究極のマイクロマネジメント(過干渉)と、ブラック皇帝への退職勧告
国境のすぐ向こう側に設営された、ガルディア帝国の巨大な前線基地。
その中心にある最も豪奢な司令天幕の中で、ガルディア帝国皇帝・ヴァルデマールは、血走った目で怒声を張り上げていた。
「ええい、ザイードの奴め、何をやっている! なぜ三時間ごとの定時報告が来ないのだ!」
皇帝は分厚い軍事地図をバンバンと叩きながら、周囲の参謀たちを怒鳴り散らしていた。
彼の目の下には、エドワード第一王子やかつての宰相と同じ、見事な『ブラック企業の象徴(ドス黒いクマ)』が刻み込まれている。
「陛下、先鋒のザイード将軍はすでに国境を越え、敵領地に侵入しているはずです。伝令が遅れているだけで──」
「言い訳をするな! これだから無能どもは困る! 私が隅から隅まで監視し、指示を出さねば、まともに前進一つできないのか!」
皇帝ヴァルデマールは、極度の人間不信と完璧主義をこじらせた、最悪の『マイクロマネジメント(過干渉)型トップ』であった。
現場の裁量を一切認めず、重箱の隅をつつくようにミスを責め立て、少しでも自分より目立つ成果を上げた者は「私の地位を脅かす気か」と最前線の歩兵へ左遷する。
その結果、彼の周囲に残ったのは「自ら考えることを放棄した、イエスマンの無能」だけになっていた。
「通信魔導具を繋げ! 私が直接ザイードに怒鳴りつけてやる! 減給と降格をチラつかせねば、奴らは真面目に働かんのだ!」
皇帝が喚き散らした、その時だった。
『──ぷつんっ』
天幕を照らしていた魔石ランプが全て消え、基地全体を覆っていた『対物理・対魔法の絶対防壁』の稼働音が、完全に停止した。
「な、何事だ!? なぜ防壁が落ちた!」
「へ、陛下! 魔力供給炉が何者かによってハッキング(術式書き換え)されました! この防壁のシステム構造を完全に熟知した者の手口です!」
「馬鹿な! このシステムの設計者は、私が生意気だという理由で歩兵に左遷した元・魔導師団副団長の……あ」
皇帝が何かに気づきかけた瞬間。
司令天幕の分厚い入り口の布が、物理的な爆発と共に吹き飛ばされた。
「ごきげんよう、ブラック皇帝陛下。労働基準監督署(ガサ入れ)のお時間ですわよ」
土煙の中から、純白のドレスに身を包んだクリスティアが、優雅に扇子を広げながら足を踏み入れた。
彼女の背後には、ルシアン、レオンハルト、そしてヴィンスとリリィ。
さらにその後ろには、パリッとしたローズウッド・グループの新品の制服に身を包んだ、元・帝国エリートたちの姿があった。
「き、貴様らは何者だ! 近衛兵! こ奴らを捕らえろ!」
皇帝の叫びに応え、数十人の完全武装した近衛兵たちが槍を構える。
だが、クリスティアは涼しい顔で、背後の元・魔導師団副団長(新入社員)に視線を送った。
「彼らに『我が社の待遇』を教えて差し上げなさい」
「はっ! クリスティア社長!」
副団長は前に出ると、かつての同僚である近衛兵たちに向かって、魔道具の拡声器で叫んだ。
「近衛兵のみんな! 俺だ! 帝国軍を退職してローズウッド社に転職したぞ! こっちの会社は最高だ! 初任給は帝国の三倍、完全週休二日制、おまけに毎日美味いビーフシチューが食べ放題で、天然温泉にも入れるぞ!!」
「……は?」
槍を構えていた近衛兵たちの動きが、ピタリと止まった。
「嘘だと思うなら、これを見ろ!」
副団長が懐から取り出したのは、湯気を立てるシロ特製の『極上ミートパイ』だった。
「今なら、武器を捨てて履歴書を書くだけで、このミートパイが支給される! 面接は顔パスだ!」
ゴクリ。
近衛兵たちの喉が鳴る音が、静かな天幕に響き渡った。
彼らもまた、皇帝の理不尽な命令でろくに食事も睡眠もとっていなかったのだ。
「な、何を惑わされている! 奴を殺せ! 殺さぬならお前たちを死刑に──」
ガシャン、ガシャン、ガシャァァン!!
皇帝の怒号を遮るように、近衛兵たちは次々と武器を床に投げ捨て、満面の笑みでミートパイの列(転職ブース)へと並び始めた。
「……チョロい。やはり、上が腐っている組織の末端は、少しの福利厚生で雪崩を打って崩壊しますわね」
クリスティアは扇子で口元を隠し、冷酷に笑った。
「貴様ぁぁぁっ! 私の軍を、私の国をどうする気だ!」
完全に孤立無援となった皇帝が、腰の剣を抜いてクリスティアに斬りかかろうとする。
「おっと。社長に触れるんじゃねえよ、老害」
ルシアンが瞬時に間合いを詰め、長剣の柄で皇帝の鳩尾を強打した。
「がはっ……!」
床に崩れ落ちた皇帝を見下ろし、クリスティアはゆっくりと歩み寄った。
「ガルディア帝国皇帝。貴方の最大の罪は、他国を侵略しようとしたことではありませんわ」
クリスティアは、ヴィンスから受け取った分厚い『ハイスペック人材の履歴書(調査票)』の束を、皇帝の顔の前にバサッと投げ落とした。
「貴方は、これほどまでに優秀な人材を自国に抱えながら、己のちっぽけなプライドと嫉妬心のために、彼らを石ころとして泥水に放り込んだ。
有能な社員の足を引っ張るトップなど、経営者失格どころか、組織のガン細胞ですわ!」
「ぐ、うぅ……! 私は皇帝だ……私が全てを管理しなければ……」
「その傲慢なマイクロマネジメントが、十万の軍勢を飢えさせ、あっさりと我が社に寝返らせたのですわ。……というわけで」
クリスティアは扇子をパチンと閉じ、見下すような氷の視線を突き刺した。
「貴方の帝国は、本日を以て我がローズウッド・グループが『完全吸収合併(M&A)』いたします。貴方には今すぐ、皇帝の座から退職していただきますわ」
ヴィンスが進み出て、合併合意書と退職届(※すでに元・帝国法務局のエリートが法的に完璧なものを作成済み)を皇帝の目の前に突きつけた。
「さ、サインなどするものか……! 帝国は、私のものだ……っ!」
「ルシアン。指の骨を折ってでも書かせなさい。もちろん、労災は下りませんわよ」
「了解だ。おい、右手と左手、どっちから折られたい?」
ルシアンが指の関節をボキボキと鳴らしながらしゃがみ込むと、皇帝は「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げ、震える手で無我夢中にサインを書き殴った。
「……確認いたしました。これにて、ガルディア帝国は我がグループの完全子会社となりました!」
ヴィンスが高らかに宣言し、リリィが「クリスティア社長、万歳!!」と拍手喝采を送る。
元・帝国のエリートたちや、ミートパイを頬張る近衛兵たちも「社長万歳!」と歓声を上げた。
「終わった……。ついに、最大のイレギュラー案件(戦争)を、一人の死傷者も出さずに片付けてやったわ……」
歓喜の渦の中で、クリスティアは天を仰いだ。
これで、東部経済圏における最大の脅威は排除された。
(勝った! 面倒なクレーム処理はこれにて完了! これで当分の間は平和! 明日から、私は真の、永遠の、絶対的なスローライフを手に入れたのよーーっ!!)
心の中で歓喜の涙を流し、ガッツポーズを決めるクリスティア。
だが、彼女は忘れていた。企業というものは、買収(M&A)が成立し、事業規模が拡大した『後』が一番地獄なのだということを。
「クリスティア社長!」
ヴィンスが、眼鏡をキラリと光らせて振り返った。
「帝国の吸収合併、おめでとうございます! つきましては、旧帝国領全土の統合業務に加え……厄介な問題が一つ発生しております」
「……え?」
「ガルディア帝国という『緩衝地帯』を吸収したことで、我が社の領土(国境)は、大陸西部を牛耳る『神聖商業連盟』および、北部の超軍事国家『ヴァルハラ皇国』といった、他の超大国(グローバル競合他社)と直接接することになってしまいました!」
「…………は?」
「現在、我がグループの急激な事業拡大と『異常なホワイト労働環境』の噂を強烈に警戒し、彼らが国境付近に『合同視察団(軍事演習)』を送り込んできているとの情報が──」
リリィが、満面の笑みで地獄の宣告(デスマーチの延長)を告げた。
「安心してください、社長! 大陸の残る超大国とのコンペ(冷戦)や経済摩擦が起きても、私たちも死ぬ気でサポートします! 帝国のホワイト化と対外防衛が落ち着く向こう三年ほどは、休暇など考えず共に駆け抜けましょう!!」
「……」
クリスティアの扇子が、ポロリと手から滑り落ちた。
王国をホワイト化し、帝国を吸収し、東部最大のグループ企業(国家)のCEOへと登り詰めた悪役令嬢。
だが、大陸にはまだ、ブラックな超国家がひしめき、彼女の作り上げたホワイト帝国を虎視眈々と狙っているのだ。
「いやあああああああああっ!! 私の休みを返してえええええええっ!!!」
夜の国境に、完全勝利を収めたはずの社長(元社畜)の、血を吐くような絶叫が虚しく響き渡った。
彼女が『一日中パジャマでゴロゴロする』というささやかな夢を叶えるためには、さらなる「グローバル事業展開(超大国との抗争)」を乗り越えねばならないのであった。




