※精霊スクイドの或る一日・1
今回からはちょっとだけ抑え気味……たぶん。
ああもう、ホンマに最悪や。
アイツのアホっぷりは今に始まった話やないけど、今回のは相当酷かったわ。
後先考えずに実体まで晒して、ブタ箱に入れられたジョニーを返してほしいと頼み込んではみたものの、騎士団側の回答は“簡単に返すことは出来ない”の一点張り。そりゃそうかと思うけど、今度こそアイツが殺されてまうんやないかと本気で焦った。
諦めかけとった頃、騎士団のリーダーらしいあのジークヴァルトっちゅう男が、“倫理に反するようなことをするつもりはないが、領主の城を侵した罪の償いはきっちりとしてもらわなくては、他の者に示しがつかなくなる”とハッキリ言ってくれたことは救いやった――街の最高権力者の私有地に不法侵入した上、関係者を誘拐するだの何だのと騒いどったあいつの行動は、ホンマやったらその場で首が飛んでもおかしくないくらいの重罪にあたるはずやからな。
争いごとを何より嫌う温厚な領主と、その領主のもとで篤い忠誠を誓う騎士たち。この街を治める人間たちは、ホンマによく出来た人間ばかりで構成されとる。
アイツの暮らす土地が、この常若の国やなかったら、今頃どうなっとったことか。
これでようやくアイツも懲りたかなあ――
有無を言わさず処刑されるようなことがなければ、むしろ半殺しにしてくれたってええくらいやったのに。
どうせなら、一生かけても払拭出来へんくらいのトラウマを植えつけてやった方が、アイツ自身のためっちゅうもんやないやろか。
――ああもう、今日はホンマに最悪や。
アイツの釈放を待つまでの間、他にすることがあるわけでもなし。
かと言って、アイツのしょぼくれた顔を見に行ってやるのも、面倒臭い――っちゅうか、俺が行ったらアイツ、十中八九“魔法の力で脱獄させろ”とか何とか抜かしよるやろ。それだけは何としてでも避けやなあかん。きっともう、二度目はあらへんからな。
そういうわけで、俺は胸のわだかまりを消化させるため、アイツの部屋からこっそり拝借してきた財布を携え、船乗りの集まる酒場――“海竜亭”へとやってきていた。
それにしても、人間の作り出した“酒”っちゅうもんはナンボほどよく出来た飲み物なんやろ。
実体化した時にしかそれを味わえへんのは惜しい話やけど、面倒なリスクを冒してでもこうやって定期的に呑みたくなるくらい、“酔い”っちゅうのはホンマに素晴らしいもんやとつくづく思う。
人の暮らしを間近で見るようになったんは、あのアホとつるむようになってからのことやけど、面倒な足枷でしかないと信じて疑わんかった“実体持ち”っちゅうもんを、唯一羨ましいと思えた要素がこれやったんや。
うまいもんを“飲める・食える”って、ホンマに幸せなことやなあ。
“煙草”やら“スイーツ”やら、味わってみたいものはまだまだたくさんあるけど、実体化にかなりの消耗を伴う、しがない下級精霊の俺にとっては、今のところこれが精一杯の贅沢なんや。
疲れた日の夜には、とりあえずビール。
口の中ではじける麦のコクと旨味。爽やかなのどごし。
それともう一つだけ、ビールの隣にささやかなおつまみさえあれば、他に言う事なんてもうあらへん。
あれこれ試してみたけど、清涼感たっぷりのビールのお供には、エクエスの大海老――アイビースのフリッターが一番合うと思う。
プリプリの身をさっくりと包んだ狐色の衣にレモンを搾ったら、ほんのりとスパイスの効いた飴色のスイートチリソースと、荒みじんに刻んだタマネギとピクルスをふんだんに混ぜ込んだタルタルソースを、併せてたっぷりと回し掛ける――想像するだけで垂涎モンやと思わんか? これが今の俺のお気に入りスタイルや。
ああ、何て素晴らしい時間なんやろ……これで可愛い子がお酌でもしてくれたら、ホンマ最高やのになあ。
『――おっさんか、お前は。場末の酒場に居ないだけマシだが、また一人で呑んでるのか』
「わーーーー! シリヤ姐さん! 来てくれはったんですかぁ!」
頭上から降って来た声には、数瞬でテンションが五倍増しに跳ね上がるくらい聞き覚えがあった。
むさ苦しい喧騒の中を涼しげに漂う、この華やかなお人――正確に言うたら人やないけど、便宜上のもんやから気にすんな――は、“帰結の精霊”シリヤさんや。
フリルをたっぷりあしらった純白のドレスを纏うその姿は、あの丘の上の城にもぎょうさん飾られとった“お人形さん”みたいで、ホンマに可愛らしい。
本当やったら俺みたいな下級の精霊が口を利いてもええ相手やないけど、姐さんはこうして、いつも気さくに声を掛けてくれる優しいお人柄なんや。
可愛い子が酌でもしてくれたら――そう思った矢先に現れた姐さんのこのタイミング。
浅ましい考えなんは重々分かっとるけど、否が応でも心が期待でいっぱいになってくる。
『浅ましいことこの上ない考えだな。この我に酌をさせようなどとは、百年早い』
シリヤ姐さんのツンデレキターーーーーー!!!!
『何を言うか……デレてなどいない』
このいかにも“お前なんかカスほども興味ない”とでも言いたげな横顔がたまらなく好きです。
思ったところでどうにもならんけど、どうにかして欲しいくらい好きです!
冷たい態度は、本心の裏返しとか考えたら、それだけで数百年呑まず食わずで生きられます!
『気味の悪いことを考えるな。寒気がする』
「いやあ、冗談ですよ冗談ですよ姐さん! 姐さんにそんなことさせるわけないやないですかー! もちろん俺から注がしてもらいますさかい!」
『必要ない。我はお前のように、酒を呑むためだけにわざわざ実体化しようとは思わないからな。疲れるんだ、あれは』
言いながら、俺の隣のカウンターテーブルにちょこんと腰掛けた姐さんは、薔薇色の瞳を半ばほど据わらせて、重たい溜め息を漏らしていた。
口許から空っぽのビールジョッキを離した俺は、再びそれをテーブルの上に落ち着けることなく、矢継ぎ早にカウンター越しの店員におかわりを頼むと、釣られて深く溜め息をついた。
「まあ確かに。もうちょっと消耗なしに実体化出来んもんですかねー。せやないと疲労も重なって、あくる日の二日酔いがえらいことに……」
『お前、いつも二日酔いするほど呑んでるのか?』
「だって、勿体無いですやん……毎日通えるわけでもないんやし」
『呆れた奴だ。人間に例えるとお前、いくら稼いでも、あったらあっただけ金を使うタイプだな』
「仰る通りで……へへへ」
二杯目のビールジョッキを受け取った俺は、ふわふわと夢見心地に仕上がってきた頭を頬杖で支えると、ニヤリと笑ってみせた。
『それよりスクイド、隣の男のジョッキが空だぞ。酒に興味のない我のことよりも、向こうを気にしてやるがいい』
「へっ?」
隣の男?
面食らった俺は、素っ頓狂な声をあげていた。
海竜亭へやってきてから、隣に誰かが座っとるような気配なんか全く無かったはずやのに――そうは言うても、姐さんが嘘なんかつくはずはないし。
振り返ってみると、そこには確かに男が座っていた。
「え……兄さん、いつから居らはったんです?」
「いや……君がそこに座る前から、ずっと居たんだけど」
あんまりびっくりしたせいで、危うくビールジョッキを落としてまうとこやったわ。
苦笑いを浮かべてこちらを振り返ったその人は、海精の――海精っちゅうのは、海の妖精リールの子供たちのことや。当然妖精の血を引く種族やから、俺なんか比較にならんほど格上の存在なんやけど――ええっと、何ちゅう名前やったかな……アカン、忘れてもうた。
ちゅうか俺、そもそも何でこの人のこと知っとるんやったっけ? ええと――
「いやあ、すんまへん。せやけど兄さんも、俺に気ぃ遣わんと声掛けてくれたら良かったのに~」
「声掛けたよね、さっき。今日に限ったことじゃないけど、オレたち何度か話してるよね……」
「え、そうでしたっけ……俺まだそんなに酔ってないつもりなんやけど、おかしいなあ」
アカン、ホンマに全然思い出せへん。
とりあえず名前のことは“兄さん”で通せばええとして、ついさっき話した事までキレイさっぱり忘れてもうとるっちゅうのは――
「まあ、しょうがないからいいんだけど……まだオレのことを完全に忘れてないだけ、君はマシな方だよ」
「はぁ、そうなんです?」
『リザは父親のリールから、“全てのものに干渉できない”という呪いを掛けられているからな。お前がこやつのことを記憶に留めておけないのは、ごくごく自然なことだ』
おお、助かった! そうや、この人の名前はリザさんや。
さすが俺の姐さん――いつもながら完璧なアシストや!
『気味の悪い補足を入れるな』
そういえばこの呪いの話も、いつやったか、こうして姐さんから説明を受けたことがあったような、なかったような。
それにしても何や、よう分からんけど――俺がさっき兄さんと話し込んどった事って、物凄く大事な話やなかったか?
胸騒ぎがする。
こういうときの俺の勘は、外れてくれた方がナンボかマシやったと思えるくらい、冴え冴えしとることが多いんや。
そのすぐ後、ほんの一瞬小さく吐き出された兄さんの溜め息は、“もう一度話すのが面倒臭い”とかそんな薄っぺらい意味の込められたもんではなさそうやった。
それは、見てるこっちが何とも胸のいたたまれん気持ちになるような、切なげな表情で――
「なあなあリザ兄さん。俺さっき、兄さんと何話してました? 悪いねんけど、もう一回話してもらえます? 何べんも聞いたら、そのうち覚わるかも分からんし」
たとえ俺が兄さんと二人で話したことを覚えてられへんとしても、兄さんに掛けられた呪いの影響を殆ど受けてないシリヤ姐さんと三人で話したことなら、何とか記憶に留めておけるかも――
何の根拠も無い理屈やったけど、何となくそんな風に思った俺は、気がつくと、それまでずっと握り締めて放さんかったビールジョッキを脇へ置き、ウロ覚えの兄さんの顔に、ずずいと詰め寄っていた。
「とても大事な話だよ。君の友達がお城の人間に捕まってからの話と――」
透明な糸で口許が引っ張られたような感覚に襲われる。せやけど今は、話の腰を折るわけにもいかんさかい、“あいつは友達でも何でもないです”っちゅう野暮なツッコミは無しにしよか。
小皿に載っかったナッツの最後の一欠片を口の中に放り込んだ兄さんは、ぼんやりと虚ろな目遣いをこちらへ向けた。
「君が生まれた意味についての話だよ」
「俺が生まれた、意味……?」
自分がこの世に生まれてきた理由なんて、そんなもん考えたこともない。
そもそも、誰かが生まれてくることに、理由なんてもんがホントに存在するんやろか?
我ながら現実的すぎる考えやとは思うけど、ひとつの生き物が生まれて死んでいくことは、“世界”が滞りなく存続し続けるための、循環現象の一部にしか過ぎへんのや。生き物みんなが“種の存続と繁栄”を願うのは当たり前のこと。結局は皆、心の奥に根付いた本能に動かされて生きとるだけで、そこに意味なんてもんはあらへん。それは地上に生きる人間も、俺たち精霊も同じことや。
“僕は○○するために生まれてきた”とか、アホのジョニーが口走っとるところを目にすることはよくあるけど、それはまさしく後付けっちゅうもんで、自分の存在に意味があると考えた方が、そうでないと考えるよりも、よっぽど生きやすいっちゅうだけの話であって。
『リザ、お前は――』
一体この人は、俺と何の話をしとったんやろ?
全くと言うてもええくらい覚えとらん俺も俺やと思うけど。
黙りこくったままじっと話を聞いていたシリヤ姐さんの視線までが集まってくるのを感じ取った俺は、思わず大きく眉を寄せていた。
ここまでお読みくださってありがとうございます!
シリヤ(考案:steraさん、キャラクターデザイン:夕霧ありあさん)とリザ(考案:香澄かざなさん、キャラクターデザイン:タチバナナツメ)をお借りしました!ありがとうございます♪
このお二人はこれからまめにお借りすることになると思いますので、よろしくお願いします><