第一話 運命のお迎え
私はずっと、誰かを待っていた気がする。
広場とは名ばかりの狭い遊戯スペースで、定位置となった隅っこを確保すると丸くなり、遠くを眺める。視界の先に見える吹き抜けの主役、エスカレーターに意識を向けることで、耳から入る情報量を減らした。店内を流れるポップな音楽は賑やかすぎて好みではない。老若男女、色とりどりの人々が止まった姿勢のまま運ばれていく不思議な様子を、ぼんやりと眺めているのが好きだった。
今はお昼を少し回った頃で、こんな時間に「いっぱい遊ぼうね」と広場に出されても眠くて運動する気にならない。彼らもそのことはわかっているはずなのに、毎日同じことの繰り返し。まったくもってありがた迷惑だった。
「お待ちしていました。あちらの茶白のボブテイルですね」
「はい。あの子です!」
店員に案内されてやってきたのは小綺麗な二十代の女性だった。二人で近くまで来ると店員が私に向かって手を伸ばす。一瞬逃げようかと考えた後、大人しく抱えられることを選んだ。
脇の下に手を入れられ物のように持ち上げられると、小綺麗な女性の腕の中に渡された。人工的な花の匂いが鼻を突く。
どうしてこの人たちはこんな強烈な匂いを纏いたがるのかしら。強ければ良いってものじゃないのよ。品がないわ。
私は早くも逃げ出したくなった。
「やだぁ、可愛いー」
「そうなんです。正面から見ると泥棒みたいなんですよ。それにこの子はとても賢いんです」
「あはは、本当だ。泥棒さんみたい。ブサカワー」
冗談じゃないわ。誰が不細工よ。
私は腰をずらして素早く女性の腕の中から飛び降りると彼女たちから離れ、最後に振り向いて軽く威嚇した。
「シャーッ!」
店員が困ったような顔をしたが、知ったことじゃない。
「えー、嫌われちゃった?」
「その、実は少し気難しい子で。好き嫌いがはっきりしてますね」
「そっか。安いからお得だと思ったけど、やっぱり理由があるのね」
「まぁ、はい。そうですね……」
なんて失礼な人たちなの!
私が悪いの? 異臭を漂わせて近づいてきて、顔を見るなり不細工呼ばわりされたのにご機嫌でいろと? 本当は触られることすら嫌なのに。冗談じゃないわ。
自然と耳が絞られ、喉から低い声が漏れる。
程なくして、客と店員は去っていった。
私は猫だ。加えて飛び抜けて賢いようだ。人の話している言葉を理解できる子は、少なくともこのペットショップには私以外にいなかった。
ジャパニーズ・ボブテイルという品種らしく、美しさと愛らしさが好まれるようで人気だ。でも先ほどのように失礼だったり品性に欠ける人、つまり私の飼い主に相応しくない人はお断りなの。
こちらはトイレトレーニングは完璧、食事は随分前からドライフードに変わり、この前避妊手術も終わった。毛並みも良く引き締まった体型は美しい。あとはお迎えを待つばかりなのに、なぜかろくな客が来ない。最近では売れ残り扱いされる始末。なんたる屈辱。
そんないつも通りの午後を過ごしていると、今度は子連れの夫人がやって来た。猫が好きなのは母親の方らしく、ロシアンブルーの子猫に夢中だ。
確かにあの子は、ここでは私の次に品があるかもしれないわ。見る目あるじゃない。
定位置で丸まりながらなんとなく様子を見ていると、近くの子猫たちが一斉に逃げ出した。なんだろうと視線を向けると、母親の監視下から外れた幼児が、笑い声を上げながらパタパタと子猫の集団に突進していた。避けられても嬉しそうに、次の目標に向かって突進を再開する。
「ぶぶぷっ! きゃきゃっ!」
躊躇なく突進してくる幼子と目が合った瞬間、全身が痺れた。知らずに腰を上げていた私はしかし、その子から目を逸らすことができずに固まっていた。
「ニャンちん!」
周りの猫が逃げる中、棒立ちの私は幼児に右前足を掴まれ乱暴に持ち上げられた。
「ミャッ!」
すぐに左前足を相手の腕に引っ掛けて体を引き寄せると、そのまま後ろ足で腕を蹴って拘束を逃れる。幼児は驚いて呆然としている。
「雅ちゃん。乱暴にしたらダメよ」
「知ってる!」
母親から声がかかるも、意に介した様子はない。
この子だわ!
私の飼い主に相応しいのはこの子に違いないわ。一目見てビビッと来たもの。こんなことは初めてよ。ああ、私は今までこの子を待っていたのね。雅ちゃんというのかしら。素敵な名前じゃない。
私はすぐに雅のそばへ寄っていく。
「ニャンちん!」
また前足を掴もうと腕を伸ばしてくるので身体ごと腕の中に飛び込む。正面から不意に衝撃を受けた雅は尻もちをつき、座って私を抱き抱える形になった。
「きゃっきゃっ!」
楽しそうに笑う。私はゴロゴロと喉を鳴らし、雅の手をポンポンと軽く叩いて親愛の情を表す。すると雅も楽しそうに私を抱えたまま手を合わせてくる。
いいじゃない。相性もぴったりだわ。もう私に決めてしまいなさいよ。絶対に後悔させないわ。
「わあ、珍しい。その子に気に入られるなんて」
店員から余計な声が聞こえる。
「あら、雅ちゃんはその子が気に入ったの?」
母親は先ほどのロシアンブルーを胸に抱えたまま私の顔を覗き込んだ。
「顔が、面白いわね。でもママはこの子がいいと思うんだけど」
ぐぬぬ。誰の顔が面白いですって。
でも我慢、雅ちゃんにお迎えしてもらうためには我慢よ。
そこのあなた。今回ばかりは遠慮してくださらないかしら。ちょっとその人の手を爪で引っ掻いて遠くに行くだけでいいのよ。あなたならどうした方が得か、わかるわよね?
「ミャー、ミャ。ニャー」
私が笑顔で話しかけると、ロシアンブルーの子猫は慌てて母親の腕に爪を立て、「ニャア」と鳴いて走り去っていった。ふふ、賢い子は好きよ。
「痛たたっ!どうしちゃったのかしら」
「大丈夫ですか」
店員の心配する声を他所に、私はすかさずしゃがんだ母親の足元へ駆け寄り、頬を擦り寄せる。
「あら、もしかして慰めてくれてるの?」
「ニャー」
愛想よく返事をすると引っ掻かれた跡をペロペロと舐める。
「まぁ、なんて優しい子かしら。雅の教育にはこの子がいいのかもね」
「ニャンちん、ニャンちんすき!」
「相性は大切です。こんなに懐いているのでお勧めできます」
「わかったわ」
こうして、私は無事雅の家へお迎えされることになった。




