戦場における大規模な合同企業説明会(ヘッドハンティング)
東部国境にて、ガルディア帝国軍・先鋒三万が『たった五十人の労基署』によって物理的に制圧(強制睡眠)させられたという報告は、後方に控える帝国本隊・七万に激震を走らせた。
「ば、馬鹿な! ザイード将軍の先鋒部隊が一夜にして全滅だと!?」
本隊の指揮を執るガルディア帝国総司令官は、天幕の中で報告書を握りつぶした。
「敵はどれほどの規模だ! 五万か、それとも十万の伏兵がいたのか!」
「そ、それが……生き残った伝令の報告によりますと、敵はわずか『五十人』……。しかも、彼らは『毎日八時間寝ているから力が有り余っている』などと意味不明な雄叫びを上げながら、素手で我々の盾を粉砕したと……!」
「戯言を抜かすな!」
総司令官は激怒して机を蹴り飛ばした。
「完全な休息だと? そんなもので軍隊が動くものか! 我が帝国の『不眠不休で働く精神力』こそが最強なのだ! ええい、歩みを止めるな! 全軍、直ちに前進し、ローズウッドの領地を蹂躙しろ! 逃げる者、立ち止まる者はその場で斬り捨てよ!」
理不尽な命令が下され、疲労と飢えで死に体となっていた七万の帝国兵たちは、重い足を引きずりながら再び進軍を強要された。
(休みたい……腹が減った……)
彼らの心にあるのは、国家への忠誠ではなく、ただ過酷なブラック環境に対する絶望だけだった。
だが、彼らが国境の丘を越え、ローズウッド領の広大な平野を見下ろした時。
七万の帝国兵たちは、自らの目を疑った。
「な、なんだあれは……? 幻覚か?」
彼らの眼下に広がっていたのは、恐ろしい防衛陣地でも、弓兵の列でもなかった。
見渡す限りに並べられた、真っ白で清潔なテントの群れ。
その中心には、煌々と魔石ランプで照らされた巨大な特設ステージが組まれている。
そして何より、帝国兵たちの心を──いや、胃袋を完全に打ち砕いたのは、平野の向こうから風に乗って漂ってくる『暴力的なまでの美味しそうな匂い』だった。
「こ、この匂いは……! 肉が焼ける匂い……それに、甘くて濃厚なスープの……っ」
「嘘だろ……もう五日も乾パンしか齧ってないのに……っ」
飢餓状態の帝国兵たちの腹の虫が、一斉に雷鳴のような音を立てる。
混乱する総司令官と帝国軍の前に、巨大な特設ステージの幕が上がり、スポットライトが中心の人物を照らし出した。
「よくお越しくださいましたわね、帝国軍の皆様! そしてご苦労様です、過酷な残業(行軍)でボロボロの社畜兵士たち!」
そこに立っていたのは、純白のドレスに身を包み、魔道具の拡声器を持ったクリスティア社長だった。
背後にはヴィンスとリリィが分厚い契約書の束を抱えて立ち、周囲にはルシアンとレオンハルト率いる労基署の面々が、巨大な寸胴鍋から「特製ビーフシチュー」をかき混ぜながらニヤニヤと笑っている。
「な、なんだあの女は!? 敵の総大将か!」
総司令官が剣を抜こうとするが、クリスティアの拡声器から放たれる声はそれを許さなかった。
「わたくしはローズウッド・グループCEO、クリスティアですわ! 本日は、ブラックな帝国軍に酷使されている皆様に、我がグループへの『中途採用』の特別枠をご用意いたしましたの!」
「ちゅ、中途採用……?」
聞き慣れない言葉に、帝国兵たちが顔を見合わせる。
「単刀直入に申し上げます! 今すぐ武器を捨てて我が国に降伏……いえ、帝国を『退職』し、我が社に『転職』する者には、以下の待遇を即座に保証いたしますわ!」
クリスティアは扇子をビシッと帝国軍に向けた。
「第一に! 今すぐそこに用意されている、温かいビーフシチューと焼きたての白パンを、お腹いっぱいになるまで食べさせます!」
「おおおっ……!」
帝国兵たちの間から、抑えきれない歓声が漏れる。
「第二に! 傷ついた者には最高級の回復魔法と、我が社の誇る『温泉リゾート』での三日間の完全休養(有給消化)を付与!」
「お、温泉……! 傷が治って、休めるのか……っ!」
兵士たちの足が、無意識に一歩前へと踏み出す。
「第三に! 転職後の初任給は、貴方たちが帝国でもらっていた給与の『三倍』! もちろん、完全週休二日制と残業代の支給を全社員(全兵士)に確約しますわ!! オーホッホッホ!!」
静まり返っていた平野に、数秒の空白が落ちた。
そして。
「……俺、転職します!!」
「俺もだ! もう乾パンと徹夜は嫌だああぁぁっ!!」
「ビーフシチュー! 温泉! 転職万歳!!」
ガシャン、ガシャン! と、帝国兵たちが次々と手にした槍や剣を放り捨て、クリスティアの用意したテント(炊き出し会場)に向けて全速力で駆け出し始めたのだ。
「き、貴様ら! 敵の甘言に乗るな! 戻れ! 戻らんか!! 戻らない者は反逆罪で斬るぞ!!」
総司令官が狂乱して叫び、逃げ出す兵士を背後から斬りつけようと剣を振り上げた。
だが、その剣が振り下ろされる前に。
「おっと。パワハラ上司による退職の引き止め(物理)は、完全な違法行為だぜ」
いつの間にか総司令官の背後に転移していたルシアンが、長剣の柄で司令官の後頭部を強打した。
「あ、が……っ」
白目を剥いて崩れ落ちるブラック上司。それを見た帝国兵たちは、もはや一ミリの躊躇いもなく、歓喜の涙を流しながらシチューの列に並び始めた。
「ヴィンス! リリィ! 転職希望者の列を整えなさい! 食事を配りながら、雇用契約書にサインさせるのです! 混乱を起こした者はシチューの肉を抜きにしますわよ!」
「「はっ! 完璧な誘導で捌いてみせます!!」」
七万の軍勢による、前代未聞の「武器を捨てた突撃(食事の列)」。
ヴィンスとリリィの神がかった事務処理能力と、元・第一騎士団の手際の良さにより、大混乱になるはずの敵軍の投降は、まるで大企業の社員食堂のようにスムーズに処理されていった。
「……チョロい。ブラック企業の末端社員なんて、温かいご飯と人間らしい待遇を提示すれば、一瞬で寝返るに決まっていますわ」
クリスティアは特設ステージの上で、優雅に紅茶をすすりながらその光景を見下ろしていた。
戦争という名の最悪のデスマーチを、彼女は自らの圧倒的な「福利厚生のプレゼン」によって、一滴の血も流さずに終わらせてしまったのである。
(よし! これで十万の敵軍は完全に解体、いや、我がグループの『新規労働力』として吸収できた! 帝国軍は実質的に消滅よ! あとは帝国の親玉(皇帝)に損害賠償を請求して……)
「クリスティア社長!」
シチューの配膳を終えたレオンハルトが、一人の捕虜……いや、新規採用者を連れてステージに上がってきた。
「この元・帝国兵の小隊長から、重要なタレコミがありました! なんと、今回の侵攻の総元締めである『ガルディア帝国皇帝』本人が、十万の軍勢の後方……国境のすぐ向こう側にある前線基地に、自ら陣取っているとのことです!」
「……は?」
クリスティアの動きが止まった。
「自ら陣取っている? 皇帝が、こんな国境スレスレまで?」
「はい! 皇帝は『自分が直接監視しなければ、部下たちはサボるに違いない』という極度のマイクロマネジメント(過干渉)気質の持ち主らしく……安全な後方から、部下を徹夜で働かせるために前線基地まで出てきているそうです!」
「……」
クリスティアの額に、ピキリと青筋が浮かんだ。
(部下を不眠不休で酷使しておいて、自分は安全な場所から監視してふんぞり返っている、クソブラック経営者の典型……ッ!)
前世で最も憎んだ人種。
有能な社員を潰し、会社を破綻させる最大の元凶。
クリスティアの中で、抑えきれない「元社畜としての怒り」と「労働基準監督署のトップとしての使命感」が爆発した。
「ルシアン! レオンハルト! ヴィンス! リリィ!」
クリスティアの怒号に、四人の幹部がビシッと直立不動の姿勢をとった。
「帝国軍十万の買収は完了しました! 次は、親玉のクビを取りにいきますわよ! 皇帝の前線基地にカチ込み(強制監査)をかけ、あのクソブラック経営者を物理的にリストラしてやります!!」
「「「「おおおおおっ!!!」」」」
美味しいシチューでお腹を満たした元・帝国兵十万人も、新しい社長の怒りに共鳴し、謎の熱狂的な歓声を上げた。
こうして、クリスティア率いるローズウッド・グループは、防衛戦から一転、ブラック帝国の心臓部(皇帝)に対する「敵対的買収」へと進軍を開始するのだった。




