婚約破棄された私が、魔族の少年を助けた結末
後半、少し残酷な描写注意です。
「お前はもう必要ない」
そう言われたのは、数日前のことだった。
私、セレナ・グリューンフィグの婚約者だった男は、隣に侯爵家の長女を連れ、別れの言葉を告げた。
彼の新しい婚約者は、私よりも美しく、侯爵家の娘。敵うはずもなかった。
「……なんで」
なんでこんなことになったのだろう。親同士が決めた婚約とは言え、それなりに尽くしてきたつもりだった。でも何の意味もなかったのだろう。
彼にとってはそんなものより、より美しく、より上の貴族との繋がりが欲しかったのだ。彼の立場からしたら当たり前なのかもしれない。
今頃、きっと社交界の噂の的だろう。いい笑いものだ。屋敷ですら、使用人たちに腫物扱いされているのだから。もう、普通の結婚は難しいだろう。別に美しくもなく、器量がいいわけでもなく、家の格もそこまで。そして一度破談にされたのだ。こんな醜聞のある女を、嫁に貰おうとする人間もいない。よくて、どこかの年の離れた貴族の後妻だろうか。
「……ない」
なにもないのだ。私には。
父も、母も私をいない者のように扱ってくる。両親は自分達の面子を潰した出来の悪い娘のことがさぞ恥ずかしいのだろう。兄妹も会う度に私を嘲笑ってくる。
何が悪かったのだろうか。わからない。ただ誰も、自分のことを知らない場所へ行きたい。いっそのこと、魔族たちが住むアルテリア地方にでも行こうか。
※
私たちの国は、今戦争をしている。正確に言えば、私たちの国だけではなく、人類全ての国家が戦っている。誰と。魔族と呼ばれる存在と。
ことの始まりは数年前、魔族と呼ばれる存在が私たちの住むシリウス地方の北西の国、ダリル王国を襲った。
魔族。人に似た姿を持ち、人とは比べ物にならない膨大な魔力と異常な身体能力を持つ種族。非常に残忍な性格を持ち、戦い、そして殺戮を好むと言われている。高位の魔族になると空を駆け、腕を振るだけで大地が割れるとか。
魔族は北西の国ダリル王国を、たった数日のうちに滅ぼしたらしい。魔族はそれだけで満足せず、新たな戦いを求めて東へ南へと侵攻を始めた。だが、そんな状況ですら、人類は一致団結しなかった。共通の敵が現れたにも関わらず、国家は自国の利益のために動き足を引っ張りあったのだ。
そんなときだった。英雄が現れたのは。英雄アレクス。彼はある国の騎士だった。彼は、人々を逃がすため、たった一人で魔族の軍勢を抑え込み勝利したと言われている。アレクス様は、人類全ての国に呼びかけた。
このままでは人類は滅びる、だから共に戦おうと。
彼の名の下に人類は団結した。
あれから数年、魔族の侵攻は止まった。
アレクス様の名声は南東の僻地である私たちの国にまで届いていた。
「聞いた? 今、アミルの町にアレクス様がいらっしゃるんですって」
「嘘、本当!? 私一目見てみたいわ」
メイドたちが階段近くで話していた。アミルの町とは、うちの領地からすぐ隣の地域だ。かの有名な英雄が、すぐ近くにいるらしい。なぜ、そんな英雄がこんな国にいるのだろうか。そこまで考えて、すぐに思いつく。おそらく、エウリ石だ。
アミルの町の近くにエウリ石と呼ばれる特殊な鉱石の産地があった。エウリ石は魔族に有効な武具を作れるとか。おそらく英雄様はそれを作りに来たのだろう。
「……」
私たちの領地グリューンフィグは、対魔族の後方地域に位置しており、まだ戦争をしているという実感が湧いていない。英雄がこの周辺に来ることは滅多に無い。みな英雄の来訪に歓喜しているようだった。
「……少し、外に出ようかしら」
私は小声で呟く。この屋敷にいると息が詰まりそうだった。
一応、メイドに声を掛け私は屋敷の外に出た。どこに行くとは聞かれなかった。普通の貴族の娘であれば、外に一人で出るなんてことはないと思う。
でもここで私は誰からも心配されない。
屋敷の外に出て、町とは反対方向に歩く。そこには自然豊かな雑木が茂っている。最近は訪れていなかったが、子供の頃はよく来たものだ。
ここは静かな場所で滅多に人は来ない。
獣も少なく、いたとしても小動物程度だ。
「変わらないわね、ここも」
昔使っていたであろう土で固められた小道を抜け、奥へ奥へと入って行く。
馴染みのある場所だから、迷うことはない。
木漏れ日が差す。そしてザーッと水が落ちる音が聞こえる。もう近いみたいだ。小さな木立を抜けると、開けた場所に出る。水の粒子が頬に当たる。
私の目の前には崖上から流れ出る小さな滝があった。
滝の下には円形に広がった滝壺があり、魚達の姿が見えた。
軽やかな小鳥の声と、水が流れ落ちる音だけが広がる。
絶景というほど壮大ではないけれど、心を落ち着かせる景色。
ここは私のお気に入りの場所だった。
嫌なことがあるとすぐにここに来て、一人で泣いていたものだ。
ここには誰もいない。いるはずもない。
「……あれ」
ふと、視界に違和感があった。
見慣れた光景に見えたが何かおかしい。
赤。滝近くの岩に血が付いていた。
「血……どうしてこんなところに」
血は近くの木蔭まで続いていた。
私は足を震わせながら、ゆっくりと近づいていく。
やめておけ。近づいてはいけない。
理性がそう囁いていた。
血の匂い。それも大量の。
「え」
そこには黒髪の少年が、腹部から血を流し倒れていた。
「人間……じゃない」
初めは人だと思った。だが、その頭部から突き出た二本の角が人間ではないことを示していた。
「魔族……うそ、そんな」
あり得ない。ここに魔族がいるなんて。あり得るはずがない、ここは前線から遠く離れた場所なのだ。居るはずもない。
混乱が頭を支配する。
「生きてる……」
人間だったら即死んでいるだろう。それほどの怪我だった。
胸が微かに動いている。呼吸はまだ止まっていない。
「……さすがにお父様に報告しないと」
その時だった。ピクっと少年のまぶたが動いた。次の瞬間、彼は起き上がった。
「っあ、いぁ、あっ」
私は何が起きたか、とっさに理解ができなかった。
少年の左手が、私の首を強く掴んでいた。
息ができない。苦しい。
「人間っ」少年は、明らかな敵意を剥き出しにし私を見る。少年は右手で背中の短剣を取り、私の首元に当てた。
恐怖と力に押さえられていることもあり、私は呻き声をあげるしかなかった。
私はこれから死ぬだろう。少年と目が合う。
どこまでも深い青い瞳。神に愛されたような端正な顔つき。
綺麗な人。
私はこれから死ぬというのにも関わらず、少年に見惚れていた。
「……ッくそ」
「けほっ、けほっ」
少年の手が緩められる。苦しみから解放される。
助けてくれた? なぜ、どうして。
「くっ」
ドサっという音と共に少年はまた地面に倒れこんだ。動かない。
もう意識が持たないようだった。
助かったの……?
「……逃げ、逃げないと」
早く早く逃げなければ。少年がまた起きれば、今度は本当に命がないかもしれない。
だけど私の足は動かなかった。
「……」
あぁ、駄目だ。良くない。絶対に駄目な考えが頭に浮かぶ。
震える手で自らの洋服を力いっぱい破る。布を重ね合わせる。
私は何をやっているのだろう。この子は人類の敵だ。
でも、すぐに私を殺さなかった。悪い存在じゃないのかも。
まだ若い子だ。魔族だから見た目通りの齢ではないかもしれないが。
偽善なのかも知れない、いや、それどころか人類にとって敵である彼を助けるのは悪だ。
混乱で思考がまとまらない。でも、この子に死んでほしくない。
切り取った布を少年の腹部に当てて出血を抑える。さらにその上から植物のツルを巻き、固定する。
止まるかどうかはわからない。でも、私は少年を助けたいと思ってしまった。
人間なら間違いなく死んでいる出血量。
少年は無意識のまま苦しそうに顔を歪めている。
五分、十分と時間が流れていく。
そして、どれくらいの時が流れたかわからなくなった頃。
「止まっ、た……?」
出血がこれ以上広がることはなかった。
心なしか、少年の顔も楽になっている感じがする。
「なにしているのかしら……私」
両手が少年の血で染まっている。手だけじゃない、ちぎれてボロボロになった服も赤い血でまばらに染まる。
まるで殺人鬼だ。これで騎士の前に出たら、すぐに捕縛されるだろう。
少年の顔を見る。
「本当に綺麗な人……」
中性的な整った顔立ち。土で汚れていても、黒曜石のように妖しく輝く髪。
シミ一つない美しい肌。少年は細身であったが、身体には筋肉がしっかりとある。
彼以上に美しい存在を見たことがない。
でも、魔族だ。私は魔族を助けてしまった。
もしかしたらとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
帰ろう。屋敷に。これ以上、ここにいるのは危険だ。
少年の周囲を整える。そして横を流れる滝壺で、衣服や身体についた血を洗い流す。
冷たさと共に、少しずつ興奮が落ち着いてくる。
少年をもう一度見る。おそらくここであれば野生動物に襲われる危険はないだろう。
出血は止まったとはいえ、助かるかはわからない。
「……」
自分でも何がしたいのかよくわからない。どうして魔族を助けた。
なぜ? 自分が何をやっているのかわかっているのか。
私は屋敷に戻ることにした。
使用人にも家族にも、身体がずぶ濡れな理由は聞かれなかった。
※
あれから丸一日。
私はまた、あの場所に来ていた。
腰には自衛のためのナイフを付けている。
お守り程度にしかならないかもしれないけれど。
震える足で一歩、一歩と少年がいた場所へ近づく。
音をたてないように恐る恐る近づく。
少年は同じ場所に横になっていた。
「あ」
少年が瞳を開けて、こっちを見ていた。
「ひゃあ」と驚き尻もちをつく。見てる。目が合ってる。
だけど、少年は興奮する様子なく静かにこちらを見ていた。
「人間、なぜ俺を助けた」
「……」
どうしよう。なんて応えよう。
私だって、正直わからない。
「もう、襲ったりしない。怯えるな」
「……なぜって言われましても」
彼の言葉通り、攻撃する気配はない。
助けた理由……。
「あなたがまだ子供だから?」
子供だから私は助けたのだろうか。
「俺はもう戦士だ、子供じゃない」
少年は否定する。
そこに怒りはない。
「だが、助かった。礼を言う」
少年は自らの名をグラムと名乗った。
※
魔族とも話すことができるんだ。十八年生きてきて、初めて魔族と喋った。
グラムは十六の齢になると言った。見た目通り、私よりも年下だった。
魔族は皆凶暴で残忍だと思っていた。そう教えられた。
でも、グラムは違った。
理知的で、すごく優しい子だった。
話をしていて分かる。この子は、理由もなく人を傷つける存在じゃない。
あれから数日。私は、グラムのもとに毎日通っていた。
怪我が治るまで。誰も私を気にすることはない。好都合だ。
「グラム、食事持ってきましたわ」
屋敷から食べなかった自分の食事を持ってくる。
パンと小さな保存肉くらいであるが。グラムは感謝の言葉を告げ、持ってきた物を食べた。
「美味しいですか?」
「あぁ」
私は、グラムと色んなことを話すようになった。自分のこと。グラムのこと。私はたぶん、未知との遭遇に心躍らせていたのだ。
魔族はどんな生活をしているのか、家族はいるのか、何を食べるのか、なぜここにいたのか、なぜ人間の世界に進軍してくるのか。グラムは一つずつゆっくりと私の質問に答えてくれた。
グラムの家族は数十人いること。食べるものは人間も魔族も大して変わらず、強いて言うなら一部の魔族は人間を食べることがあること。
魔族には国がいくつもあるわけではなく、全ての魔族が一人の王のもとに忠誠を誓うこと。
王は王血を持つ者からもっとも強き者が選ばれるということ。
「王血とは?」
「王血とは、言葉通りの意味だ。王家の血筋であり、王の血そのもの。それを持ち、血に認められた者は全ての魔族に対する絶対的な命令権を持つ」
不思議な仕組みだ。まるで蜂の習性のような。
「だから、基本的に逆らうことはできない、王の命令は絶対なんだ」
まあ、王血を持つ者なら王に挑むことはできるがと彼は付け足す。
「そう……なのですね。じゃあその魔族の王様は、なぜ人間を滅ぼそうとしてるのですか? どうして突然、ダリル王国を」
ダリル王国は、一番初めに魔族に滅ぼされた国。数日で滅んだと聞いている。
「……初めは俺らじゃない、人間がまず王の命を狙ってきた。だからこそ王は怒り人間を滅ぼそうとしているんだ」
「嘘……」
「嘘じゃない。俺もその場にいた」
彼は嘘をついているようには見えない。
人間が先に攻めてきた? そんな、私たちは何も知らされていない。
「そんな、どうして……」
「わからない。ただ自らの力を誇示しようとしたんじゃないか」
「そんな理由で、戦争が始まったと言うのですか……」
「本当のことはわからない。だが、理由なんてどうでもいい。そっちも何かの言い分があったのだろう」
グラムは達観し言う。そこには全てをくだらないとでもいうような雰囲気があった。
「で、でも、ほとんどの人は何もやっていません」
魔族の王様を襲った人たちが悪いのであって、大多数の人は魔族と関わりがない。
「そうだな、でも王は、そして同胞達はそうは思わなかった。彼らは君等を滅ぼすまで止まらない」
「そんな……」
これで何千人、何万もの人が死んだというの。
「グラムは、どう思っているのですか」
「俺も魔族だ。王の敵を倒す義務がある……でも意味のない殺しは好きじゃない」
「この戦争は終わらないのでしょうか……」
「……戦争は終わる」
「本当に!?」
「喜んでいるところ悪いが、人間が負ける」
「えっ」
グラムの口調は確信を持っているとでもいうようだった。負ける? 人間が。滅ぶ?
「そんなに魔族とは強いのですか……?」
「下位の魔族なら人でも群れれば倒せるだろう。だが高位の魔族は人間に比べて、遥かに強大な魔力と力を持っている。再生だってかなり速い。エウリ製の武器を持っていようと普通の人間では勝てない」
「でも、今までは耐えられましたわ、それに……アレクス様だっています」
英雄アレクス。彼が戦場をひっくり返してきたからこそ、人の今がある。
アレクス様は何人もの魔族を倒してきた。
「あれは化物だった……だが、奴はもういない」
「えっ」
「俺が殺した」
※
グラムは静かに言った。
「アレクス様を殺した……?」
「あぁ、殺した。この傷は奴の剣に刺されてできたものだ」
「そん……な」
アレクス様が死んだ。彼に殺された。
つまりそれは、人類は滅びるということに等しい。
私は……そんな彼を助けてしまった。
「セレナは……どうする?」
「どうする……って」
「今のを聞いて、俺のことを殺すか」
「私は……」
「君になら殺されてもいい」
グラムはふざける様子もなく、こちらを見る。
彼を殺す? 無理だ。この数日で私は彼のことを知りすぎてしまった。
彼が人類を滅ぼす元凶であるにもかかわらず。
私は顔も知らない英雄よりも、彼のことが好きになってしまった。
「殺せるわけありませんわ……もう」
「……そうか」
「……これからどうなるのですか」
「魔族は進軍を再開する」
「そうしたら……?」
「人間はみんな殺される。王が慈悲を与えるなら奴隷だろう」
「……」
そうか、全員死ぬか、奴隷になるのか。
「どちらの選択もしたくありませんね……」自嘲気味に言う。
「……」
絶望が心を包む。もう、生きていられる時間は短いのかもしれない。
皆、死ぬ。
「……」
グラムは目を閉じて、何かを考えているようだった。
そしてゆっくりと目を開く。その蒼い目は強い意思を持っているように見えた。
「セレナ。俺は君のことが気に入ったらしい。君に死んでほしくない」
「へ?」
至って真面目な顔でそう呟くグラム。
こんなときに何を彼は言っているのだろう。
グラムはゆっくりと立ち上がる。
「グラムっ、傷。駄目よ。安静にしなきゃ」
「大丈夫だ、もうある程度治った」
グラムが腹部に巻かれた布を外す。そこにはピンク色の皮膚で再生した腹部があった。
「行くのですか……?」
「あぁ、やることがある」
彼はここを発つと言った。
そこに迷いはない。
「グラム……お元気で、もう……無理しては駄目ですよ。本当に死んでしまいます」
「あぁ」
もう彼と会うことはないだろう。彼の言葉通りであれば、私たちの国もいずれ敗北し殺される。
私はいつまで生きていられるかはわからない。
「心配しないでいい、この場所には軍を近づけさせない」
グラムは私を落ち着かせるように穏やかに言った。
「えっ」と聞き返そうとした瞬間。
彼の身体が宙に浮いた。
飛翔する魔法。高位の魔族が持つと言われている能力。
「セレナ、また会おう」
「グラム……」
空気が爆発するような音と共に、グラムの身体が空に消えた。
一瞬の出来事だった。
こうして私はまた一人になった。
※
あの日、グラムは英雄を自ら殺したと言っていた。だが、アレクス様が死んだという情報は流れてこなかった。あの言葉は冗談だったのか、何かの間違いだったのかと思った。
しかし、しばらくして噂が流れた。アレクス様は死んでおり、今のアレクス様は王が用意した影武者だという噂。
英雄が死に、士気が下がることを恐れた上の人たちが流しているのだと。
そして一ヶ月後のある日。魔族は大規模な進軍を再開した。
魔族の軍は北西を拠点として南へ東へと進軍していき、一つ、また一つと国家が征服されていった。噂が真実であることを示すように、人間は敗北を重ねた。
一つ以前と違うのは、魔族に征服された国の住民達がまだ普通に暮らしているということだ。
魔族たちの中で何があったかはわからない。ただ、魔族たちはやり方を変えた。
その土地に住む全てを滅ぼすやり方から、国そのものを魔族が統治するという方法へ。
征服された国では、貴族階級そのものがなくなったと聞く。大規模な混乱は生じたが、国民生活そのものはそれほど変わっていないと。
むしろ、重税を課せられることはなく生活は楽になったという噂すらあった。
王や、他の貴族たちはそれを魔族の作り話であり、根拠のない噂に過ぎないと一蹴した。
一つ、また一つと国という体制そのものが滅ぼされる。気づけば二年の月日が流れていた。
この世界において、まだ国家としての形を成しているのはこの国だけになった。
そしてついに、魔族がこの国の王都を征服したそうだ。
王はもはや戦う意欲もなく、すぐに従属を示したらしい。
私の生活は二年前と大きく変わることはなく、まだ独り身だ。
風の噂で元婚約者の子供が生まれたと聞いた。それを聞いても意外と平気な自分に少し驚いた。
「でも、もう貴族じゃなくなりますわね、フフ」
私たちの国は魔族の支配下になった。おそらく、他国同様、貴族階級そのものがなくなるだろう。
ざまぁみろなんて、自分の奥底の声が聞こえた気がした。
そんなある日だった。
「セレナッ、お前何をした!」父が怒鳴りながら、部屋の扉を開けた。
「な、なに? 私は何も」父の後ろには、怯えた表情の母、そして騎士装束を着た男たち。
あの服装は王家直属の騎士団の物だ。王家がなぜ? ここに。
こんなところにいる暇なんてないはずなのに。
「セレナ・グリューンフィグ、貴様を拘束する」
「な、なぜ。なんの容疑で私を捕まえるというのですか?」
「王命だ、拒否することは許さん」
「痛いっ、やめて」
腕を強く捕まれ、屋敷の外に連れ出される。父も母も、兄妹も、使用人も困惑と疑惑の目で見るだけで、何も言わない。
守ってくれる人は誰もいない。馬車に投げ込まれ、私は連行されることになった。
「……」
あの日、グラムを助けたことがバレたのだろうか。重大な反逆行為として処罰されるかもしれない。
でも、そもそも今は魔族に征服されたのだ。なぜ、今頃になって。
そして馬車で運ばれること数日。私は、王城目の前の広場で跪かされていた。
「……きついですね」
両腕を後ろに回され、手首を紐できつく縛られていた。罪人そのものの格好。そして跪いた私の隣には、我が国の王であるルミニア王がいた。
広場の端には数十人の貴族や騎士たち。その中には、元婚約者の姿もあった。
縛られた私の姿を、無表情で見ている。そこには何の感情も浮かんではなさそうだった。
「……最悪ですわ」
少し離れたところに、軍服を着た魔族の姿。
王都が魔族に征服されたというのはやはり本当のことだったのだ。
「き、来た」遠くを見て、王が呟く。
「なにが来たというのですか」
「喋るなッ!」王の怒鳴り声と共に頬を叩かれる。
鈍く熱い痛みが頬に広がる。どうやら、王は余裕がないらしい。
その時だった。私にも、空気が変わったのが分かった。
何かが来る。とても強大な何か。
見上げると空に複数の黒点が見えた。
徐々に姿が大きくなり、それが人に似た姿だと分かる。
魔族だ。
一人を中心に、その中心の一人を守るように左右に五人ずつ。
全員が宙に浮いている。つまり、あの集団は全員が高位の魔族であるということ。
全員の頭部に様々な形の角があり、髪色も様々だ。あまりに高密度な魔力に彼らの背景が、歪んで見える。近づくにつれ、肌がひりついていく気がする。
ゆっくりと彼らは王都に降りてくる。その時、痛みが走った。ルミニア王が私の髪を掴み、顔を前に押し出す。彼らに顔をよく見せるように。
「っ」
「王よ!! ご所望であるグリューンフィグの娘を連れてきました。お納め下さい!」
私を望んでいた? 何故だろう。それに王ということは、あの中央の存在は魔王だということだ。
若い黒髪の青年。魔王は、ゆっくりとこちらに近づく。黒曜石のように輝く髪が風で靡く。
魔性。そんな二文字が浮かんだ。あれ、とほんの少し懐かしい気持ちになった。青年の顔を見たことがあるような気がした。
「ルミニア王よ。私は『傷つけるな、保護をしろ』と言ったはずだ」
「はっ。ですから五体満足で、血一滴すらだしておりませぬ! こ、これで私を王族のままに——「もう、よい」
魔王が軽く腕を振るった。何かが近くを通り抜けた。
横に居るはずの王に視線を向ける。立っていた王の首から上がなかった。
血飛沫と共に、王の身体が倒れる。見ていた貴族や騎士達から絶叫が上がる。
あ、え。死んだ。私たちの国の王様が。こんなにもあっさりと。
殺された。
「え」
魔王が一歩、一歩と私に近づく。
死ぬ。私も。殺される。嫌だ、嫌だ。まだ死にたくない。
恐怖だけが脳裏を支配する。
「セレナ」
優しい声だった。とても懐かしく、心地よい声。
魔王は、私の前に片膝をつき呟く。周りの魔族たちが、魔王の行動にどよめいている。
「まずは、それを取ろうか」魔王が私の後ろに手を回し、縛っていた紐が切断される。
その蒼い目は、どこまでも深く穏やかだ。
「ぐら……む?」
「あぁ、覚えていてくれてよかった、すまない。怖い思いをさせた」魔王はその美しい顔で、私に微笑む。
「ま、魔王なのですか?」
「そう、今の俺は魔王なんだ。俺は力を示し、王位を継承した」
「継承……」
「俺は王血を持つ者の一人なんだよ。そして俺は前王を倒し、血に認められた」
あの時、私が助けた少年は成長し魔王となっていた。驚きと、懐かしさと、恐怖で心がごちゃまぜだった。
「セレナは前に言っていただろう、殺されるのも奴隷になるのも嫌だって」
「言った……気がしますわ……」
「だから俺が王になった。正直、王位には興味なかったが、王にならなければ軍の意向には口出せないから」
「私のため……?」
「……それもある。けど、どちらかというと俺の望みのためという方が近い」
望み。彼がしたいこと。王にならないと叶えられない望みとは一体なんなのだろう。
今の彼は、全てを統べる王だ。魔族も、人間も全てが彼に従う。全ての願いが叶うだろう。
「セレナ」
「はい……」
「君が欲しい。俺の妻になってくれ」
「嘘……」告白された。告白された、どころか求婚された。
私が妻になる? なんの冗談だろうか。戯言かと思って、彼の顔を見るも、そこに冗談を言っているようには見えない。
何がなんだかわからない。ここまで頭が混乱したのは人生で初めてだ。
「俺の妻になったら、世界の半分を君に捧げる」彼は言う。世界を統べる魔王しか言えないセリフだった。
あぁ、彼は本気だ。本気で私を妻にしようとしている。
なら、私も偽りない気持ちを言うべきだろう。
「私は……正直に言ってあなたが怖いですわ。それに世界の半分はいりません」
「……」彼は悲しそうに、瞳を閉じる。
「でも……私もあなたが欲しい。至らない私でよければあなたの妻にしてください」
そうして、私は魔王の妻になった。
※
「こうして、セレナ王妃とグラム王は結ばれ、その日から魔族と人間は互いを認めあい、共に歩むようになったと言われています」
グリューンフィグ地方にある教室。
そこには一人の教師と様々な生徒たちがいた。
角がある者、ない者。どちらの血も受け継いでいる者。魔族も人間も関係ない。
「でも、これでめでたしめでたしではなく、腐るほど問題が発生したのですが……まぁ、これは次の授業にしておきましょう」
「「「はーい先生」」」
「よろしい、では今日の授業は終わります。皆さん気をつけて帰宅してください」
「「「ありがとうございましたー」」」
子供たちが校門からそれぞれの家に向かう。
その学校から少し離れた木立の奥。
そこには崖上から流れ出る小さな滝があった。その滝の近く、目立たないように石板が二つ置かれていた。
祖王グラム、王妃セレナここに眠る。
苔生した石板にはそう刻まれており、軽やかな小鳥の声と、水が流れ落ちる音だけが広がっていた。
了




