炎上プロジェクト(物理)の火消しは現場から
ルミナス川は、ローズウッド領の南部を横断する重要な水源だった。
だが、馬車で現場に到着したクリスティアが目にしたのは、呆れるほどお粗末な「堤防の残骸」だった。
「……信じられませんわ。これ、ただ泥を盛って木の枝を刺しただけではありませんの」
クリスティアは扇子で鼻を覆いながら、崩れかけた土の山を冷たく見下ろした。
川幅は広く、普段は穏やかな流れだが、ひとたび大雨が降れば牙を剥くのは明らかだ。水面はすでに、上流での降雨の影響か、濁りを帯びて嵩を増し始めている。
「お嬢! 人手は集まったぜ!」
馬のいななきと共に、ルシアンが数十人の男たちを引き連れてやってきた。
日当三倍、しかも食事付きという破格の条件につられて集まった領都の日雇い労働者や、近隣の農民たちだ。
だが、彼らは泥だらけの川岸に立つ豪奢なドレス姿の令嬢を見て、困惑の色を隠せなかった。
「お、おい……なんで伯爵家のお嬢様がこんな泥まみれの場所にいるんだ?」
「まさか、俺たちの仕事を見張りに来たのか?」
ひそひそと交わされる不安げな声を、クリスティアは扇子をパチンと鳴らして制した。
彼女は近くにあった木箱の上に優雅に飛び乗り、集まった男たちを真っ直ぐに見下ろした。
「よく集まりましたわね、平民ども!」
その第一声に、男たちがビクッと肩を揺らす。
完全に「高慢な貴族の令嬢」の態度だった。
「いいこと、よくお聞きなさい! 明日の夜、この領地に数十年に一度の大型台風が直撃します! このままでは川が氾濫し、貴方たちの家も畑も全て水底に沈むことになりますわ!」
ざわめきが波のように広がった。
「そ、そんな……! 堤防の工事は終わったと代官様が……」
「あの豚(代官)は昨日付けで私がクビにしましたわ! 奴は予算を全て横領し、こんなハリボテを作っていたのです! 当然、奴の私財は全て没収し、今回の工事費用に充てさせてもらいます!」
クリスティアは扇子で崩れかけた土の山をビシッと指差した。
「私の領地が、私の財産が泥水に沈むなど、断じて許しません! 貴方たち、今から明日の夕刻までに、この堤防を本物に作り変えなさい! 指示は私が直々に下します! 報酬は約束通り三倍! 働きが良かった者には特別ボーナス(金貨)も出しますわ! オーホッホッホ!」
(私のかわいい不労所得(農地の税収)のために、死ぬ気で働きなさい!!)
高笑いするクリスティアの姿に、男たちは一瞬呆気を取られた。
だが、「悪い代官がクビになった」「報酬は三倍」「ボーナスも出る」という現実的なワードが彼らの脳内で処理された瞬間、どんよりとしていた瞳にギラギラとした炎が宿った。
「よ、よし! やってやるぜ!」
「お嬢様のために……いや、俺たちの畑のために、土嚢でも何でも積んでやる!」
クリスティアの(計算された)アジテーションは見事に成功した。
前世の炎上プロジェクトで学んだこと。
それは「責任の所在(今回は代官)を明確にすること」と、「明確なインセンティブ(報酬)を提示すること」が、現場の士気を最も手っ取り早く上げる方法だということだ。
「よーし野郎ども、お嬢の命令だ! 気合い入れろ!」
ルシアンが野太い声で檄を飛ばす。
「ルシアン! 貴方は持ち前の身体能力(武力)を活かして、資材の運搬と重労働のトップを張りなさい! 人力重機ですわ!」
「人使いが荒えな! だがまあ、暴れるのには丁度いい!」
銀髪の騎士は笑い飛ばすと、常人なら三人掛かりで運ぶような巨大な石材を軽々と持ち上げ、川岸へと運んでいく。
その圧倒的なパワーに、周囲の男たちから「おおっ!」と歓声が上がった。
一方、後方支援を任されたヴィンスも、決死の形相で立ち回っていた。
「お、お嬢様! 隣領から手配した土嚢と木材の第一陣が到着しました! それと、領都の食堂に手配させた炊き出しの準備も整いつつあります!」
「上出来ですわ、ヴィンス! 資材は第七区画から優先して配置! 休憩時間は三時間ごとに四十五分、きっちり取らせなさい! 疲労による事故(労災)は絶対に防ぐのです!」
「は、はいっ!」
クリスティアは陣幕の中に簡易デスクを設け、次々と運び込まれる資材の数と、配置箇所を瞬時に計算していく。
ドレスの裾が泥で汚れるのも構わず、現場の最前線に立って的確な指示を飛ばし続ける令嬢の姿に、最初は反発心を抱いていた労働者たちも、次第に畏敬の念を抱き始めていた。
(よし、いいペースだわ! この調子なら明日の夕方までに第一防衛線は構築できる!)
クリスティアの脳内では、複雑なガントチャート(工程表)がリアルタイムで更新されていた。
だが、炎上プロジェクトにトラブルは付き物である。
「お嬢様! たいへんです!」
泥だらけになった現場監督の一人が、血相を変えて陣幕に飛び込んできた。
「上流での雨が強まったせいで、川の水位が想定より早く上がってきています! このままでは、補強が終わる前に第三区画の土台ごと持っていかれます!」
「なんですって……!?」
クリスティアは弾かれたように立ち上がり、現場を見渡した。
確かに、第三区画と呼ばれる湾曲部分の水流が激しさを増し、積んだばかりの土嚢を削り取り始めている。
あそこが決壊すれば、全てが水の泡だ。
(どうする? ここで作業を中断して撤退するか? いや、それでは領地が沈む。私が定時で帰れる日が永遠に来なくなってしまう!)
クリスティアは扇子を強く握りしめ、前世の社畜時代、絶望的な納期を前にして何度も見せた「あの目」になった。
「ルシアン!!」
「おう!」
「第三区画に人員を集中させます! 何としても持ち堪えさせなさい! ヴィンス! 予備の防水シートを全てあそこに投入!」
「オーホッホ! 水風情に私の領地が奪えると思って!? 意地でも塞ぎなさい!!」
悪役令嬢の甲高い声が、轟く濁流の音を切り裂いて現場に響き渡った。
スローライフを守るための、大自然との過酷な戦いは、いよいよ佳境を迎えようとしていた。




