買収後統合(PMI)の地獄と、グローバル競合他社の『合同視察(スパイ)』
ガルディア帝国の完全吸収合併(M&A)から数週間。
ローズウッド・グループの本社(旧王国城)の社長室では、かつてない規模の『ペーパーワークの雪崩』が発生していた。
「……終わらない。右を見ても書類、左を見ても書類。私はいつから、紙を食べるヤギに転職したのかしら」
巨大なデスクの中心で、クリスティアは死んだ魚のような目をしながら、無心で決裁印を押し続けていた。
隣国の帝国を丸ごと一つ飲み込んだのだ。
法整備、通貨の統合、税制のすり合わせ。
いわゆる『買収後統合(PMI)』と呼ばれるプロセスは、経営者にとって地獄以外の何物でもない。
「社長! 元・帝国第一魔導師団の特務チームから、新規事業の提案書が上がってきました!」
リリィが、分厚いバインダーを抱えて嬉々として駆け寄ってくる。
「『魔力駆動式・全自動洗濯機』および『地熱利用型・大規模温室栽培システム』の開発プランです! 彼ら、不眠不休で酷使されていた反動で、『いかに人間が働かずに済むか(自動化)』という研究に異常な執念を燃やしております!」
「素晴らしいわね。予算は言い値で通しなさい。ただし、彼ら自身が徹夜で研究するのだけは絶対に阻止すること。ルシアンの労基署に巡回させなさい」
「はっ! 続いて、元・軍需物資管理部からの『大陸横断・高速物流ネットワーク構築案』です! これが完成すれば、配送コストが現在の四分の一に──」
「……リリィ」
クリスティアはペンの動きを止め、ギリッと奥歯を噛んだ。
「優秀な新入社員たち(元帝国エリート)が、私の定時退社のためのシステム作り(R&D)に貢献してくれるのは嬉しいわ。でもね……彼らが張り切って提案書を出せば出すほど、私の『決裁作業(仕事)』が無限に増えていくのは何のバグかしら!?」
優秀な部下を持つと、現場は回るがトップの判断業務は爆発的に増える。巨大企業のCEOという、最も過労死に近いポジションの業であった。
「お嬢様、現実逃避をしているお時間はありません。さらなる『緊急案件』です」
ヴィンスが、いつになく険しい顔で執務室に入ってきた。
その手には、国境付近の地図と、数枚の密書が握られている。
「旧帝国領を吸収したことで国境線を接することになった、西の『神聖商業連盟』、そして北の『ヴァルハラ皇国』。この二つの超大国(グローバル競合他社)が、動きました」
ヴィンスが机の上に広げた地図には、国境付近に集結しつつある両国の軍勢(視察団)のマーカーが置かれていた。
「神聖商業連盟は『金の亡者』が集う重商主義国家。借金で縛り付けた債務奴隷(実質的な無給労働者)を使い潰して富を築く、極悪ブラック資本主義の権化です」
「そしてヴァルハラ皇国は『名誉と死』を尊ぶ軍事国家。『国のために死ぬことこそが至上の喜び(究極のやりがい搾取)』と洗脳された、狂気のスパルタ国家です」
どちらも、クリスティアの掲げる『定時退社・完全週休二日制』というホワイト思想とは水と油。絶対に相容れないブラック企業(国家)の極みであった。
「その両国が、我がローズウッド・グループの急激な事業拡大を警戒し、国境地帯に『合同軍事演習』と称して大規模な部隊を展開し始めました。実態は、我が国の内情を探るための『合同視察(スパイ行為)』ならびに、隙あらば侵略するための威圧です」
「……」
クリスティアは扇子で口元を隠し、深いため息を吐いた。
「つまり、ヤクザな同業他社が、うちのシマの目の前でデモンストレーション(嫌がらせ)をしているわけね。……で、我が社への『敵対的買収(戦争)』の可能性は?」
「極めて高いかと。彼らにとって、労働者に高給と休みを与える我が社の存在は、自国の奴隷や兵士たちに『不要な知恵(権利意識)』を与える厄介な劇薬です。早いうちに潰しておきたいのでしょう」
執務室に緊張が走った。
帝国とのM&Aを終えたばかりで、グループ内はまだ完全に一枚岩ではない。
ここで二つの超大国と二正面作戦(大規模な軍事衝突)になれば、どれほどの予算(残業代と労災補償)が飛んでいくか分からない。
(冗談じゃないわ! これ以上戦争(イレギュラー対応)なんて起きたら、私の休日が向こう五年は消し飛ぶじゃないの!!)
クリスティアの脳内で、凄まじい勢いで「戦争を回避しつつ、相手を無力化する」ためのビジネスプランが計算されていく。
数秒の沈黙の後、クリスティアはパチンと扇子を閉じた。
「ヴィンス。彼らは『視察』に来ているのよね?」
「建前上は、そうですね」
「ならば、その建前を最大限に利用して差し上げますわ」
クリスティアは不敵な、悪役令嬢としての傲慢な笑みを浮かべた。
「国境の緩衝地帯に、巨大な『国際見本市会場』を建設しなさい」
「……見本市、ですか?」
「ええ。武力で威嚇してくる野蛮な連中には、我がグループの『圧倒的な生産性と経済力(ホワイト環境の暴力)』を、正面から見せつけてやるのが一番ですわ」
クリスティアは立ち上がり、黒板に向かってペンを走らせた。
「会場には、帝国から吸収したエリートたちが開発した最新の魔導具、温泉リゾートの特設足湯ブース、そして定時退社で英気を養った領民たちが作る最高級の農作物とグルメをこれでもかと並べなさい! 名付けて『ローズウッド・グローバル・フェスタ(国境の超絶ホワイト企業説明会)』ですわ!」
「な、なるほど……! 武力による衝突を避けつつ、相手の視察団(軍隊)を『お客様』として迎え入れ、我が国の豊かさを見せつけることで戦意を喪失させる……あるいは、彼らの末端兵士を『引き抜く(ヘッドハンティング)』おつもりですね!?」
ヴィンスが眼鏡を光らせ、クリスティアの意図を正確に読み取る。
「その通りですわ。ブラック環境で洗脳された兵士や奴隷たちに、『正しい休日の過ごし方(娯楽)』と『本物の美味い飯』を叩き込んでやります! ルシアンとレオンハルトの労基署部隊には、会場の警備と『ブラック上司の排除』を命じなさい!」
「はっ! 直ちに巨大イベントのプロジェクトチームを立ち上げます!」
リリィが目を輝かせ、猛烈な勢いでスケジュールを引き始める。
「いいこと? 今回のターゲットは、ただの敵ではありませんわ。資本主義の亡者と、やりがい搾取の狂信者です。彼らの歪んだ常識を、我が社の圧倒的な福利厚生で完膚なきまでにへし折って差し上げなさい!」
かくして、血で血を洗う国境紛争が起きるはずだった緩衝地帯において。
ファンタジー世界初となる、超大国を巻き込んだ前代未聞の『巨大企業展示会』の開催が決定したのである。
(ふふっ……戦争のコストに比べれば、イベント開催費なんて安いものよ。これを機に両国に我が社の製品を売りつけて、完全に経済的依存状態(囲い込み)にしてやるんだから……! これぞ究極の平和的スローライフ戦略よ!)
しかし、この時のクリスティアはまだ気づいていなかった。
「巨大イベントの主催者」というものが、開催までの準備期間において、どれほどの徹夜とトラブル対応を強いられる生き物であるかということに──。




