「バロンの誇り! 凱旋門に響く、ガラクタの怪物の歌」
第40話:「バロンの誇り! 凱旋門に響く、ガラクタの怪物の歌」
ロンシャン、最終直線。残り四百メートル。
霧雨が激しさを増し、芝は底なしの泥濘と化していた。
先頭は無敗の巨獣、追う白銀の芸術品。
その後ろ。ウラヌス2のハイセイコー型エンジンが、バグ振動の負荷に耐えかねて、ついに断末魔の悲鳴を上げた。
『――警告。シリンダー内圧、臨界突破。フレーム破断確率、八十七パーセント。直ちにニューラルリンクを遮断してください』
「ダメよ、守! このままじゃエンジンが爆発して、あんたの脳まで焼き切れるわ! リンクを切って!!」
無線から、凛の悲痛な叫びが響く。
視界が真っ赤に染まり、全身の骨が軋むような激痛。
フジマルとホワイトヴァルキリーの背中が、泥の雨の向こうへ遠ざかっていく。
(ここまでなのか……。親父。俺の身体じゃ、これ以上、ウラヌスを走らせてやれないのか……ッ!)
守が絶望に沈み、意識を失いかけた、その時だった。
ドクン、と。
焼き切れかけたニューラルコンソールから、不格好な、だが温かい「心音」が、守の脳へと直接流れ込んできた。
『――泣くな、守。誇りを持て』
「……親父!?」
脳裏に浮かぶ、失踪した父・啓介の後ろ姿。
そして、ウラヌス2のコックピットの奥底。父が遺した「ブラックボックス」が、ガコン、と音を立てて開いた。
そこにあったのは、最新のAIではない。
一九三二年のロサンゼルス。硫黄島の砂の下。かつて、人間と馬が、真の「誇り」だけで世界の頂点へと翔んだ、あの**バロン西と愛馬ウラヌスの、魂の記憶**だった。
『最新の技術なんかいらない。お前の小さな身体は、機体と完全に一つになるための『バグ』だ。重さに耐えるな、守。ウラヌスを、信じろ』
「……そうか。耐えるんじゃない。ウラヌス、お前も、走りたいんだな……!」
その瞬間、ウラヌス2のメインカメラが、血のような赤から、神聖な金色の光へと変わった。
壊れかけていたエンジンが、突如として、静かな、だが深海のような重低音を響かせ始める。
「凛! 外部リミッターを全て解除しろ! 俺とウラヌスの、本当の同期を見せてやる!!」
「守……!? 数値が、計測不能領域に……! 分かったわ、あんたとウラヌスを信じる! フルマブイ燃焼、リミッター・ブロー(強制解除)!!」
ドッ、ゴオォォォォンッ!!!
ウラヌス2の背部から、黒煙ではなく、透き通るような青い光の粒子が噴き出した。
ハイセイコー型エンジンの三つのシリンダーが、完全に一つの心音となって脈打つ。
バグ振動は消え、代わりに生まれたのは、大地を踏みしめる度にロンシャンの泥を「翼」へと変える、絶対的な推進力。
一歩。また、一歩。
エリート機たちが足を取られる泥濘の上を、ウラヌス2は、まるで重力を無視したかのように跳躍した。
『――何だ、あの黒い機体は!? 動かないはずのエンジンから、未知のエネルギーが噴き出している!! ウラヌス2、最後方から一瞬で、ホワイトヴァルキリーとフジマルに並びかけた!!』
「バカな!? 僕の、世界一の計算ルートを、力ずくで踏み躙るというのか!」
ミルコが驚愕に目を見開く。
「……ほう。黎明期の遺物である私のフジマルに、真っ向から『魂の力』で挑んでくるか、少年!」
山内慎太郎が、初めて不敵に笑った。
残り百メートル。
無敗の絶対王者フジマル。白銀の芸術ホワイトヴァルキリー。
そして、バロン西の誇りと、父の想い、凛や日本の仲間たちのマブイを背負ったガラクタの怪物ウラヌス2。
三機が、一ミリの火花も散らさず、ただ静かに、気高く、泥を蹴り上げて並走する。
「行けぇぇぇぇ! ウラヌス!! 俺たちの、誇りの証明だぁぁ!!」
守の咆哮と共に、ウラヌス2の金色の蹄が、ロンシャンのゴール板へと、一番最初に突き刺さった。
『――確定!! 凱旋門賞の覇者は、日本のウラヌス2!! ガラクタの怪物が、世界の頂点に立ったぁぁぁ!!!』
パリの空に、割れんばかりの歓声が響く。
パドックへと引き揚げてくるウラヌス2。そのフレームは歪み、エンジンは焼き切れている。だが、どの機体よりも美しかった。
ミルコが、山内慎太郎が、ハミルトン卿が、守の元へと歩み寄り、無言で右手を差し出す。
その光景は、理不尽な巨悪が支配する「決闘裁判(賭けの対象)」としての競馬を、純粋な「誇りとスポーツ」へと引き戻す、歴史的な一歩(一石)だった。
「やったわね、守。……本当に、やっちゃったわね」
駆け寄ってきた凛が、泣きながら守の胸に飛び込む。
「ああ。……ありがとう、凛。ウラヌス、お疲れ様」
守が煤けた装甲に触れると、ウラヌス2は一度だけ、チリ、と静かにカメラを明滅させ、静かに眠りについた。
生身の馬が引退して十年。からくり馬が紡いだ、鋼鉄の人馬一体の奇跡。
西守とウラヌスの伝説は、泥濘のロンシャンの地に、決して消えない蹄痕として、永遠に刻まれたのだった。




