元・恋のライバルは、魅力的な途採用枠
ローズウッド・スパ&リゾートの大成功により、領地の財政はかつてないほどの潤いを見せていた。
秋の涼風が吹き抜ける領主邸の執務室で、クリスティアは今日も優雅に紅茶のグラスを傾けていた。机の上に書類の山はなく、あるのは美しく整理された数枚の決裁書のみ。
「お嬢様。今月の温泉施設の売上報告と、新規移住者の受け入れリストです。全て滞りなく処理されております」
「ご苦労様、ヴィンス。今日も完璧な仕事ぶりですわね」
クリスティアはヴィンスが提出した書類にスラスラと目を通し、流れるような動作で承認のサインを記した。
これにて本日の業務、終了。時計の針はまだ午後一時を回ったところである。
(素晴らしいわ。やはり仕組み化とインフラ整備は裏切らない。これぞ私が前世から夢見ていた、完全無欠の不労所得ライフ……!)
午後からは温泉でエステの予約を入れている。完璧な午後のスケジュールに胸を躍らせていた、その時だった。
「お嬢、お茶の時間を邪魔して悪いが、ちと面白いモンが釣れたぜ」
窓から音もなく執務室に侵入してきたルシアンが、肩に担いでいた『麻袋』をドサリと床に下ろした。
「ルシアン? また領地を荒らすならず者でも捕まえましたの?」
「いや、それがな。王都方面からの街道をフラフラ歩いてたのを警備隊が保護したんだが……お嬢に面会を求めて大騒ぎするもんで、俺が直接運んできた」
ルシアンが麻袋の紐を解くと、中からボロボロのフードを被った小柄な人影が転がり出てきた。
「ゲホッ、ゴホッ! あ、ありがとうございます……死ぬかと思いました……っ」
埃まみれのフードがめくれ、ピンクゴールドの髪がこぼれ落ちる。
その顔を見た瞬間、クリスティアは飲んでいた紅茶を盛大に吹き出しそうになった。
「なっ……!? 貴女、リリィ・フィールド男爵令嬢!?」
そこにいたのは、かつて王宮でエドワード第一王子と恋に落ち、クリスティアを「悪役令嬢」として断罪の場に追いやった、あの大人気ヒロインだった。
だが、その姿は王宮で見ていた愛らしく純真な令嬢のものとは程遠い。
美しい髪はパサパサに乱れ、頬はこけ、目の下にはかつてのクリスティアと同じ、見事なまでに真っ黒な『過労死ラインのクマ』が刻まれていたのだ。
「り、リリィ様!? なぜこのような辺境に!?」
ヴィンスも驚愕して立ち上がる。
リリィはクリスティアの姿を認めるなり、フラフラと立ち上がり、そのまま土下座のような勢いで床に額を擦り付けた。
「ク、クリスティア様ぁぁっ! どうか、どうか私をこの領地で雇ってくださいませぇぇっ!!」
「……はい?」
クリスティアは扇子を持ったまま固まった。
恋のライバル(※クリスティア側には一切その気はなかったが)であり、次期王太子妃の座に就いたはずの彼女が、なぜ自分に雇用を求めて土下座しているのか。
「落ち着きなさい、リリィ。貴女、エドワード殿下と愛を誓い合ったのではありませんの? それにその顔色……まるで三徹明けの社畜のようですわよ」
「社畜という言葉は存じ上げませんが……まさにその三徹明けで逃げてまいりました……っ!」
リリィは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、事の顛末を語り始めた。
クリスティアが王宮を去った後、案の定、エドワードは全ての政務をリリィに丸投げしようとした。
「お前は俺の愛する妃なのだから、クリスティアがやっていた仕事を全て引き継げるだろう?」という、ブラック企業も青ざめる無茶振りである。
だが、ここで一つの『誤算』が生じた。
クリスティアが王宮時代、リリィに嫌がらせとして課していた「スパルタOJT研修」である。
クリスティアから分厚い王宮法典や過去の経理書類をドサッと押し付けられ、泣きながらそれを暗記させられていたリリィには、既に『法務・経理の基礎知識』がしっかりと根付いてしまっていたのだ。
「エドワード様から渡された決裁書類を見て、私は気づいてしまったのです! 予算の計上基準はめちゃくちゃ、法律の第一章三項にも違反している! しかも、それを私一人に無給で処理させようとするなんて、王宮労働法規(※クリスティアが徹夜で作った裏マニュアル)に完全に抵触する『違法労働』だと!!」
リリィはギリッと奥歯を噛み締めた。
「クリスティア様が私にあの分厚い法典を暗記させたのは、ただの嫌がらせなどではなかった! 『上に立つ者の責任』と『正しい労働環境のあり方』を教えるための、厳しくも愛のある新人研修だったのですね!?」
「…………ええ、まあ(ただの業務引き継ぎのつもりだったとは言えない雰囲気ですわね)」
クリスティアは扇子で口元を隠し、冷や汗をごまかして鷹揚に頷いてみせた。
「それに気づいた私は、エドワード様に『ご自分で処理なさってください!』と書類を叩きつけ、王宮から逃げ出してきました! そして行商人から、クリスティア様がこの領地で『完全週休二日制・残業禁止』の素晴らしい領地経営をなされていると聞き……居ても立っても居られず……っ!」
リリィは再び土下座の姿勢に戻り、床に額を擦り付けた。
「どうかお願いします! 私をここで働かせてください! クリスティア様の下で、正しくホワイトな労働環境で、領民のために粉骨砕身働きたいのです!!」
執務室に沈黙が降りた。
ヴィンスは「なんと……王太子妃の座を捨ててまで、我が領のホワイト環境を求めて……!」と謎の感動に包まれ、ハンカチで目頭を押さえている。ルシアンは「貴族の女にしては骨があるじゃねえか」とニヤニヤ笑っていた。
クリスティアの脳内電卓が、凄まじい速度で弾き出された。
(ちょっと待って。リリィはすでに私のスパルタ研修を突破しており、基礎知識は完璧。さらに現状のブラック王宮に絶望し、ホワイト環境へのモチベーションが最高潮に達している。つまりこれ……『即戦力確定の、超優秀な中途採用枠』じゃないの!!)
喉から手が出るほど欲しい人材だった。
いくらマニュアル化を進めたとはいえ、クリスティアの右腕として高度な判断を下せるのは、まだヴィンス一人しかいない。ここにリリィが加われば、事務方の最強のトップツー(ツートップ)体制が完成する。
「……顔を上げなさい、リリィ」
クリスティアはあえて冷たく、悪役令嬢としての威厳に満ちた声を響かせた。
「平民上がりの貴女が、この私の下で働きたいと? オーホッホ! いい度胸ですわ」
「ク、クリスティア様……」
「ならば、その覚悟を見せていただきましょう。ヴィンス!」
「はっ!」
クリスティアの合図で、ヴィンスが本棚から例の『ローズウッド領・標準業務手順書』を取り出し、リリィの前にドンッと置いた。
「このマニュアルの第一章から第三章までを、明日の朝までに熟読しなさい。明日、私が直々に採用試験を行います。合格点に達しなければ、即座に王都へ送り返しますわよ!」
「はいっ!! ありがとうございます、クリスティア様!!」
リリィの瞳に、かつての純真さとは違う、猛烈な『社畜魂(ホワイト志向)』の炎が宿った。
彼女は分厚いマニュアルを抱き締め、何度も何度もクリスティアに頭を下げた。
翌日。
リリィは見事に採用試験をほぼ満点で突破し、晴れてローズウッド領の『領主付秘書(ヴィンスの補佐)』として正式に採用された。
彼女の働きぶりは目覚ましかった。
生来の明るさと人当たりの良さで領民の心を掴みつつ、クリスティア仕込みの容赦ない法令遵守精神で、わずかな経費のズレも見逃さない『歩く監査機関』へと成長を遂げたのだ。
「リリィ君、この近隣領主からの交易申請ですが、条件が少し怪しいですね」
「ええ、ヴィンス先輩。過去の取引データと照らし合わせると、明らかに先方の利益に偏っています。再交渉の通達を出しておきましょう。
あ、定時の鐘が鳴りそうなので、処理は明日の朝一番で!」
「完璧な判断です!」
執務室で息の合った連携を見せるヴィンスとリリィ。
その様子をテラスから眺めながら、クリスティアは優雅に温泉上がりのフルーツ牛乳を飲んでいた。
(素晴らしいわ……! かつての恋のライバルが、私のスローライフを支える最強の社畜(防波堤)になってくれるなんて! これで本当に、私は一日一時間しか働かなくて済む!)
一方その頃。
有能な元婚約者だけでなく、最後に縋り付こうとしたヒロインにまで逃げられたエドワード第一王子は、ついに完全に崩壊した王宮の執務室で、書類の雪崩に埋もれて白目を剥いていたという。
「……もう、いやだ……だれか、たすけて……」
自業自得という名のブラック企業(王宮)の闇は、彼を完全に飲み込んでいた。
その惨状がクリスティアの耳に届くことは、この先も永遠にないのだった。




