世界最高峰の壁! ロンシャン、緑の地獄の洗礼
第36話:世界最高峰の壁! ロンシャン、緑の地獄の洗礼
二〇五一年、十月。フランス、パリ。
ブローニュの森に抱かれた、からくり競馬の聖地――ロンシャンサーキット。
秋の柔らかな陽光とは裏腹に、コースに足を踏み入れた西守は、その「重圧」に息を呑んだ。
日本の芝とは、色が違う。匂いが違う。そして何より、足の裏から伝わる「深さ」が、全く別物だった。
「……これが、ロンシャン。ミルコが言っていた『緑の地獄』か」
守は、ウラヌス2の足元を見つめた。広島から運び込まれた黒鉄の巨体。そこには、府中の敗北を受けて凛が不眠不休で仕上げた、鋭い超硬合金のスパイクを備えた**重圧ユニット(ヘビー・プレス)**が装着されている。
「驚いた? 守。ここの土は粘土質で、一度足を取られれば、油圧システムごと『飲み込まれる』わ。日本の精密な高速機体たちが、ここで次々とスクラップになって消えていった理由……。この粘りつくような死の感触が、それよ」
凛が、タブレットの警告音を睨みながら呟く。周囲のピットからは、世界中から集まったエリート機たちの駆動音が響いていた。
イギリスの伝統、ドイツの剛健、そして地元フランスの矜持。どれもが、ウラヌス2のような「継ぎ接ぎの執念」ではない。国家予算級の資金と最高峰の理論が産んだ、美しき**「神の工芸品」**たちだ。
その時、ピットの入り口に、一機の「黄金」と「ロイヤルブルー」の機体が姿を現した。
「――おや。これが、極東の掃き溜めから来たという『ガラクタの怪物』かい?」
優雅な、だが底冷えするような声。そこにいたのは、イギリスの至宝、エドワード・ハミルトン卿。彼の愛機は、伝説のスタミナ馬をモデルにした**《キング・アーサー》**。
全身を金色の防錆コーティングで覆い、四肢はロンシャンの深芝を「叩き潰す」ための巨大な油圧ピストンへと換装されている。
「……ミルコを追い詰めたというから、どんな芸術品かと思えば。ただの、重機じゃないか。ここが戦場ではなく、サーキットであることを忘れたのかい?」
エドワードが鼻で笑う。彼の背後には、ドイツの精密工学の結晶**《アイアン・ビスマルク》、アイルランドの荒波を越えてきた《ケルティック・サンダー》**など、凱旋門賞の有力候補たちが顔を揃えていた。
「重機で結構だ。あんたたちの綺麗な工芸品が、その重い泥に足を取られて喘いでいる横を、俺たちはこの『鉄の爪』で大地を粉砕して進むだけだからな」
守は、エドワードの視線を真っ向から跳ね返した。言葉は通じずとも、ジョッキー同士の「殺気」が、秋のパリの空気をピリつかせる。
守はウラヌス2に乗り込み、初めてロンシャンのターフへと足を踏み入れた。
一歩、踏み出す。
ズブッ、と足首まで芝が沈み込み、吸い付くような土の感触が機体全体を揺さぶる。
「――っ、重い! 駆動効率、四〇パーセント以下だと!?」
メインコンソールに表示される真っ赤な警告ログ。ハイセイコー型エンジンが、未知の過負荷に耐えかねて、呻きのような異音を上げ始める。日本の三冠馬、春の盾の王者が、たった一歩の歩行にさえ悲鳴を上げる。これが、世界の壁。
「守、無理に回さないで! 今の負荷で全開にしたら、シリンダーが内側から弾け飛ぶわ!」
凛の悲鳴が無線に飛ぶ。だが、守はレバーを離さなかった。歯を食いしばり、ウラヌス2と「脳波」を深く、深く沈めていく。
(……分かってる。ここの芝は、走る場所じゃない。……『格闘』する相手なんだ!)
守は、新開発の重圧ユニットの出力を、敢えて「最大」に設定した。効率など知ったことか。芝を噛み、土を爆破するように蹴り上げる。
ドゴォォォンッ!
ロンシャンの聖なる土が、黒い塊となって高く舞い上がった。重圧ユニットが芝を粉砕し、強引に「道」を作る。スマートさの欠片もない、暴力的な歩進。
その荒々しい試走を、遠く離れたピットの屋上から見つめる影があった。ミルコ・スミス。彼の《ホワイトヴァルキリー》は、既にロンシャンの風に馴染み、白銀の翼を静かに休めていた。
「――来たね、マモル。君がその『泥臭い地力』で、この気高いロンシャンの芝をどう汚してくれるのか……。僕は、楽しみで仕方がないよ」
守のウラヌス2が排気口から吐き出す、真っ黒な煙。それが、パリの澄んだ空を汚していく。それは、世界中のエリートたちへの、泥にまみれた宣戦布告だった。
「……見てろよ、世界。ガラクタが、凱旋門を力ずくでこじ開けてやる!」




