国家丸ごとホワイト化計画と、最強の「労働基準監督署」設立 その2
それから数日間の、王国の混乱は凄まじかった。
とある地方の織物工房。
夜更けまでランプを灯し、職人たちが「今月は稼ぎ時だ!」と自主的に徹夜作業をしていたその時。
ドゴォォォン!!
分厚い木の扉が、物理的に吹き飛ばされた。
「な、なんだ!? 盗賊か!?」
粉塵の中から現れたのは、黒いコートを着たルシアンと、屈強な労基署の局員(元・第一騎士団)たちだった。
「王立・労働基準監督署だ!! 現在時刻、午後十時! 貴様ら、完全な『労働基準法違反(違法残業)』だぜ!!」
「ひぃぃっ!? お、お許しを! 我々はただ、自主的に仕事を……っ!」
「うるせえ! 社長の命令だ! 今すぐ機織り機から離れろ!」
ルシアンの怒号と共に、黒服の男たちがなだれ込み、職人たちを次々と羽交い締めにして外へと引きずり出していく。
「ああっ! 俺の仕事が! まだノルマが……!」
「ノルマは明日やれ! お前らは今から、強制的に『ローズウッド・スパ&リゾート』への二泊三日の慰安旅行(護送)だ!! たっぷり温泉に浸かって、脳ミソのブラックな垢を落としてきな!!」
また別の農村では。
月明かりの下でこっそりと収穫作業をしていた村長が、レオンハルト率いる部隊に包囲されていた。
「レオンハルト局長! 被疑者(村長)、確保いたしました!」
「よし! 鍬と鎌を全て押収しろ! この村は向こう三日間、強制休日とする! 村人全員に栄養価の高いスープと肉を支給し、一日十時間の睡眠を徹底させろ!」
「や、やめてくれぇ! 畑の野菜が泣いているんだぁぁっ!」
まるで凶悪犯罪者を捕縛するかのような手際の良さで、全国の「違法残業現場」が次々と摘発され、労働者たちは温泉や宴会場へと強制送行されていった。
最初は「働かせてくれ」と泣き叫んでいた労働者たちも、温泉の極楽のような湯に浸かり、美味い肉を食い、久しぶりに泥のように眠ることで、徐々に「休むことの素晴らしさ」を肉体で理解し始めた。
『労基署に踏み込まれると、強制的に温泉旅行に連行される』という噂は、恐怖と(一部の密かな歓喜を伴って)国中に広まり、わずか一ヶ月で、王国の夜は「完全に灯りが消え、皆が定時で寝る」という圧倒的ホワイトな静寂を取り戻したのである。
「ふぅ……。労基署の活躍のおかげで、ようやく全国の残業時間がゼロになりましたわね」
本社(王城)のバルコニーで、クリスティアは美しい星空を見上げながら、温かい紅茶を口に運んだ。
これで社畜の洗脳も解け、国全体のシステムが正常に稼働し始めるはずだ。
「お見事です、お嬢様。これで労働生産性はさらに飛躍的に向上することでしょう」
背後に控えるヴィンスが、誇らしげに頷く。
(よし! 国全体がマニュアル通りに自走し始めた! ということは、ついに……ついに私に、本当の休息が訪れるのね!!)
クリスティアの目から、感動の涙がこぼれ落ちそうになった。
全てを最適化し、誰も過労死しない、自分も働かない完璧な世界。
その頂点に立つCEOとして、明日からは無限の昼寝生活を満喫できるのだ。
「クリスティア社長! 緊急事態です!!」
そこへ、リリィが血相を変えて飛び込んできた。その手には、封蝋が切られた緊急の報告書が握られている。
「……リリィ。その手にある嫌な予感しかしない紙は、何かしら」
クリスティアの顔から、スッと表情が抜け落ちる。
「東部の国境警備隊からの早馬です! 隣国『ガルディア帝国』が、我が国に向けて十万の大軍を進軍させているとのことです!」
「……え?」
「我が国の『完全週休二日制・残業ゼロ』という異常なホワイト化の噂と、急激な経済発展の情報を聞きつけ……『怠惰な思想が自国に蔓延する前に、その豊かな富(と温泉)を武力で全て奪い取る』と、宣戦布告をしてきました!」
「………………」
リリィの悲痛な報告が、夜の王城に響き渡る。
戦争。それはつまり、「戦時特別体制」への移行。
防衛予算の再編成、兵站の管理、避難民の誘導。クリスティアがこれまで最適化してきた完璧なマニュアルとシフト管理が、すべて白紙に戻される「究極のイレギュラー対応」である。
「お嬢様! 直ちに防衛予算の緊急編成と、前線への補給物資の手配を徹夜で行います!」
ヴィンスが分厚い眼鏡を光らせ、猛烈な勢いで書類の山に飛びついていく。
「やれやれ、残業の次は戦争か」
バルコニーの屋根から、ルシアンがドスリと降り立った。その顔には、最高に凶悪な笑みが浮かんでいる。
「帝国軍十万だろうがなんだろうが、知ったこっちゃねえ。俺たち『労働基準監督署』の実働部隊が最前線に出向いて、お嬢の定時を脅かすバカ共を物理的に『完全退勤』させてやるぜ。なあ、レオンハルト」
「応! 我が第一騎士団の温泉への愛、帝国の愚鈍な刃などに砕かれはせん!」
黒いコートを翻し、元・第一騎士団の精鋭たちも雄叫びを上げる。
部下たちの士気は最高潮。
だが、クリスティアは手すりにガックリと手をつき、夜空に向かって、魂の底からの叫びを上げた。
「私のスローライフは、いつになったら始まるのよォォォォォォォッ!!」
悪役令嬢としてブラック職場から脱出したはずの元社畜。
ようやく国を丸ごとホワイト化したというのに、今度は国家防衛という名の『最悪のデスマーチ』が彼女を待ち受けていた。
「いいですわ! 売られた喧嘩は買収(物理で粉砕)してやります! 帝国の皇帝をひざまずかせ、ガルディア帝国ごと私の傘下に収めてやるんだからぁぁっ!!」
怒りと絶望と、休日を奪われた社畜の狂気を原動力に。
クリスティア社長の「防衛プロジェクト(絶対定時退社死守戦)」が、今まさに、銅鑼の音と共に幕を開けたのだ。




