三二〇〇メートルの真実! 淀に刻まれる、新たなる蹄音
第30話:三二〇〇メートルの真実! 淀に刻まれる、新たなる蹄音
電子判定板の『写真判定』の文字が、激しく点滅する。
カシャッ、という静かな音と共に、上位数機のノーズが、赤い判定ラインの上に超拡大表示された。
ブラックライスの漆黒の耐熱装甲。
ブライトホークの桜色のバイザー。
そして。ウラヌス2の、泥と煤にまみれた、不格好な黒鉄のノーズ。
三機が、一線の赤いラインの上に重なっているように見えた。
だが、その一ミリ。電子の瞳(超高解像度ピクセル)が捉えた、極限の世界。
黒鉄のノーズが、ほんの数ピクセルだけ、赤い判定ラインの「先」へと突き抜けていた。
『――着順、確定! 一着、ウラヌス2!!』
ワァァァァァッ!!!
スタジアムが、文字通り大爆発した。
割れんばかりの歓声。地鳴りのような拍手。耳を劈くほどの「ウラヌス」コールが、京都の初夏の空へと、こだました。
「やった……。やったわ、守……!!」
無線から、凛の、涙でぐしゃぐしゃになった声が響く。
守はカクピットの中で、深く、長く息を吐いた。
ニューラルリンクから伝わるウラヌス2の機体温度。ハイセイコー型エンジンが、限界を超えた過給の果てに、勝利を祝うかのように熱い白い蒸気を噴き上げている。
「勝ったな、ウラヌス2。……俺たちの、勝ちだ!」
守は、煤けたメインコンソールを、愛おしそうに両手で包み込んだ。
ジャパンカップの絶望、有馬の挫折、そして広島の秘密ガレージ。自分たちの手で、ガラクタの山から組み上げたこの機体が、日本のエリートたち、世界のダート女王、すべての怪物を蹴散らして、真の「春の盾の王者」になったのだ。
ドゴォォォォンッ!!
ウラヌス2が、勝利の咆哮を上げた。排気ダクトから火花混じりの黒煙を夜空へと豪快にブチ上げる。電子的な美しいファンファーレではない、地べたから這い上がってきた錆びついた怪物の、泥臭い凱歌だ。
ゆっくりと、ウラヌス2が歩き出す。
最新鋭の電子モーターの静寂とは無縁の、バイオ燃料が燃える重厚な匂いと、アスファルトを陽炎で歪ませるほどのエンジンの排熱。
不格好な機体。だが、パドックへと引き揚げるその歩みは、どのピカピカの最新鋭機よりも、力強く、誇らしかった。
パドックの地下馬道。そこには、戦い抜いたライバルたちが待っていた。
「――やるじゃない、西」
最初に声をかけてきたのは、北斗茜だった。ドバイを制した世界のダート女王が、不敵に笑う。
「三本の車輪で走る私でも、今日のあんたのウラヌス2には、道を開けるしかなかったわ。最高のレースだった。おめでとう、真の三冠馬」
「守くん、おめでとー! また負けちゃった!」
桜本うららが、いつもの天真爛漫な笑顔で手を振る。その隣には、静かに頷く米田太一、山県裕次郎、そして岡部太陽。
「……今回は、完敗だ、西守」
太陽が、シュバルツ・ルドルフのハッチから身を乗り出し、晴れやかな顔で笑った。
「地力、執念、そしてジョッキーの気迫。すべてにおいて、今日のウラヌス2は、俺たちの想像を超えていた。……だが、次は絶対に、俺のルドルフが、お前のウラヌスを抜き去ってやる」
太陽が、泥と油だらけの手を守へと差し出した。
守は迷わず、その手をガッチリと握り返した。
「ああ、望むところだ、岡部。お前たちがいてくれたから、俺は、俺たちはここまで来られたんだ!」
かつて泥の中で喧嘩をし、罵り合ってきた若者たち。
彼らが今、伝統の春の盾の中心で、笑い合っている。
夕陽が、ウラヌス2の黒鉄の装甲を、長く、美しく照らし出す。
春の盾。日本のからくり競馬の、頂点。
「――さあ、守」
ガレージに戻ってきた守を、凛が満面の笑みで出迎えた。
その手には、一枚の、白銀のエアチケット。
「日本の頂点は、獲った。……次は、約束の場所よ」
守はそのチケットを受け取った。フランス・パリの文字。
そして、かつてミルコ・スミスが残した言葉が、脳裏をよぎる。
『直して、もう一度。パリのサーキットで、踊ろう』
舞台は、世界へ。
ロンシャンの重い芝、凱旋門賞。
だが、守の目線は、凛が手元の端末で密かに開いている「別のファイル」にも向けられていた。
【――アルティメット・バロン。プロトコル、フェーズ3。世界サーバー:ロンシャン・エリアへの隠しアクセスを確認】
(……親父。あんたは、パリで、何を待っているんだ……?)
日本の、泥の中から這い上がってきたガラクタの怪物が、世界最高峰の芸術品たちを、その黒鉄の足で踏み躙りに行く。
ウラヌス2のメインカメラが、夕焼けを背に、血のように赤く、不敵に明滅した。
世界へのゲートが、今、静かに、そして力強く開かれようとしていた。




