究極の福利厚生(温泉リゾート)開発計画
エドワード第一王子を物理と労働基準法(未払い請求)で撃退してから、数週間が経過した。
ローズウッド領は、かつてないほどの平和と繁栄を謳歌していた。
領主邸のテラスでは、心地よい秋風に吹かれながら、クリスティアが優雅に寝椅子に横たわっていた。
手には大衆小説、テーブルには冷えた果実水。
誰からも急かされず、未決裁の書類に追われることもない。
まさに、彼女が血の滲むような努力(主に物理的な大掃除)の末に勝ち取った、完全無欠の「スローライフ」だった。
(最高……。定時退社どころか、実質的な労働時間が一日三十分以下。有能な部下に仕事を丸投げするって、こんなに素晴らしいことだったのね……!)
クリスティアは至福のため息を漏らし、小説のページをめくった。
ヴィンスをはじめとする文官たちはマニュアルを完全にマスターし、領地の運営は自動化された機械のようにスムーズに回っている。
ルシアンも暇を持て余してはいるが、領内の治安維持(という名のならず者狩り)をゲーム感覚で楽しんでいるようだ。
「お嬢様、少々よろしいでしょうか」
テラスに姿を現したのは、すっかり健康的な顔色になったヴィンスだった。
彼の手には、数枚の書類が握られている。
「どうしましたの、ヴィンス。緊急事態ですか?」
「いえ、領地の運営は極めて順調です。順調すぎるほどに……」
ヴィンスは少し困ったような、だがどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「実はここ数日、隣接する領地や、遠く王都周辺からも『ローズウッド領へ移住したい』という平民や職人、さらには元文官たちの申請が殺到しておりまして」
「……移住申請が?」
「はい。我が領の『完全週休二日制』や『残業禁止』、そして『高い給与水準』という噂が、行商人たちを通じて国中に広まっているようなのです」
ヴィンスの報告に、クリスティアはパチンと扇子を閉じた。
(なるほど。超絶ホワイト企業の噂を聞きつけて、優秀な人材が向こうから押し寄せてきているのね! いいわ、労働力が増えれば税収も増える!)
「素晴らしいことですわ。身元をしっかりと確認した上で、受け入れなさい。ただし、労働基準を遵守できない者は容赦なく追い返すこと」
「承知いたしました。……ただ、一つ問題がありまして」
ヴィンスは眼鏡を押し上げ、真顔になった。
「急激な人口増加により、領都の住宅やインフラが追いつかなくなりつつあります。早急に新たな居住区の開拓と、彼らのための『娯楽』や『休養』の施設が必要かと」
「休養の施設……」
クリスティアの脳裏に、前世の記憶が閃いた。
休日に疲れを癒やすための究極の施設。
社畜時代、給料日後の週末にだけ許された最高の贅沢。
(……温泉。大きくて広い、露天風呂付きの温泉旅館(スーパー銭湯)よ!!)
クリスティアはガタッと寝椅子から立ち上がった。
王宮時代はカラスの行水のようなシャワーか、ぬるいお湯に浸かるだけだった。
スローライフを手に入れた今、彼女に足りないのは「完璧なリラクゼーション環境」である。
「ヴィンス。我が領内の北部、エルフ山脈の麓あたりに、地熱の高い地帯はありませんでしたか?」
「へ? ええ、確かに北部の岩山地帯は地熱が高く、農作には不向きですが……」
「決まりですわ! そこに究極の『福利厚生施設』を建設します!」
クリスティアは扇子をバシッと開き、高らかに宣言した。
「領主邸の職員、および領民たちが心身の疲れを癒やすための巨大公衆浴場……名付けて『ローズウッド・スパ&リゾート』ですわ!」
「すぱ、あんど、りぞーと……ですか?」
「そうです! 疲労回復に効く薬湯、美味しい食事が楽しめる大広間、そしてマッサージ施設! 領民の健康を維持し、労働生産性を極限まで高めるための戦略(※自分が大きなお風呂に入りたいだけ)ですわ!」
「おおおっ……! 領民の健康管理にまでそこまでお気を配られるとは! さすがお嬢様!」
ヴィンスは感激の涙を流し、猛烈な勢いでメモを取り始めた。
「面白そうな話をしてるじゃねえか」
頭上から声が降り注ぎ、ルシアンがテラスの手すりに飛び乗ってきた。
「だがお嬢。北部の岩山地帯を開拓するってのは、並の土木作業じゃ済まねえぞ。岩盤が硬すぎて、普通の業者じゃ何年かかるか……」
ルシアンの懸念はもっともだった。だが、クリスティアは悪役令嬢の不敵な笑みを浮かべた。
「誰が普通の業者に頼むと言いました? 私の領地(庭)の開拓ですわ。私が直々に現場監督(重機)をやります!」
翌日、領地北部の岩山地帯。
「よし、この辺りですわね。ルシアン、周囲の安全確認は?」
「完璧だ。魔物は一匹残らず『掃除』しておいたぜ」
作業着代わりの簡素なドレスに着替えたクリスティアは、岩山の前に立ち、両手を前方に突き出した。
その後ろでは、ヴィンスや新人の文官たち、そして開拓作業に駆り出された労働者たちが固唾を飲んで見守っている。
(温泉……温泉……広い露天風呂……!!)
己の欲望(スローライフへの執念)を魔力に変換し、クリスティアは高らかに詠唱した。
「『大地の怒りよ、我が命に従い、その腹を割れ(アース・ブレイク)』!!」
ズゴォォォォォォォッ!!
凄まじい轟音と共に、目の前の巨大な岩山が真っ二つに割れ、莫大な土砂が両脇に吹き飛ばされた。
一瞬にして、巨大な露天風呂の「基礎」となる巨大なすり鉢状のクレーターが完成する。
「なっ……!?」
「山が、一撃で……!」
労働者たちが腰を抜かす中、クリスティアは続けて詠唱する。
「ルミナス川の治水で培った地質学の知識を舐めないでちょうだい! 『水竜の息吹』! そして『地獄の業火』による温度調整!」
クレーターの底から清らかな水が滝のように湧き出し、それを適度な魔力の炎で温める。
モクモクと立ち上る白い湯気。
岩盤に含まれていたミネラル成分が溶け出し、辺り一帯に微かな硫黄の香りが漂い始めた。
「……湧きましたわ」
クリスティアは額の汗を拭い、満面の笑みを浮かべた。
「さあ! 基礎工事は終わりましたわよ! 労働者ども、あとは貴方たちの仕事です! ここにヒノキの香りがする立派な大浴場と、休憩用の施設を最短(定時内)で建てなさい! 報酬はいつもの三倍ですわ!」
「うおおおおっ!! お嬢様が山を砕いてお湯を出したぞ!!」
「俺たちの手で、最高の施設を建てるんだ!!」
クリスティアの規格外の魔力と、相変わらずの破格の報酬提示により、現場の士気は爆発した。
ルシアンが切り出した巨大な木材を運び込み、職人たちが目にも留まらぬ速さで施設を組み上げていく。
それからわずか数週間後。
ローズウッド領の北部に、前代未聞の超巨大福利厚生施設『ローズウッド・スパ&リゾート』が堂々オープンした。
「……極楽ですわ〜」
貸切状態の最高級露天風呂。
クリスティアは頭に手ぬぐいを乗せ、肩までお湯に浸かりながら、だらしなく顔を綻ばせていた。
王宮の冷たいシャワーとは比べ物にならない、芯まで温まる本物の温泉。これこそが、彼女が求めていた究極の癒やしである。
(従業員には『福利厚生チケット』を毎月配布して、無料で利用できるようにしたわ。これで皆の労働意欲もさらにアップ。そして一般の客からはしっかり入場料を取る。私の不労所得も爆上がり……天才的な事業計画ね!)
湯けむりの向こうで、クリスティアは一人ほくそ笑む。
事実、この温泉リゾートはオープン直後から領内外で爆発的な大ヒットを記録していた。
「あの悪役令嬢が作った、悪魔的に気持ちいい湯」という妙な噂が広まり、近隣の貴族たちまでもがお忍びで通ってくるほどの人気スポットと化したのだ。
(さて、しっかり温まったら、シロが作った新作のフルーツ牛乳を飲んで、マッサージを受けましょう。明日も明後日も、私のスローライフは止まらないわ!)
温泉の温もりの中で、クリスティアは悪役令嬢の皮を完全に脱ぎ捨て、ただの「休日を満喫する元社畜」へと戻っていた。
彼女が作り上げた「ホワイト領地」は、もはや一つの理想郷として完成の域に達しつつある。
王宮の崩壊がどこまで進んでいるかなど、もはや彼女の知る由も、興味もないことであった。




