親会社(王宮)の倒産危機と、究極の事業再生(国盗り)
第一騎士団を「専属物流エスコート部隊」として合法的に取り込み、ローズウッド・グループの快進撃は留まるところを知らなかった。
街道の安全が完全に確保されたことで、五つの旧ブラック領地と王都を結ぶ物流ネットワークは爆発的な利益を生み出し、クリスティアの銀行口座(不労所得)は天文学的な数字を叩き出していた。
「……完璧。もう一生、いや来世まで遊んで暮らせる額ですわ」
領主邸の執務室。
最高級のシルクのソファーに寝そべりながら、クリスティアは通帳(魔法の残高証明書)を見てウフフと不気味な笑い声を漏らした。
今日こそ正真正銘、一切の仕事がない完全オフの日である。ヴィンスとリリィが完全に業務を掌握したため、彼女の元には「承認印」すら回ってこなくなっていた。
(ついに辿り着いた……! これが私の求めていた究極の『スローライフ(経営者リタイア)』! さあ、午後からは温泉に入って、シロの新作ケーキを──)
「お嬢様、至福のひとときのところ大変申し訳ありません」
ガチャリ、と重厚な扉が開き、ヴィンスが極めて深刻な顔で入ってきた。
その後ろには、リリィとルシアンも控えている。
「……ヴィンス。貴方のその顔、嫌な予感しかしませんわ。まさかまた、どこかの領主が理不尽なクレームを?」
「いえ、同業他社(地方領主)はすでに我がグループの完全な影響下にあります。問題は……『親会社(王宮)』の方です」
「親会社?」
ヴィンスが道を譲ると、一人の初老の男がフラフラとした足取りで執務室に入ってきた。
「……ク、クリスティア伯爵閣下……」
その男の顔を見た瞬間、クリスティアは息を呑んだ。
王国の国政を取り仕切るトップ、宰相その人であった。
だが、かつて王宮で見た威厳ある姿は見る影もない。
髪は抜け落ちて薄くなり、頬は骸骨のようにこけ、目の下のクマは第一王子やレオンハルト団長の比ではない『漆黒』に染まっていた。
その全身から立ち上る、強烈なまでの死の気配。
(……間違いない。あれは前世の私の会社にいた、過労死の三日前だった課長と同じ目……!)
社畜としての生存本能が警鐘を鳴らすレベルの、限界突破状態だった。
「さ、宰相閣下!? 一体どうされましたの、そのお姿は!」
「……もはや、一刻の猶予もありません。王国は、完全に破綻いたしました……」
宰相は糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
慌ててルシアンが抱き留め、ソファーに寝かせる。リリィが素早く温かいお茶と糖分(シロの特製クッキー)を口に運ぶと、宰相はようやくかすれた声で事の顛末を語り始めた。
クリスティアが去り、リリィが逃げ、第一騎士団すらも帰ってこなくなった王宮。
全ての政務を一人で抱え込んだエドワード第一王子は、ついに数日前、執務室で泡を吹いて倒れ、そのまま意識不明の重体に陥ったという。
「殿下が倒れられたことで、長年放置されていた国庫の赤字と、貴族たちからの不満が一気に爆発いたしました。国王陛下も心労で倒れられ……現在、王宮の機能は完全に停止しております」
「……見事なまでの連鎖倒産(ブラック企業の末路)ですわね」
クリスティアは扇子を広げ、冷ややかな視線を送った。
「それで? 瀕死の親会社から、優良子会社である我がローズウッド・グループへ、資金援助のお願いにいらしたと?」
「……資金援助だけでは、もはやどうにもなりません」
宰相は、縋るような、血走った目でクリスティアを見上げた。
「クリスティア様……どうか、どうか王宮へお戻りください! 貴女のその類まれなる経営手腕で、この国を……この腐りきった王国を立て直していただきたいのです! もちろん、第一王子殿下との婚約は白紙撤回。貴女には『摂政』として、国王に次ぐ絶対的な権限を付与いたします!」
それは、国を挙げての『土下座』だった。
かつて「嫉妬に狂った悪役令嬢」として追放した女に、国の命運の全てを丸投げするという、王家にとってこれ以上ないほどの屈辱的敗北。
だが、クリスティアの心は一ミリも揺らがなかった。
「……お断りいたしますわ」
「なっ……! なぜですか! 絶対的な権限が手に入るのですよ!?」
「権限があっても、結局『立て直し(火消し)』の実務をやらされるのは目に見えていますもの。赤字まみれの泥舟に乗って、再びサビ残の地獄を味わうなど真っ平御免ですわ」
クリスティアは冷酷に言い放つ。
彼女が求めているのはスローライフであり、国のトップという「究極の責任職」ではないのだ。
「そんな……。それでは、この国は……王家は終わりだ……」
宰相が絶望の涙を流し、突っ伏した。
その痛ましい姿に、かつての自分(ブラック上司に無茶振りをされ、絶望していた日々)を重ねてしまったのか。クリスティアの口から、ふと小さなため息が漏れた。
「……ヴィンス、リリィ」
「はっ」
「王家の負債総額と、我がグループの現在の総資産(内部留保)。比較するとどうなりますの?」
「……お嬢様。我がグループの総資産は、すでに王家の負債を三回全額返済しても、お釣りが来るレベルに達しております」
ヴィンスの恐るべき報告に、宰相がビクッと顔を上げた。
「……クリスティア様、それは一体……」
「宰相閣下。わたくしは摂政などという、中途半端な『雇われ社長』になるつもりはありません」
クリスティアはゆっくりと立ち上がり、宰相を見下ろした。
その瞳には、悪役令嬢としての傲慢さと、敏腕経営者としての冷徹な光が宿っていた。
「国庫の赤字は、我がローズウッド・グループが全額肩代わりして差し上げますわ。その代わり……『王国の行政権・徴税権・立法権』の全てを、我がグループに譲渡していただきます」
「……な、なにを……! それはつまり、王家から国を奪う(国盗り)と……!」
「ええ、そうですわ。これは資金援助ではありません。『王国の完全買収(TOB)』です」
応接間に、衝撃的な沈黙が走った。
一介の伯爵家が、国そのものを買収する。
ファンタジー世界の常識を根底から覆す、前代未聞の提案である。
「もちろん、王家を完全に廃するわけではありませんわ。国王陛下や王族の方々は、国の『象徴(名誉顧問)』として、年金暮らしの悠々自適なリタイア生活を送っていただきます。
政務の泥水は、全て我がグループの優秀な社員たちが引き受けますわ」
クリスティアは扇子をパチンと閉じた。
「いかがですか? 重圧から解放され、毎日定時で帰れる温かい生活か。それとも、このまま国と共に過労死するか。選ぶのは貴方ですわ、宰相閣下」
「……」
宰相は震える手で顔を覆った。
王家の忠臣として、この提案を飲むことは完全な裏切りである。
しかし、彼の脳裏をよぎったのは、永遠に終わらない書類の山、ヒステリックに怒鳴る王子、そして何年も休んでいない自分のボロボロの肉体だった。
「……定時で……帰れる、と……?」
「ええ。週休二日、有給休暇完備。ボーナスも弾みますわよ」
悪魔の(極めてホワイトな)囁き。
数秒の葛藤の後、宰相の口から漏れたのは、魂からの叫びだった。
「……買収(TOB)、謹んでお受けいたします!! どうか、どうか私を……このブラック王宮から救ってください!!」
「契約成立ですわ!」
クリスティアは高らかに笑い声を上げた。
「ヴィンス! リリィ! 直ちに買収手続きの書類を作成! 王宮に乗り込み、不良債権(無能な貴族たち)を一斉にリストラしますわよ!」
「「はっ! 喜んで!!」」
「ハッ、いよいよ王城の『大掃除』か。腕が鳴るぜ」
かくして、ブラック環境から逃げ出すために「悪役令嬢」を演じた元社畜は、そのホワイトすぎる経営手腕によって旧領地を飲み込み、騎士団を掌握し、ついには国そのものを合法的に「買収」してしまったのである。
(ああ……これでまた、全土のシステムをマニュアル化するまで私の休みが消え去ったわね……。でも、これが終われば! これが終われば絶対、絶対に永遠の昼寝をしてやるんだからーーっ!!)
究極の権力(CEOの座)を手に入れながらも、スローライフの遠のきに血の涙を流すクリスティア。
彼女の「完全定時退社」への果てしなき戦いは、ついに国家規模へと発展していくのだった。




