1幕
蹄の音が風を切り、真っ白な道を颯爽と駆けていく様は、誰もが目を疑った。
御者はまだ、あどけない娘である。
村道を外れ山へと向かうなど、できる代物ではない。
旅人でさえ、嫌がる寒さをモノともせずに、馬をせき立てる鞭の音が人々の注目を集めた。
「馬で、山越!? 」
話を聞いた少年が蓑傘を上げで、目を丸くした。見送る村人がにわかに湧いている。
「薬を輸送にいくんだとよ、なんでも。薬屋がまだ、きてねえそうだ」
「僕より、幼い子じゃないか」
「若い衆は戦にかり出されとるよ。あんたも忍びのはしくれなら、こうするしかないとは、分かってくれるだろう? 」
集まった村人が、少年から離れていく。
旅だつ娘を止めようとは誰もしなったのだろう。
肩に付着した雪を今更のように払いのけ、少年もまた、走り去る馬の方向を見つめていた。
「白夜の方」
すると、後ろから声をかけられた。
「ああ、之は東阿の方」
振り向き軽く頭を下げる。
防寒具を殆ど装備していない老婆がひとり少年の前に立っていた。
老婆もまた、会釈程度に頭を下げる。
いつの間にか、少年と老婆だけが寒空の下に取り残されていた。
「ささ、東阿の頭がお待ちです」
少年を待ち望んで居たかのように、皺だらけの顔を歪ませると、在る庵へと少年を案内すると付け足した。
少年は案内されるままに、老婆の後を追う。 そのたびに、雪が沈んで藁長靴に水が染み込んだ。
「あの娘さんは、凄い馬の使い手だね。今に騎馬隊へと推薦されるのでは? 」
歩きながら、問う少年に老婆はあの娘──針──のことを簡潔に説明した。
「馬借は古来より伝播として、生涯を送る忍びより情報網を司る職だ。娘は、二代目鴉主となるだろうに」
庵への道がてら、話を聞いた少年は関心するやら呆れるやら、複雑な顔をしていた。「その頃には、戦は終わらせたいよ。」
「白夜の方の思想ですかな」
思想は、夢に似た戯れ言だった。
今現在の戦の原因は、他ならぬ忍びの白夜党と武士の青葉党なのである。
少年の吐いた息が白く立ち上る。
「ところで、お婆ちゃん。寒くないの?」
顔へ当たる風が痛い。
小さく身震いした少年に老婆が円い目をする。
「白夜の方は、暑くないのかい?」
あべこべに質問されて、ぎょっとする少年をイタズラめいた表情で老婆は見ていた。
「お婆ちゃん……生きてる? 」
あり得ない返答に、思い切って聞いた少年を面白そうに眺める老婆。
「倶愚使なんて、言わないでよ?幽霊も無し」
「白夜の方は、トボケるのが巧い」
置いてきぼりの少年に、老婆はひとり納得した。
「寒いよ」
見渡す限り真っ白な世界だ。 あるとすれば先ほどの馬の足跡と人の足跡。
雪は深く、風は強い。
雪山を越えるのは危険な状態である。
山には道らしき道もない。
いくら人のためとはいえ、あの娘の正気が知れなかった。
小さなくしゃみをして、後方を見やる。
雪はやんでいたが、雪雲が山を離れた訳ではない。
夜には、凍てついた寒さと一緒に日の本を白く染めあげるのだろう。
枯れ木に乱れた雪の花が、雲間から垣間見れる太陽の光に照らされていた。
「ついたぞ」
先ほどの疑問も解決されないままに、戸を開き、老婆は中へと消えた。
「い、生き返る」
藁長靴をさっさと脱いで、使用人が用意してくれた湯煎で足を洗い、少年は障子を開けた。
庵の中央で赤々と燃える囲炉裏の薪が弾ける。
待合い人は、居なかった。
怪訝に眉を潜め部屋へ足を踏み入れる。
一線された刀の切っ先は、少年の鼻頭で止まっていた。
「不注意だな、白夜の方」
声を発した中肉中背の侍に、
少年は言った。
「こちらは、腹を割って話そうと言うのに。東阿の方は血の気が荒いのか」
後一歩踏み込まれたら、少年の顔は血塗れていただろう。
「雁と呼んでもらえるか? 」
「なら、白羽と呼んでもらおうかな」
言葉遊びを楽しんで、少年、白羽は囲炉裏へと移動した。
小さな音を立て囲炉裏の火が跳ねるのを見ながら、雁は口を開いた。
「戦の件こちらも考えに応じるつもりでいる。ただ、武士と忍び故に内乱が起きる事、どう考えているか、知りたいところ」
忍びと武士の考え方は根本的に違う。
月影の乱により、その違いは浮上しそれが元で新たな戦の火種となっていた。
雁の言い分に白羽は目をあからさまに細めてひとつ唸ると、軽く首を左右に振り聞き返す。
「忍びが嫌いな理由が知りたいですね、それさえ解消できれば問題ないでしょう。相反するもの同士の結束は、柔らかいけど時に強くなると考えています」
まるで、用意された答えを述べられた雁は苦い笑いを噛みしめて、唐草の湯呑み茶碗に手を伸ばし一口呑んで唇の乾きを拭うと更に聞き返した。
「忍びが武士を嫌う理由も気になる」
白羽もまた、用意された茶碗を口に運び茶を啜る。
「なに、正々堂々と真っ正面から向かうその逞しさが嫌いなんです」
すると雁は、大声で笑いこう言った。「いや、裏ばかりかいて集団で攻め入る卑怯さが嫌いでな」
二人の間に殺伐とした空気が流れ、不協和音が場を支配していた。
「重たい空気をどちらも受け止めて、声を上げて笑いだす。
「どうにかならないのかな、それは」
「今すぐにと言うのはお互い無理だろう」
「そうですか、では何か仕事を受けましょう。勿論、私の部下が対応致しますが」
白羽は、軽く腕を組み雁の様子をみやる。 白夜党の庭瀬白羽は、頭である時雨の双忍である。
双忍とは本来忍び同士が手を組み仕事を成し遂げる術のひとつであるが、この国では紛らわしいことに影武者と同じ意味を持つ。
極度の武士嫌いが、武士と同じ名称を外したのが始まりだと言われている。
月影の乱が始まって、意味無く名称が変わったモノは沢山日の元に散らばっていた。
雁はひとつ頷き、言った。「ならば、薬を運びに行った娘の護衛とコノ地へ来るはずの置き薬屋を探すと言うのはどうだろうか」
「ああ、それも面白そうだ。共同作業と言うことで、宜しいですか」
まってましたとばかりに、白羽の口がつく。
先程述べた通り、白羽は頭でもなんでもない。
頭の意志を届けてなりすまし、契約を実行へと導くための仕事である。
たぶんその方法は任せられているのだろう、雁の意見に軽く笑みを洩らす。「随分と余裕だな。我が裏切ったらどうするのだ」
「東阿の雁殿こそ、こちらが裏切った場合は如何なさるおつもりで」
どちらとも無く、歪な空気を纏わせて出方を伺う。
先の老婆が障子を開け、茶を注ぎ足した。
冷めた茶から湯気が上がる。老婆は二人から離れて鎮座した。
「分かりきったことを」
雁は皮肉った笑いと共に、言葉を吐き出し唐草の湯呑み茶碗を口へと運ぶ。「ん、私たち忍びは無駄な争いは好まない種族。生き延びる為にこうやって契約をと願います」
「嫌いなモノへと頭を下げる……その図太さ何処から来る」
「なに、全ては東阿の雁様を見込んでの話荒野の戦は負けるわけには行かない故。これも見苦しいと言うのであれば、忍を捨て、農民へとなり果てた方が生涯を往生すると言えるでしょう」
白羽はそういうだけ言って、雁を見る。「白夜も必死か、朝駆け夜討ちを武器とし一世風靡している党とは思えぬ、弱気な発言、嘘は無いな」
念を押すように、細長いその瞳で白羽を捕らえる。
白羽は、真剣な眼差しで雁を見据える。
歳の差二十は違う、二人の対話は狸と狐の化かし合いに似ていた。
と、言うのも、雁が言うように、白夜党が弱いと言うわけではないのだ。
寧ろ、洗練された戦術と忍者ながらのやり方で、本来武士が得意としてきた戦法をことごとく打ち下して言ったのである。
そのなかでも、忍犬と言われる攻め術は、当時の武士にとっては奇抜な戦術と言えた。
人ではなく、犬が攻め行ってくるのである、しかも、操り手は調教師を名乗る輩一人と言うからその核を見極める術を知らなかった武士達に対向の余地は無かったと言う。
武士特有の騎馬隊、射的隊どちらとも、犬の牙と狂犬病を持つ犬を前に歯が立たなかったのである。 騎馬戦を好む武士は、犬を蹴散らすことはできても操り手を追いつめるまでにいたらず、訓練された犬の牙の餌食となることが多く、射的隊は、いくら編成を組み火縄を鳴らしても結局当たらなければ意味が無く、狂犬病に犯された犬の始末を永遠繰り返している内に定められた、戦の期限が過ぎてしまうことが多々あった。
牛攻め、水攻め、籠城戦、他にも戦い方は多数存在するが、夜の帳を利用して忍び寄る猛獣の感覚には対抗する手段が今のところ武士軍に置いて無いに等しい。
一部対抗策とし、忍犬育成を試みる武士も居ないわけではないが、結局、その道を歩く玄人の手を借りているのが殆どというのが現実だった。
白羽の言う荒野戦の相手は、青葉軍だ。
正面対決を目前に、白夜党も青葉軍も契約に忙しく走り回っている。
契約とは、属に言われている政略とも似ていた。 強さを誇る輩を集め、手を組み相手の陣を潰すし領土を増やす。
白夜の場合、領土よりも政治よりもただ暢気に暮らせる場所が欲しいだけだと言うのは実は有名な話だった。
今回、白羽が頭の時雨の命を受け、雁と言う武将に契約を持ち掛けたのは、青葉軍の頭青葉深雪との戦で、多大な勝利を修めた経緯があるからだ。
「青葉深雪の戦略を熟知している、雁殿に契約して頂ければ。この長き戦も終わりを告げることができるでしょう」
「果たしてそう上手く行くか、白夜の方。青葉には薄汚い鼠が犬を操ると噂がある」
「其方は心配なく、我々も調査をつくしておりますゆえ」
白羽は一礼して立ち上がり、障子を開く。
寒空から舞い落ちる雪が部屋へ舞い込み、風がそよりと頬を撫でた。
「それでは雁殿、用件をのことお頼み申す」
別れを告げた白羽は、老婆に連れられて庵を後にした。
風の強さが雪を踊らせる。
夜は吹雪となりそうだ。
北陸に咲く白い雪の花弁は、春を知らない。
七輪の炭が小さく鳴った。