第五話 叶わぬ恋
脳裏に映像が浮かぶ。
香の匂いが漂う薄暗い部屋で、誰かが泣いている。
いいえ、泣いているのは、私。
床に座り、背中を丸め、両手で顔を覆っている。
――あれ? どうして私に手があるの? 私は、男なの?
男は、侍女の手引きにより宮中の奥へと忍び込んだ。
御簾の奥、帳台の中で私を迎えてくれた無垢な笑顔。躊躇いがちに触れ、やがて絡み合った指先の温度と、耳元で感じた息遣い。そして、月明りに照らされた彼女の寝顔。
――雅と重なる大人の女性……京極の君!?
その瞬間、堰を切ったように全てが流れ込んできた。
帝の怒りに触れ、宮中を追われた日のこと。
文を送っても返されたこと。
それでも、この身が滅びようとも逢いたいと願ったこと。
――それは、私が辿った人生。
そして巡ってきた、この現世。
逢えた。
逢えていたんだ。
どうやっても叶わないと絶望していたのに、今、確かに私は彼女に逢い、触れ、側にいることができている。
生まれ変わり姿形は違えど、彼女の魂とともにあることこそ、私が心から望んだこと。
仏様は、私の切実なる願いを叶えてくださった。
再び彼女に、雅に逢い、側にいることを叶えてくださった。
でも!
「これだ!」
「パパずるい。あたし見つけてた!」
「はっはっはっ。早い者勝ちだよ」
百人一首に興じる雅の姿に変化は見られない。
どうして?
どうして思い出してくれないの?
いえ、思い出したとしても私は……。
こんなの、あまりに残酷じゃないの!
人の言葉を奪われ、男のプライドを奪われ、ただ彼女に愛でられるだけの畜生となることが相応しいとおっしゃるのですか!
なぜ、なぜ愛に生きることはこうまでも罪深いの。
私は、そのようにしか生きられないというのに。そのような生き方しか選べなかったというのに。
「アオーン」
私の口から悲哀の声が漏れ、目からは涙が溢れる。
「モコ、どうしたの?」
「アオーン」
雅が心配して声をかけてくれる。しかし、彼女は何も思い出してはくれず、私は伝える言葉を持たない。それが悲しく、また声を上げてしまう。
「どうしたの?どこか痛い?」
「アオーン」
「悲しいの?」
「アオーン」
雅が私のところに来て膝に乗せ、背中を撫でてくれる。
「よしよし」
「アオーン」
「大丈夫、大丈夫」
「アオーン」
彼女が声をかけてくれるたびに、優しくしてくれるたびに悲しくて声が漏れる。
「どうしたのかしら?」
「涙が出ているわね。目に何か入って痛いのかしら?」
「違うよ。悲しいんだよ」
「アオーン」
私は膝の上で泣き続けた。
雅は、その間ずっと優しく撫でてくれた。
涙が枯れるまで泣いた後、私は散らばった百人一首の札の中からひとつの歌を探した。見つけると、前足で雅の手元に押しやる。
「みをつくしても?」
読み上げるその声は、千年前に聞いたものとは似ても似つかない、幼い響きだった。
それでいい。この子には、この子のための現世があるのだから。
「モコ、これ好きなの?」
「ニャー……」
言葉を、想いを伝えられないなら、せめてこの歌だけは覚えて欲しかった。
私は、現世でこの子と愛し合うことは叶わない。
でも、逢うことはできた。
ならば、現世で雅に身を尽くせば、ずっと先の来世では人として逢えるかもしれない。
そしてもし叶うなら、来世ではこの歌を聞いたときに、今度こそすべてを思い出して欲しい。
仏様が再び願いを叶えてくださると信じて、その一縷の望みに賭けて、今は雅とともに生きましょう。
だって私は、愛にしか生きられないのだから。
――わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ。
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