国家丸ごとホワイト化計画と、最強の「労働基準監督署」設立 その1
王国全土を「ローズウッド・グループ」の完全子会社として吸収(国盗り)してから、一ヶ月が経過した。
かつて王の玉座が置かれていた豪奢な大広間は、今や巨大な一枚岩の大理石テーブルが鎮座する『グループ本社・最高役員会議室』へと改装されていた。
その最上座、座り心地だけは無駄に良い最高級の社長椅子に深く沈み込みながら、クリスティアは虚無の瞳で天井のシャンデリアを見つめていた。
「……終わらない。なぜなの。王宮の無能どもを全員リストラして、業務を最適化したはずなのに……なぜ、私の机から決裁書類が消えないの……」
クリスティアの目の前には、ローズウッド領時代とは比べ物にならない高さの書類の山脈が連なっていた。
無理もない。
彼女が今相手にしているのは、一つの領地ではなく「国家の全域」なのだ。全国土の予算承認、外交方針の決定、インフラ整備計画の最終確認。
システム化を進めれば進めるほど、「最終決裁権限を持つ者」の承認が必要な案件は雪ダルマ式に膨れ上がっていくという、大企業の呪いであった。
「お嬢様、現実逃避をしているお時間はありませんよ。北部の魔石鉱山の安全基準見直し案、それから東部の穀倉地帯における新農法導入の助成金申請です」
「クリスティア様! こちらは王立学園のカリキュラム改定案と、全国の孤児院への『完全週休二日制』対応の補助金算定書になります!」
ヴィンスとリリィの『最強秘書ツートップ』が、息つく暇もなく新たな書類をドサドサと積み上げていく。
彼らの顔には疲労の色はなく、むしろ「国を根底からホワイトに作り替える」という壮大なプロジェクトに脳内物質をドバドバと分泌させ、完全にハイになっていた。
(この二人……私への忠誠心と労働意欲が高すぎて、もはや常人の域を超えているわ! 優秀すぎる部下を持つと、トップが一番休めないという皮肉!)
クリスティアは血の涙を流しながら、超高速でペンを走らせ、決裁印をバンバンと押していく。
「お嬢様、書類の処理速度がまた上がりましたね! 素晴らしいです!」
「褒めなくていいから、早く私の『代わり』になる役員クラスの人材を育成しなさい!!」
悲痛な叫びを上げながら、クリスティアはふとペンの動きを止めた。
「……ヴィンス。先週から全国に布告した『新・労働基準法』の浸透具合はどうなっていますの? 地方の領民たちは、ちゃんと定時退社と週休二日を守っていますか?」
その問いに、ヴィンスとリリィの顔がわずかに曇った。
「それが……お嬢様。少々、厄介な問題が起きております」
「厄介な問題?」
「はい。長年、旧体制のブラック領主たちに搾取され続けてきた地方の平民たちが……『休む』という概念を理解できず、パニックを起こしているのです」
ヴィンスが差し出した地方からの報告書には、目を疑うような事態が記されていた。
『突如として休みを与えられた村人たちが、「これは働かない者を炙り出して処刑するための罠に違いない」と恐怖し、深夜に隠れて畑を耕している』
『「給料が倍になったのだから、睡眠時間を削って三倍働くのが筋だ」と主張する職人の組合が、休憩時間を勝手に返上して操業を続けている』
「……社畜の洗脳、ここに極まれりですわね」
クリスティアは頭を抱えた。
かつてガートナー支社で起きた「自主的サービス残業」のパンデミックが、全国規模で発生しているのだ。
無理もない。彼らにとって「労働こそが美徳」であり、「休息は怠惰(罪)」なのだ。長年の常識は、たった一枚の布告書で覆るほど甘くはない。
「クリスティア様、このままでは、せっかくのホワイト化計画が絵に描いた餅になってしまいます! 地方の労働者たちが勝手に過労死しては、我がグループの生産性が維持できません!」
リリィが深刻な顔で訴える。
「……ええ、分かっていますわ。法律を作っただけではダメ。それを物理的に『守らせる』強制力が必要ですわね」
クリスティアは扇子を広げ、不敵な笑みを浮かべた。
前世の記憶にある、ブラック企業が最も恐れる国家権力。それに相当する組織を、このファンタジー世界に創設する時が来たのだ。
「ルシアンを呼びなさい」
数時間後。
グループ本社(旧王城)の大広間に、黒を基調とした真新しい制服(スーツのような洗練されたデザイン)に身を包んだ屈強な男たちが整列していた。
その最前列に立つのは、同じく黒のロングコートを羽織り、悪人面をさらに際立たせているルシアンと、元・第一騎士団長のレオンハルトである。
「お嬢、なんだよこの窮屈な服は。剣が振りづらくてしょうがねえぜ」
首元を緩めながら文句を言うルシアンに、クリスティアは扇子でピシャリと指差した。
「我慢しなさい、ルシアン。貴方は今日から、この国の最高権力機関の一つ……『王立・労働基準監督署(通称:労基署)』の、初代・統括本部長ですわよ!」
「ろうき……なんだって?」
クリスティアは彼らを前に、高らかに宣言した。
「いいこと、よくお聞きなさい! 貴方たち『労基署』の実働部隊の任務はただ一つ! 全国津々浦々を巡回し、我がグループが定めた労働基準法を破り、隠れて残業をしている者たちを『物理的に強制退勤』させることです!」
レオンハルトが一歩前に出た。
「クリスティア社長。物理的に強制退勤とは、具体的にいかがすれば?」
「言葉通りの意味ですわ、レオンハルト団長! 夜になっても火が点いている工房があれば、扉を蹴り破って踏み込みなさい! 隠れて畑を耕している者がいれば、農具を没収してベッドに縛り付けなさい!」
クリスティアの過激すぎる指示に、元騎士たちはゴクリと息を飲んだ。
「逆らう経営者(元領主)がいれば、遠慮はいりません。即座に資産を差し押さえ、温泉発掘の強制労働送りにすること! 労働者の健康と定時退社を守るためなら、いかなる実力行使も許可しますわ! これぞ究極のコンプライアンス(暴力)です!」
「ハッ、なるほどな」
ルシアンがニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、拳を鳴らした。
「要するに、休まねえバカ共を合法的にブチのめして、強制的に休ませる『お掃除』ってわけだ。そいつは俺の得意分野だぜ」
「その通りですわ! さあ、行きなさい労基署の精鋭たち(犬ども)! この国の隅々まで、定時退社の鐘を響かせるのです!!」
「「「はっ! 全員、定時で帰らせます!!」」」
かつて国を守るために剣を振るっていた精鋭たちは、今や「残業撲滅」という新たな使命に燃え、黒い旋風となって全国へと散っていった。




