王室直属部隊の業務提携(アウトソーシング)と、特使の陥落
怒涛の「旧ブラック領地・連続監査デスマーチ」から一ヶ月。
五つの巨大な領地は、クリスティアが叩き込んだ『ローズウッド・マニュアル』と、ヴィンス&リリィという鬼の監査コンビの監視により、見事なまでにクリーンなホワイト企業群へと生まれ変わっていた。
「……終わった。ついに、全ての初期設定が終わったわ……!」
ローズウッド・スパ&リゾートの最高級貸切露天風呂。
クリスティアは、湯船の縁にだらりと腕を投げ出し、天を仰いでいた。
分刻みのスケジュール、毎日続く馬車での移動、そして社畜根性が抜けきらない旧領主たちへのコンプライアンス指導。
過労死寸前の日々を乗り越え、彼女はようやく「一日中何もしなくていい」正真正銘の休日を手に入れたのだ。
(これよ、これ! このために私は頑張ってきたのよ! 今日は絶対に一歩も外に出ない! 書類も見ない! 温泉とマッサージと美味しいご飯の無限ループをキメてやるんだから!)
「お嬢様、失礼いたします」
湯けむりの向こうから、ヴィンスの声が聞こえた。
クリスティアはビクッと肩を揺らした。
「ヴィ、ヴィンス!? 今日は私の絶対不可侵の休日のはずですわよ! もしやまた、どこかの支社でストライキが……!?」
「いえ、グループ内の労働環境は極めて良好です。ただ……少々厄介なお客様が、領主邸の正門に到着されまして」
「お客様?」
「はい。王宮直属・第一騎士団のレオンハルト団長率いる、完全武装の騎士五十名です」
クリスティアの動きがピタリと止まった。
(……は? 第一騎士団? なんでそんな国軍のトップが、うちの領地に乗り込んでくるのよ!?)
一時間後。
湯上がりのドレスに身を包んだクリスティアは、領主邸の応接間で、王宮からの使者と対峙していた。
「突然の訪問、お許しいただきたい。新ローズウッド伯爵殿」
ソファーに腰掛ける大柄な男──第一騎士団長レオンハルトは、重厚な鎧を身に纏い、鋭い眼光を放っていた。
だが、前世で酸いも甘いも噛み分けてきたクリスティアの目は誤魔化せない。
彼の鋭い眼光の奥には、隠しきれない『疲労』が色濃く滲み出ていた。
頬はこけ、声には張りがなく、鎧の下の体は明らかに栄養失調で痩せ細っている。
「ご苦労様です、レオンハルト団長。して、本日はどのようなご用件で? まさか、あの無能な第一王子殿下が、また私を呼び戻せと喚いているわけではありませんわよね?」
「……殿下は現在、山積みの政務と過労により、寝室から一歩も出られない状態にあります」
レオンハルトは苦渋の表情で首を振った。
「私が参ったのは、国王陛下からの勅命によるものです。現在、王都は極度な物資不足……端的に言えば、食糧危機に陥っております」
彼の口から語られた王都の現状は、クリスティアの予想を遥かに超える悲惨なものだった。
エドワードが政務を放棄し、有能な文官たち(リリィを含む)が次々とローズウッド領に引き抜かれた結果、王都の物流管理システムは完全に崩壊。
さらに、近隣のブラック領主たちがクリスティアに買収されたことで、王都への「安価な搾取農作物」の供給がストップしてしまったのだ。
「国王陛下は、ローズウッド領が抱える莫大な余剰食糧を、王家へ『無償で供出』するよう求めておられます。これは国家の危機を救うための、貴族としての義務です」
「無償供出。つまり、タダで寄越せと?」
クリスティアは扇子で口元を隠し、冷たく笑った。
「お断りしますわ」
「……ッ! クリスティア殿! これは陛下の勅命──」
「勅命だろうが何だろうが関係ありませんわ! 我が領の農作物は、領民たちが適切な労働時間内で汗水流して育てた正当な『商品』です! それを対価も払わずに奪い取るなど、完全なる搾取! 労働基準法が許しても、この私が許しませんわ!」
クリスティアの毅然とした態度に、レオンハルトはギリッと奥歯を噛み締めた。剣の柄に手が伸びる。
その瞬間、クリスティアの後ろに控えていたルシアンが、スッと前に出た。
「おっと。騎士団長サマだろうが、うちのお嬢に剣を向けたら即座に首を刎ねるぜ?」
「……裏社会の死神、ルシアンか。なぜ貴様のような男が、伯爵令嬢の下についている」
「さあな。お嬢の作るメシと労働環境が、最高にホワイトだからじゃねえの?」
一触即発の空気が応接間に張り詰める。
だが、クリスティアは扇子をパチンと閉じて立ち上がった。
「レオンハルト団長。貴方、昨日の夜から何も食べていませんわね?」
「なっ……なぜそれを」
「顔を見ればわかりますわ。完全な『過労と栄養失調の社畜フェイス』ですもの。国軍のトップをそんな状態まで追い詰めるなんて、王宮の労働環境は完全に終わっていますわね」
クリスティアはため息をつき、リリィに視線を送った。
「リリィ。食堂に連絡を。最高級のステーキと、採れたての温野菜のスープ、それに焼きたての白パンを用意させなさい。もちろん、外で待機している五十名の騎士たちの分もです」
「はいっ! 直ちに手配いたします!」
レオンハルトは目を丸くした。
「な、何を言っている。私は貴女を捕縛してでも食糧を奪うよう命じられているのだぞ! 敵からの施しなど──」
「いいから黙って食べなさい! 腹が減っては戦も交渉もできませんわ!」
クリスティアが一喝すると、レオンハルトはビクッと肩を震わせ、黙り込んだ。
数十分後。
領主邸の大食堂には、信じられない光景が広がっていた。
「……う、うまい。なんだこの肉は。柔らかい……スープが、体に染み渡る……っ」
大柄なレオンハルト団長が、ボロボロと大粒の涙を流しながら、猛然とステーキを口に運んでいた。
外の広場に案内された五十名の騎士たちも同様だ。
彼らは王都で冷え切った硬いパンと塩水のようなスープしか口にしていなかった。
温かく栄養満点の食事は、彼らの干からびた心と胃袋を完全に打ち砕いたのである。
「ゆっくり召し上がれ。おかわりはいくらでもありますわよ」
紅茶を飲みながら、クリスティアは慈母のような笑み(※内心は計画通りとほくそ笑んでいる)を浮かべていた。
「ク、クリスティア殿……私は……我々は、貴女の領地を脅かしに来たというのに……」
食事を終えたレオンハルトは、深く頭を下げた。
もはや彼から敵対心は完全に消え失せ、ある種の崇拝の念すら混じっていた。
(チョロい。やはり極限まで追い詰められたブラック企業の社員は、温かいご飯と人間らしい扱いで一発で落ちるわね!)
クリスティアは本題に入った。
「レオンハルト団長。無償供出はお断りしますが、王都の民を見殺しにするつもりもありませんわ」
「それでは!」
「ええ。我がローズウッド・グループは、王宮と正式に『業務提携(BtoB契約)』を結びます」
ヴィンスが進み出て、一枚の契約書を提示した。
「条件は二つ。一つ、食糧は全て『適正価格』で王宮に買い取っていただきます。ツケ払いは認めません」
「し、しかし王宮にはもう資金が……」
「そこで条件の二つ目です」
クリスティアは扇子でレオンハルトをビシッと指差した。
「資金が足りない分は、貴方たち『第一騎士団』に労働で支払っていただきますわ」
「労、働……? 私たちが、畑を耕せというのか?」
「違いますわ。現在、我がグループは五つの領地を吸収し、物流のネットワークが爆発的に拡大しています。しかし、街道の魔物や盗賊から荷馬車を守る『凄腕の護衛』が圧倒的に不足しているのです」
クリスティアの目が、獲物を狙う鷹のように鋭く光った。
「王宮の資金不足分は、第一騎士団が我がローズウッド・グループの『専属物流エスコート部隊』として働くことで相殺とします! もちろん、護衛任務中の食事は全てこちらで負担し、週に一度は『温泉リゾートの無料利用券』を支給しますわ!」
「お、温泉……!? あの伝説の、疲れが完全に吹き飛ぶという……っ!?」
レオンハルトの目の色が完全に変わった。
王都での激務と飢え。
それに比べて、護衛をすれば温かい飯が食えて、温泉にまで入れるという破格の条件。
「や、やります! いや、やらせてください!! 第一騎士団の総力を挙げて、お嬢様の……いや、社長の荷物をお守りいたします!!」
「契約成立ですわ!」
こうして、王都からの特使としてクリスティアを脅迫しに来たはずの第一騎士団は、温かいご飯と温泉チケットという名の「圧倒的ホワイト福利厚生」の前にあっけなく陥落した。
国軍のトップエリートたちを「専属の運送警備員」として合法的に組み込んだローズウッド・グループの物流ネットワークは、これによって完全に盤石なものとなったのである。
(よし! これで懸念だった物流のボトルネックも解消! 王宮には恩を売りつつ利益も確保! 私の完璧な不労所得システムが、また一段階ステージアップしたわ!)
書類にサインするレオンハルトを見つめながら、クリスティアは内心で勝利のガッツポーズを決める。
もはやこの国において、ローズウッド伯爵家の経済的・武力的な優位を覆せる存在は、何一つ残されていなかった。




