同業他社(近隣領主)からの理不尽なクレームと、恐怖のM&A
ローズウッド家の正式な当主(最高責任者)に就任して数日。
クリスティアは、執務室の立派な当主用の椅子に深く腰掛け、完全に虚無の表情を浮かべていた。
(当主になったからといって、やることは変わらない……そう思っていた時期が私にもありました)
「お嬢様! 北部の農地開発に関する最終決裁をお願いします!」
「クリスティア様! 隣接するサリバン男爵領との関税交渉、相手方がゴネておりまして、当主同士の書簡が必要です!」
「お嬢! 温泉街で酔っ払った観光客が暴れたから、警備隊の増員許可をくれ!」
ヴィンス、リリィ、ルシアンの三人が、次々と書類や報告をクリスティアの机に持ち込んでくる。
そう、彼女は忘れていたのだ。
組織が大きくなり、事業が多角化(温泉リゾート、新規開拓など)すればするほど、最終的な「経営判断」を求められる案件は爆発的に増えるということを。
部下がどれだけ優秀でも、責任の所在がトップにある以上、確認作業からは逃れられないのである。
「あーもうっ! 順番になさい! 私は腕が二本しかないのですわよ!」
クリスティアは自暴自棄気味にペンを走らせ、次々と書類にサインを入れていく。
前世の記憶が警鐘を鳴らしていた。
『社長、これお願いします』
『社長、あの件どうなりましたか』
これではまるで、急成長したベンチャー企業で一番忙しい思いをしているワンマン社長そのものではないか。
(私の! スローライフは! どこにいったのよぉぉぉっ!!)
心の中で血の涙を流しながら、必死にタスクを消化していくクリスティア。
そんな嵐のような午前中が過ぎ、ようやく定時の鐘の前にひと息つけるかと思った時だった。
「お、お嬢様! たいへんです!」
エントランスの警備を任せていた若い兵士が、血相を変えて執務室に駆け込んできた。
「近隣の領主たちが……サリバン男爵、ガートナー子爵をはじめ、五名の領主が護衛を引き連れて、我が領主邸に乗り込んできました!」
「……は?」
クリスティアはピタリとペンの動きを止めた。
近隣の領主たち。それはつまり、ローズウッド領の周囲を治める「同業他社」のトップたちである。
「アポ(事前の面会予約)はありましたの?」
「い、いえ! 抜き打ちの視察だと仰って、強引に馬車を中庭に──」
「非常識にも程がありますわね!」
クリスティアは扇子をバシッと机に叩きつけた。
「他人の城に土足で踏み込んでくるとは。いいでしょう、当主としての初仕事、丁重に『おもてなし』して差し上げますわ!」
応接間に通された五人の領主たちは、一様に不機嫌そうな顔で葉巻を吹かしたり、腕を組んだりしていた。
彼らはいずれも、領民から重税を搾り取り、自分たちだけが贅沢な暮らしをするという、絵に描いたようなブラック領主たちだった。
扉が開き、クリスティアがヴィンスとリリィを従えて姿を現す。
「ようこそ、ローズウッド領へ。急なご訪問のようですが、わたくしに何かご用でしょうか?」
優雅に微笑むクリスティアに対し、リーダー格であるガートナー子爵が、鼻で笑いながら立ち上がった。
「ふん。代行の小娘から正式な当主になったと聞いて、顔を見に来てやったのだ。しかし、相変わらず礼儀のなっていない生意気な態度だな」
「お褒めにあずかり光栄ですわ。…それで?」
「とぼけるな! 貴様の領地のせいで、我々がどれほど迷惑を被っているか分かっているのか!」
ガートナー子爵が激昂してテーブルを叩いた。
「最近、我が領の農民や職人たちが、次々と夜逃げをしてこのローズウッド領へ逃げ込んでいるのだ! 貴様、不当な高賃金と待遇で、我々の労働力を引き抜いているだろう!」
「ええ、その通りです。サリバン男爵領からも、有能な文官が何人も姿を消した! 貴様の領地は異常だ!」
他の領主たちも次々と不満を爆発させる。
彼らの言い分はこうだ。
ローズウッド領が「完全週休二日制」「残業禁止」「高給与」というあり得ない条件で領民を甘やかしているせいで、自分たちの領地の奴隷(領民)たちが不満を持ち、逃げ出してしまう。
これは近隣領主の暗黙の了解を破る重大な背信行為である、と。
「なるほど。つまり貴方たちは、自分たちの劣悪な労働環境を改善する努力もせず、優秀な人材が他社に流出していくのを、わたくしのせいにしているのですわね?」
クリスティアの冷ややかな一言に、領主たちの顔が真っ赤に染まった。
「き、貴様! 先祖代々続く我々の伝統ある統治を愚弄するか!」
「だいたい、週休二日などというふざけた制度で、領地が回るわけがない! 貴様、裏で非合法な魔薬の栽培や、違法な人身売買をして利益を上げているのだろう! 今日はそれを監査しに来たのだ!」
言いがかりも甚だしいクレームだった。
自分たちが無能であることを認めたくないブラック経営者は、成功している他社を見ると、決まって「あそこは不正をしているに違いない」と思い込むものである。
「ヴィンス、リリィ」
クリスティアは扇子で口元を隠し、冷酷な光を瞳に宿した。
「この無能どもに、我が領の『真実』をお見せしなさい」
「はっ!」
ヴィンスとリリィが一歩前に出ると、ヴィンスは分厚いファイルを開いた。
「ガートナー子爵。貴方の領地の主力産業である『鉄鉱石』の採掘ですが、我がローズウッド領は先月より、貴方の領地からの輸入を完全に停止し、自領北部の岩山からの採掘に切り替えました。最新の魔力削岩技術と労働者の適切なシフト管理により、採掘コストは貴方の領地の『三分の一』です」
「な、なんだと!?」
「さらに、サリバン男爵!」
リリィが元気よく声を張り上げる。
「貴方の領地で生産されている小麦ですが、我が領の温泉リゾートの地熱を活用した『温室栽培』により、季節を問わず高品質な小麦の大量生産に成功しております! すでに王都の市場のシェアは、我が領が奪いつつあります!」
「ひぃっ!?」
ヴィンスとリリィの容赦ないプレゼンテーション(事実陳列罪)に、領主たちは言葉を失った。
「おわかりになりましたか?」
クリスティアはゆっくりと立ち上がり、彼らを見下ろした。
「わたくしの領地が豊かなのは、不正をしているからではありません。無駄な業務を削減し、労働者に適切な休息と報酬を与え、彼らのモチベーションと生産性を極限まで高めた結果です。
貴方たちのような、恐怖と搾取でしか人を動かせない三流経営者とは、根本的に『システム』が違うのですわ」
「ぐ、ぐぬぬ……! た、たかが小娘が、調子に乗るなよ! このような秩序を乱すやり方、王家が黙っているはずがないぞ!」
ガートナー子爵が最後の負け惜しみを吐き捨てる。
だが、その時だった。
応接間の窓がガラリと開き、ルシアンが飄々とした顔で姿を現した。
「お嬢、ちと耳に入れておきたい情報が手に入ったぜ」
「何かしら、ルシアン。今、他社との大事な商談中(マウント取り)なのですが」
「ああ、悪いな。王都に放ってたスパイからの報告なんだが……エドワード第一王子の過労による倒錯と、政務の完全な麻痺が原因で、王家の財政がショート寸前らしい。今、あちこちの領主に対して『緊急の特別徴税』をかける準備をしてるってよ」
「……は?」
領主たちの顔色が一瞬にして蒼白になった。
特別徴税。
それは文字通り、王家が地方の領主から強制的に金品を巻き上げる暴挙である。
ただでさえ人材流出で財政が傾きかけている彼らにとって、それは完全な『トドメ』を意味していた。
「な、なんてことだ……我が領はもう、税を払う余裕など……!」
「終わりだ、破産してしまう……!」
パニックに陥り、その場にへたり込む領主たち。
その無様な姿を見下ろしながら、クリスティアの脳内に、悪魔的なアイデアが閃いた。
(……待って。彼らの領地が破産すれば、さらに大量の難民が我が領に押し寄せてくる。それは私のスローライフにとって多大なマイナス。だが逆に、彼らの領地を『安値で買い叩いて』、ローズウッド領の完全な傘下(子会社)にしてしまえば?)
クリスティアの口角が、ゆっくりと吊り上がっていく。
「皆様。たいへんお困りのようですわね」
「ク、クリスティア殿……」
「もしよろしければ、このわたくしが、貴方たちの領地の債務を全て肩代わりして差し上げましょうか?」
蜘蛛の糸を垂らすような、甘く優しい声。
領主たちは一斉に顔を上げた。
「ほ、本当か!? 肩代わりしてくれるというのか!?」
「ええ。ただし、条件がありますわ。貴方たちの領地の『行政権』と『徴税権』を、全てこのローズウッド家に委譲すること。つまり、貴方たちは領主の座を退き、我が領の『支社長』として、わたくしのマニュアル通りに働いていただきます」
それはファンタジー世界における、完全なる『敵対的買収(M&A)』の宣告だった。
「な、我が領を乗っ取る気か!」
「お嫌なら結構ですわ。どうぞ、王家の特別徴税で身ぐるみ剥がされて、路頭に迷ってくださいませ。オーホッホッホ!」
圧倒的な資金力と、逃げ場のない現実。
数分の沈黙の後、ガートナー子爵をはじめとする領主たちは、ついに屈辱に震えながらその場に平伏した。
「……わかった。行政権を、譲渡する……」
「賢明な判断ですわ」
クリスティアは扇子をパチンと閉じ、ヴィンスに視線を送った。
「ヴィンス! 彼らの領地に直ちに監査を入れなさい! 不正と無駄を徹底的に洗い出し、ローズウッド・スタンダードのホワイト環境を強制適用しますわよ!」
「はっ! 直ちに契約書と買収の手続きに入ります!」
かくして、理不尽なクレームを入れに来たはずのブラック領主たちは、逆に領地ごとクリスティアに飲み込まれることとなった。
ローズウッド領の版図は一気に拡大し、クリスティアは期せずして、国の一大勢力を束ねる「巨大グループ企業(巨大領土)」のトップへと君臨してしまったのである。
(ちょっと待って…ああ……領地が広がったってことは、また確認作業(仕事)が増えるじゃないの! スローライフが、スローライフが遠ざかっていくぅぅぅ!!)
絶大な権力と富を手に入れながらも、心の底で血の涙を流すクリスティア。
有能すぎるが故に働き続けなければならない元社畜の業は、まだまだ彼女を解放してくれそうになかった。




