「グランプリの覇者! 冬の中山に咲く、泥の桜」
第22話:グランプリの覇者! 冬の中山に咲く、泥の桜
中山サーキット、最終直線。心臓破りの急坂。
十万人の地鳴りのような絶叫が、冬の凍てつく空気をビリビリと震わせていた。
「――行けぇ、ウラヌス2ッ!!」
守の咆哮と共に、黒鉄の巨体が中山の急坂を力ずくで蹴り上げた。
ハイセイコー型エンジンの暴力的なバイオ重低音。泥を、芝を、凍りついた冬の大地を、重厚な蹄鉄がガッチリとグリップし、前を行く快速機たちを大地へと縫い付けるように抜き去っていく。
地力、圧倒的パワー、そして耐久力。
夏の北の砂浜での特訓と、守が自らの手で組んだフレームが生み出した《ウラヌス2》のポテンシャルは、間違いなくこのターフに集うすべての機体を凌駕していた。
『……ウラヌス2、出力一〇五パーセントで超安定! いける、これなら獲れるわ、守ッ!』
無線から、凛の歓喜の叫びが聞こえる。
先頭を逃げる、桜色の《ブライトホーク》。その背中が、視界の中で急速に巨大化していく。ウラヌス2の黒鉄の腕が、有馬記念の栄光へと、確かに届きかけていた。
だが。
ウラヌス2が、ブライトホークの真横に並びかけ、抜き去ろうとしたその刹那だった。
『――西守くん。ウラヌス2は、本当に強いね。……でも、私のブライトホークは、絶対に負けないよ』
通信回線から聞こえたのは、いつもの天真爛漫な少女の声ではなかった。
極限の静寂の中、ただ一点の獲物だけを見据える、冷徹なハンターの囁き。
「前しか、見ない。……ブライト・ソニック!!」
うららが物理バイザーの奥で、両目を限界まで見開いた。
視界の下部にある自機の影も、地面の起伏も、すべてをシャドーロールで強制遮断。視覚情報を、ゴールの白線一点のみに絞り込む。雑音、恐怖、そしてウラヌス2の放つ黒鉄の威圧感すら、うららの脳は「認識することを拒絶」した。
プシュゥゥゥッ! という高圧音と共に、ブライトホークの背部のリニア・ジェット・ブーストが、青白い炎を噴き上げる。
(な……ッ!?)
守は息を呑んだ。
ウラヌス2の超トルクが、ブライトホークの軽量エンジンを力学的に圧倒していたはずだ。だが、迷いを捨て、ただ一点のゴールだけを網膜に焼き付けたうららの超・集中が、機体の安全リミッターを、物理法則ごと引き剥がしたのだ。
残り、五十メートル。
ウラヌス2の地を這う重戦車のような剛直な加速に対し、ブライトホークは限界を超えた超高速の「一瞬の切れ味」で応戦する。
バチバチと火花を散らしながら、桜色の機体が、ウラヌス2の巨体の内側へと、音を置き去りにしたカミソリのような軌道で滑り込んでいく。
(差される……ッ!?)
守は必死にウラヌス2の手綱を引き絞った。
だが、間に合わない。
地力はウラヌス2が上だ。だが、ゴール板を駆け抜けるその一瞬の「瞬発力」だけが、コンマ数秒、ブライトホークが上回っていた。
ゴォォォォルッ!!
超巨大電光掲示板に表示された、非情な確定の文字。
『一着、ブライトホーク。二着、ウラヌス2』
ワァァァァァッ!!
冬の中山スタジアムが、桜色の歓声に包まれる。
ウラヌス2の黒鉄の巨体は、一着の桜色の機体から、わずか「半馬身」遅れてゴール板を駆け抜けていた。
「……負けた。また、俺は……」
守はコクピットの中で、汗だくの両手を見つめた。
機体は完璧だった。凛の整備も、自分の組み上げたフレームも、ハイセイコーの心臓も、確かに世界レベルの強さを発揮していた。一箇所のクラックも、オイル漏れもない。
負けたのは、ウラヌス2じゃない。
勝負の一瞬、勝利の白線だけを見据えるうららの「迷いのなさ」に、自分の心が、僅かに怯んだのだ。ウラヌス2の強さに、俺の魂が追いついていなかった。
パドックへと戻るウラヌス2。
煤けた黒鉄の装甲。どこも壊れていない。ハイセイコーのエンジンの音も、規則正しく力強く脈打っている。だからこそ、悔しかった。相棒に、申し訳なかった。
「――お疲れ様、守くん!」
前方のブライトホークのハッチが開く。中から出てきたうららは、いつもの天真爛漫な笑顔に戻っていた。
バイザーを跳ね上げ、桜色のツインテールを揺らしながら、うららが守に駆け寄ってくる。
「ウラヌス2、すっごく怖かったよ! 坂を登る時の音、怪獣みたいだったもん。……でもね、私、どうしても有馬記念で勝ちたかったの。だから、前しか見なかった!」
うららは、小さな、けれど固いマメのできた手を守へと差し出した。
「守くんのウラヌス2、間違いなく、今日走った中で一番強かったよ。……ありがとね、最高の勝負をしてくれて!」
悪意の一切ない、純粋な祝福と感謝。
守はその小さな掌を見つめ、ゆっくりと握り返した。
「……完敗だよ、うらら。お前の『前しか見ない』っていう覚悟に、俺の心が負けた。ウラヌス2は最強だったのに、俺が、それを引き出しきれなかった」
守は、泥とオイルのついた顔で、不敵に笑ってみせた。
ジャパンカップの時の、絶望の敗北とは違う。
地力では勝っていた。機体は完璧に仕上がっていた。だからこそ、次にやるべきことは、明確だ。乗り手である俺自身が、ウラヌス2の怪物に見合う男になる。
「次は、俺が勝つ。ウラヌス2の本当の力を引き出して、お前のブライト・ソニックを、真っ向からねじ伏せてやる!」
冬の中山、夕暮れの空。
錆びついたガラクタの星と、桜の怪物の手が、固く、固く握りしめられた。
負けを知り、乗り手が機体に追いつく。ウラヌス2の本当の反撃は、ここから始まる。




