スローライフ最大の敵、それは「人手不足」です
数十年に一度と言われた大型台風は、夜通し猛威を振るい、翌朝には嘘のように晴れ渡った青空を残して過ぎ去っていった。
「……完璧ですわ」
領主邸のバルコニーからルミナス川の方角を見渡し、クリスティアは満足げに頷いた。
前日に急造した「テトラポッド付きの魔力防壁」は、濁流と暴風を完全に跳ね返し、見事に決壊を防いでみせた。周辺の農地や村々に被害は一切出ていない。
領民たちは無事に生き延び、今年の税収(クリスティアの不労所得)も無事に守られたのである。
(ふふふ……これで大災害という名のイレギュラー対応も終わった。
悪徳代官もいない、書類の承認フローも最適化した。今日からついに、私のお茶と昼寝の優雅なスローライフが幕を開けるのよ!)
心の中でガッツポーズを決め、クリスティアは軽やかな足取りで執務室へと向かった。
まずはヴィンスに淹れさせた最高級の紅茶を飲みながら、領地が平和になったことを実感しよう。
「おはようございます、ヴィンス。嵐も過ぎ去り、素晴らしい朝です──」
ガチャリと扉を開けたクリスティアは、そのまま石像のように固まった。
「お、おはようございます……お嬢様……」
執務室の中央。
そこには、昨日よりもさらに高く積み上げられた書類のタワーと、その隙間から顔だけを出して死にかけの亡霊のようになっているヴィンスの姿があった。
「……ヴィンス? なんですの、その書類の山は。無駄な業務は全てカットしたはずですわよ?」
「は、はい……業務の無駄は、確、確実に減っております……しかし……」
ヴィンスは震える手で、一枚の羊皮紙をクリスティアに差し出した。
「バルト代官をはじめ、部門の長や中堅役人たちを『一斉解雇』した結果……現在、ローズウッド領の行政を担う文官は、私一人しかおりません……」
「…………あ」
クリスティアの脳内で、パリーンと何かが割れる音がした。
そうだった。ブラック企業において、無能な上司や不正を働く役員を一掃するのは確かに正しい。
だが、彼らが抱えていた「最低限の日常業務」は誰かが引き継がねばならないのだ。
引き継ぐべき部下がいなければ、どうなるか。
当然、残された数少ない社員と、トップ(クリスティア)に全ての仕事が降ってくる。
「……税の計算、隣領との交易の手続き、各村からの細々とした陳情書、領都の警備隊のシフト管理……これらを全て、私一人で回さねばならず……お嬢様、私、このままだと三日後に過労死します……ッ!」
「待ちなさい! 落ち着くのですヴィンス! 私のスローライフが……じゃなくて、有能な貴方を死なせるわけにはいきませんわ!」
クリスティアは扇子でバシッと机を叩いた。
「人を集めますわよ! 即座に中途採用の募集をかけなさい!」
「む、無理ですお嬢様! 今のお嬢様の噂をご存知ないのですか!?」
ヴィンスは半泣きになりながら叫んだ。
無理もない。
ここ数日間のクリスティアの領地での行動は、瞬く間に領民の間に知れ渡っていた。
『王都から帰ってきた令嬢が、就任初日に代官と役人三十人を物理的に叩き出した』
『抵抗した代官は、専属の暗殺者にボコボコにされて身ぐるみを剥がされた』
『泥まみれの川岸で平民どもを怒鳴り散らし、恐ろしい魔法で地形をねじ曲げた』
「今や領民たちの間で、お嬢様は『血塗られた悪逆令嬢』として恐れられています! そんな恐ろしいトップがいる屋敷に、自ら働きに来る命知らずなどいません!」
「なんてこと……! 私はただ、正当な監査と治水工事をしただけですのに!」
(やっぱり悪役令嬢ムーブをやりすぎた!? これじゃ完全なブラック企業のワンマン社長じゃないの!)
クリスティアが頭を抱えていると、窓から音もなくルシアンが入り込んできた。
「お嬢、話は聞いてたぜ。人が足りねえなら、俺が領都で適当に頭の良さそうな奴を見繕って、首に縄つけて引っ張ってこようか?」
「余計に悪評が広まりますわ! 拉致監禁は労働基準法違反です!」
「なんだそりゃ」
クリスティアは深呼吸をし、乱れた金糸の髪を整えた。
前世の記憶が告げている。人手不足を解消する唯一の方法、それは「企業の魅力を正しくアピールし、求職者の不安を取り除くこと」だ。
「……ヴィンス。明日の昼、領都の中央広場に特設ステージを組みなさい。そこで『ローズウッド領・秋の合同企業説明会(採用面接)』を実施します」
「き、企業説明会……ですか?」
「ええ。私が直々に、この領地で働くことの『素晴らしさ』を領民たちに叩き込んでやりますわ!」
翌日、領都の中央広場。
広場には、不安げな顔をした若者や、かつてバルトの横暴に耐えかねて役人を辞めた元文官たちが集まっていた。
「報酬は弾むから、とにかく話だけでも聞いてやってくれ」というルシアンの(物理的な圧力を伴う)声かけにより、なんとか百人ほどの人間が集まっている。
広場に設けられた特設ステージに、クリスティアが優雅な足取りで登壇した。
純白のドレスに身を包み、扇子を広げたその姿は、息を呑むほど美しい。
だが、集まった者たちは皆「いつ魔法で地形ごと吹き飛ばされるか」とガタガタ震えていた。
「よく集まりましたわね、領民ども! 私が領主代行、クリスティア・フォン・ローズウッドですわ!」
凛とした声が広場に響く。
「単刀直入に言いますわ。現在、領主邸は深刻な人手不足です。そこで、貴方たちの中から優秀な者を私の直属の部下として雇い入れて差し上げます!」
ざわめきが起こる。誰もが「あんな恐ろしい令嬢の下で働いたら、文字通り骨までしゃぶられる」と思っていた。
「もちろん、ただ働きをしろとは言いませんわ。私のもとで働く者には、以下の条件を確約します!」
クリスティアは扇子をビシッと群衆に向けた。
「第一に! 『完全週休二日制』の導入! 七日のうち、二日は必ず休息を取ることを義務付けますわ! 休日に仕事を持ち込んだ者は、この私が直々に魔法で制裁を加えます!」
「……え?」
「第二に! 『残業の原則禁止』! 陽が沈んだら即刻帰宅しなさい! 万が一、業務時間外に労働させた場合は、その時間に応じた『割増賃金(残業代)』を支払います! サービス残業などという下劣な真似は、公爵家の誇りにかけて許しませんわ!」
「……は?」
「第三に! 『有給休暇』の付与! 病気や家の用事がある時は、堂々と休みを申請なさい! 休んでいる間の給与は全額保障します!」
広場は、水を打ったような静寂に包まれた。
完全週休二日。残業禁止。有給休暇。
このファンタジー世界において、そんな概念(福利厚生)は存在しない。「雇われたら主人のために死ぬまで働く」のが常識である。
「な、なんだそれは……?」
「罠だ! きっと休んだら暗殺者に消されるんだ!」
ざわめきが再び大きくなる。信じられないほどの好条件は、逆に疑念を生んでいた。
だが、クリスティアはフッと鼻で笑い、悪役令嬢の完璧な笑みを浮かべた。
「オーホッホッホ! 勘違いしないでちょうだい! 私は貴方たちに優しくするためにこんな制度を作ったわけではありませんわ!」
クリスティアは扇子を広げ、傲慢に言い放った。
「疲労した無能な頭で仕事をされては、ミスが増えて私の手を煩わせるだけです! 貴方たちには常に最高のパフォーマンスを発揮し、私のために完璧な利益(税収)を上げてもらわねば困るのです!
だからこそ、きっちり休んで、きっちり働きなさい! 私の不労所得のために、心身ともに健康でいることを強制しますわ!」
(嘘よ! 本当は私が休みたいだけよ! 皆が休んでくれないと、トップの私が休めないじゃないの!)
強烈な自己中心主義(に見せかけた究極のホワイト宣言)に、群衆は息を呑んだ。
だが、その傲慢な言葉の裏にある「徹底した合理性」と「労働者への見返り」を理解した者たちの目に、次第に光が宿り始めた。
「……俺、やります! バルトの横暴でクビになった元経理ですが、お嬢様の下で働きたいです!」
「私も! 文字の読み書きと計算なら誰にも負けません!」
一人、また一人と、広場から手が挙がり始める。
ルシアンが面白そうに口笛を吹き、ヴィンスは感涙にむせびながら応募者たちの名前を急いで書き留めていた。
(よし! これで事務方は確保できた! あとは彼らを教育して、業務を丸投げすれば……!)
悪役令嬢の仮面の下で、クリスティアは歓喜の涙を流していた。
完全週休二日のスローライフを手に入れるための、彼女の「ホワイト企業経営」は、ようやく新たな従業員たちを迎え入れ、本格的な始動の時を迎えたのだった。




