社畜の体内時計はごまかせない
翌朝。
小鳥のさえずりが、ローズウッド伯爵邸の庭園に心地よく響き渡っていた。
ふかふかの最高級羽毛布団の中で、クリスティアはゆっくりと意識を浮上させた。
(ああ……よく寝た。誰にも邪魔されず、目覚まし時計の音にも急かされない朝。これぞまさに、私が求めていたスローライフ……!)
幸せを噛み締めながら、クリスティアは優雅に寝返りを打ち、窓から差し込む陽光に目を細めた。
体内時計が告げている。
おそらく今は、お昼前。
たっぷりと惰眠を貪った最高のリフレッシュ感だ。
彼女はベッドサイドの精巧な魔石時計に視線を向けた。
時刻は、午前六時ジャストだった。
「……なんでよッ!!」
クリスティアはガバッと布団を跳ね除け、頭を抱えた。
前世からの染み付いた習慣──『毎朝六時に起きて満員電車に乗る』という社畜の呪いが、完全に彼女の肉体に刻み込まれていたのだ。
どれだけ休もうと思っても、体が勝手に「出社時間だぞ」と警鐘を鳴らして強制覚醒させてしまう。
(嘘でしょ……二度寝しようとしても、目が冴えて全然眠れない! むしろ『今日のタスクは何だったか』とか脳が勝手に考え始めてる!)
激しい敗北感に打ちひしがれながら、クリスティアは渋々ベッドから這い出した。
メイドを呼んで着替えを済ませ、朝食のパンをかじりながら考える。
バルトや悪徳役人たちを一掃したことで、領地のガン細胞は切除できた。
あとは有能なヴィンスに実務を任せておけば、領地は勝手にホワイト化していくはずだ。
(仕方ないわ、今日は抜き打ち視察という名目で、ヴィンスがちゃんと定時で帰れるような業務フローを組めているかチェックしてあげましょう。あくまで領主としての務めよ!)
自分に言い訳をしながら、クリスティアは足早に執務室へと向かった。
「おはようございます、ヴィンス。昨日はちゃんと眠れ──」
執務室の扉を開けたクリスティアは、言葉を失った。
そこには、真新しい書類の山に囲まれ、必死に羽ペンを走らせるヴィンスの姿があった。
顔色こそ昨日より幾分マシになっている(どうやら睡眠は取れたらしい)が、その表情は悲壮感に満ちていた。
「お、お嬢様! おはようございます! 申し訳ありません、すぐにお茶の準備を……っ!」
「それはいいですわ。それより、その書類の山は何ですの? 昨日のうちに、無駄な承認フローは全てカットしたはずですけれど」
クリスティアが怪訝な顔で近づくと、ヴィンスは泣きそうな顔で一枚の報告書を差し出した。
「も、申し訳ありません! ゴードンたちを解雇したことで、彼らが隠蔽していた『物理的な未処理案件』が次々と発覚しまして……!」
「物理的な未処理?」
「はい……。一番深刻なのが、領地南部を流れるルミナス川の堤防工事です。帳簿上では『完了』となっていましたが、今朝、現地を視察した警備隊からの報告によりますと……」
ヴィンスはゴクリと唾を飲み込んだ。
「工事の予算は全てゴードンに横領されており、実際の堤防は……ただ土と小枝を積み上げただけの、ハリボテだったそうです」
「……は?」
クリスティアの動きがピタリと止まった。
「そして……先ほど王都の気象観測所から緊急の報せがありました。明日の夜から、数十年に一度の規模の大型台風が、このローズウッド領を直撃すると……!」
「なっ……!?」
クリスティアは目を見開いた。
堤防がハリボテの状態で、大型台風が直撃する。
それが意味するものは一つしかない。ルミナス川の氾濫、そして周辺の農藻や村々の壊滅だ。
(冗談じゃないわ! 農地が壊滅したら、今年の税収がゼロになる! 私の不労所得(スローライフの資金)が消し飛ぶじゃないの!!)
前世で例えるなら、金曜日の定時退社直前に『メインサーバーに致命的なバグが発見されました! しかも明日、大型のアクセス集中が予想されます!』と報告されたようなものである。
「ルシアン!!」
クリスティアが声を張り上げた瞬間、窓枠に音もなく銀髪の騎士が降り立った。
「呼んだか、お嬢。なんだか殺気立ってるぜ」
「非常事態ですわ! ルシアン、直ちに領主直属の警備隊を全軍招集なさい! それから、領都にいる手の空いている男たちを日雇いで集めるのよ!」
「おいおい、戦争でも始める気か?」
「戦争より厄介な土木作業ですわ! 明日の夜までに、ルミナス川の堤防を物理的に補強します!」
クリスティアは扇子をパチンと閉じ、ヴィンスに向き直った。
「ヴィンス! 倉庫にある土嚢、木材、防水シートの在庫を全て確認しなさい! 足りない分は隣の領地から市場価格の倍額を払ってでも即座に買い付けること! 決済のサインは私が秒でやりますわ!」
「お、お嬢様!? しかし、倍額となると予算が……!」
「昨日、バルトのダミー会社から没収した裏金がありますわ! 惜しみなく投入なさい! 領民の命と、私のスローライフのための先行投資です!」
クリスティアの眼光の鋭さに、ヴィンスは背筋をピッと伸ばした。
「は、はいっ! 直ちに行手配いたします!」
「集めた日雇い労働者には、日当を通常の三倍払うと触れ回りなさい! さらに温かい食事と休憩中の甘いお茶を確約すること! 労働基準法(※そんなものはない)を遵守し、モチベーションを最大まで引き上げるのですわ!」
「日当三倍にメシ付き!? そりゃあ領都の連中も目の色変えて集まるぜ。面白くなってきたじゃねえか」
ルシアンはニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、窓から飛び出していった。
「さあ、ヴィンス! 嵐が来る前に、ブラック役人が残した負の遺産を完璧に補修しますわよ! 私の休日のために、今日は死ぬ気で働きますわ!」
「はいっ! お嬢様!!」
(優雅な朝のティータイム? 知るかそんなもの! 領地が水没したら元も子もないわ!!)
かくして、退職の翌日。
クリスティアは悪役令嬢の皮を被ったまま、前世で鍛え上げられた「炎上プロジェクトを立て直す敏腕ディレクター」へと変貌し、領地存亡の危機という名のデスマーチに突入していくのだった。




