぐれ子を息のつく暇もなく襲ったのは、ガニラス星人という青白い肌の、カニのような異星人だった。ガニラス星人の軍事力は強大で、火星人との争いで疲弊した地球にはまったく抵抗する手段はなかった。

 ぐれ子の運命も、風前の灯火だった。

 そんなとき、ぐれ子のもとに、宇宙の果てから一片の通信文が届いた。

『わたしの星に、アザラシ除去装置があります。これがあれば、あなたの胸のアザラシは除去できます』

 ぐれ子は海底から引き上げた戦艦で、遠き星へと旅立った。

 地球は滅んだ。


(完)

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― 新着の感想 ―
[良い点] コンプレックスが自らの努力によらず解消されたことが最初のボタンを掛け違えとなり、少しずつ人生の正道からドロップアウトしてしまう主人公というものはこれまでいくつかの物語で拝見したことがありま…
2014/12/31 00:58 退会済み
管理
[良い点] 初めまして。 おなかの底から笑わせて頂きました。 脳内映像化を許さない不条理さが、落語の「頭山」に通じていると思います。読み手が画像を結実させる前に、テンポ良い語り口がずんずん進む様が快感…
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