社畜の後遺症(サビ残)には、物理的な強制退勤を
敵対的買収(M&A)によってローズウッド領の傘下に収まった五つの旧ブラック領地。
クリスティアは、その筆頭である「旧ガートナー子爵領(現・ガートナー支社)」へと、馬車を走らせていた。
(領地が五つも増えたせいで、ここ数日は本当に地獄だったわ……! 帳簿の統合、新しい人事評価制度の構築、マニュアルの配布。でも、今日この監査が終われば、今度こそ、今度こそ私のスローライフが……!)
馬車の中で、クリスティアは死んだ魚のような目をしながら、分厚い監査ファイルに目を通していた。
向かいの席では、有能な右腕であるヴィンスとリリィが、涼しい顔で次々と書類を捌いている。
「お嬢様、ガートナー支社の業績報告ですが、買収からわずか二週間で生産性が十五パーセント向上しております。マニュアルの浸透は順調かと」
「ええ、クリスティア様! ガートナー支社長(元子爵)も、毎日泣きながら法令遵守を徹底しているようです!」
二人の報告に、クリスティアは小さく頷いた。
ガートナーたちは、王家からの特別徴税で身ぐるみ剥がされる恐怖と、クリスティアの資金力に完全に屈した。
今や彼らは、ローズウッド家の末端の「支社長(中間管理職)」として、必死にマニュアル通りに領地を回しているはずだった。
「お嬢、到着したぜ」
御者台からルシアンが声をかけ、馬車が停まった。
クリスティアたちが降り立ったのは、旧ガートナー領の中心にある巨大な鉄鉱石の採掘場だった。
「ひぃっ! ク、クリスティア様! よくぞお越しくださいました!」
待ち構えていたガートナー支社長は、かつてのふんぞり返った態度など微塵もなく、揉み手をしてペコペコと頭を下げてきた。
目の下には、見事なブラック企業特有のクマができている。
「ご苦労様です、ガートナー。マニュアルは守られていますわね?」
「も、もちろんでございます! 残業の全面禁止、週休二日制の導入! 規定通りに運用しております!」
「よろしい。では、現場を見せていただきましょう」
クリスティアが扇子を広げ、採掘場の中へと足を踏み入れた。
だが、そこには異様な光景が広がっていた。
時刻はちょうど、定時を告げる夕刻の鐘が鳴り終わったところである。
マニュアル通りであれば、労働者たちは速やかに道具を片付け、帰路についていなければならない。
しかし、薄暗い坑道の奥からは、カァン、カァン、とツルハシを振るう音が絶え間なく響いてきていた。
「……ガートナー?」
クリスティアの氷のような視線が、支社長を射抜く。
「ひぃぃっ! ち、違うのですクリスティア様! 私は確かに定時で帰れと命令しました! しかし、彼らが……っ!」
ガートナーが泣きそうな顔で弁明する中、ルシアンが坑道から一人の労働者の首根っこを掴んで引っ張り出してきた。
「お嬢、こいつら、灯りも点けずに暗闇の中で隠れて掘ってやがったぜ」
「お、お助けください! どうかクビにしないでくだせぇ!」
泥だらけの労働者は、クリスティアの足元に縋り付いてガタガタと震え出した。
「どういうことですの? なぜ定時を過ぎても働いているのですか。残業代は申請しましたか?」
「ざ、残業代……? そ、そんな恐れ多い! 我々はタダで働きます! ですからどうか、我々から『仕事』を奪わないでくだせぇ!」
「……は?」
労働者の悲痛な叫びに、クリスティアは目を丸くした。
さらに奥から、他の労働者たちも次々と這い出してきて、口々に叫び始めた。
「今まで通り、朝から晩まで働きます! 休みなんて要りません!」
「急に休めと言われても、何をすればいいのか分からないんでさぁ! 働いてないと、明日には殺されるんじゃないかって不安で不安で……っ!」
その言葉を聞いて、クリスティアは頭を抱えた。
(ああ……やってしまったわ。これぞまさに、ブラック環境に長年染まりきった労働者が発症する『社畜の後遺症(洗脳)』……!)
過酷な環境で「休む=悪」「働かない=死」という価値観を刷り込まれた人間は、急にホワイトな環境を与えられても適応できない。
休日の過ごし方が分からず、罪悪感に苛まれ、結果的に「自主的なサービス残業」に走ってしまうのだ。
(分かる、分かるわよ…)
前世の社畜時代にも、有給休暇を無理やり消化させられて、公園のベンチで虚無の顔をしてハトに餌をやっている先輩を見たことがある。
「クリスティア様! このままではマニュアル違反で私の首が飛びます! どうか彼らに、強制的に休むよう命令してください!」
ついにガートナーが土下座して泣きついてきた。ブラック経営者がホワイト基準を守るために、労働者に「頼むから働かないでくれ」と懇願する異常な構図である。
「……仕方ありませんわね」
クリスティアは扇子をパチンと閉じ、深くため息を吐いた。
「ヴィンス! リリィ!」
「「はっ!」」
「この領地の労働者たちは、長年の搾取によって『休むこと(娯楽)』の概念を忘却していますわ。強制的なリハビリが必要です。直ちに『社内レクリエーション(宴会)』の準備をなさい!」
クリスティアの号令に、右腕と秘書が素早く動いた。
「ルシアン!」
「おう、何をぶっ壊せばいい?」
「何も壊さなくていいですわ! 坑道の入り口を物理的に封鎖し、彼らを外の広場に連行なさい! そして、二度と定時後に仕事ができないよう、坑道内の魔石ランプ(照明)を全て回収すること!」
「ハッ、強制退勤ってやつだな。任せとけ!」
ルシアンの圧倒的な武力と手際により、労働者たちはあっという間に広場へと集められた。
そこにはすでに、ヴィンスとリリィが手配した大量の酒と、近隣から買い付けた豪華な肉料理が山のように積まれていた。
「いいこと、よくお聞きなさい!」
呆然とする労働者たちを前に、クリスティアは木箱の上に立って高らかに宣言した。
「貴方たちは今日から、ローズウッド・グループの誇り高き社員(領民)です! 働きすぎは効率の低下を招き、私の不労所得を脅かす『罪』ですわ!」
「つ、罪……!」
「休むことも、仕事のうちです! ですから今夜は、この酒と肉を胃袋に詰め込み、馬鹿騒ぎをして、泥のように眠りなさい! 明日の朝まで仕事の話をした者は、即刻減給としますわよ! オーホッホッホ!」
クリスティアの(一見理不尽な)命令に、労働者たちは恐る恐る酒杯を手に取った。
一口、また一口と酒を飲み、分厚い肉をかじる。
何年、いや十何年も味わったことのない、豊かで美味しい食事。
「……うめぇ」
誰かがポツリと漏らした一言が、引き金だった。
「肉だ! 本物の肉だぞ!」
「酒なんて、何年ぶりだろうか……っ!」
「お嬢様、万歳! ローズウッド家、万歳!!」
堰を切ったように、広場に歓声と熱狂が渦巻いた。
長年の抑圧から解放された労働者たちは、涙を流しながら笑い合い、酒を酌み交わし始めた。彼らの目から『社畜の濁り』が消え、人間らしい光が戻っていく。
「ふぅ……これでようやく、この領地も正常に回り始めますわね」
宴会の喧騒から少し離れた場所で、クリスティアはフルーツ水で喉を潤した。
これこそがホワイト企業の真骨頂。労働者に正当な報酬と娯楽を与え、モチベーションを回復させることで、さらに質の高い労働力を確保する。
「見事な荒療治でした、お嬢様。ガートナー支社長も、安堵して倒れ込んでおります」
ヴィンスが微笑みながら報告する。
「ええ。これで一つ片付きましたわ。さあ、明日からは私も温泉に入って、ゆっくりと……」
クリスティアがスローライフの甘い妄想に浸ろうとした、その時。
リリィがニコニコと笑顔で、新しいファイルの束を抱えてやってきた。
「クリスティア様! ガートナー支社の視察、お疲れ様でした! ……ええと、明日は旧サリバン男爵領の農業組合の監査、明後日は旧ウォーカー子爵領の港湾施設の視察、そしてその次は……」
「……」
クリスティアの笑顔が、ピシリと凍りついた。
「あと四つ。旧ブラック領地の監査と体質改善が残っております! スケジュールは分刻みで完璧に組んでありますので、ご安心を!」
リリィが、かつてクリスティアから教え込まれた「完璧な秘書」の鑑のような顔で言い放つ。
「……リリィ」
「はい!」
「貴女、仕事……好きね……」
「クリスティア様のおかげです!!」
(私が育てた優秀な部下のせいで! 私の首が! 締まっていくぅぅぅっ!!)
広場でどんちゃん騒ぎをする領民たちの明るい笑い声とは対照的に、クリスティアは心の中で絶望の叫びを上げていた。
巨大グループ企業のトップに君臨してしまった悪役令嬢のスローライフへの道のりは、まだまだ遠く険しいようである。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この作品の改善についてですが、あくまで一例です。
他にもたくさんの改善方法はあると思います。
私ならこういう政策をするなど想像しながら読むのも楽しいかもしれません。
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