7 薔薇の屋敷
レティに導かれるままたどり着いたのは、薔薇が咲き乱れる広い庭のある屋敷だった。
「ここ、ですか?」
「ああ」
「静か……ですね」
街の繁華街近くでは、蒸気パイプ――蒸気式動力の配管が数多く通っており、どこでも少しはプシューという蒸気のはじける音や、歯車や機械から出る金属音が聞こえる。
しかし、大通りから数本道を逸れたところにあるその屋敷では、そのような音はほとんどしなかった。
風になびく葉の擦れる音に交じって、少し離れた工場の機械音が僅かに届くぐらいだ。距離があるはずの駅の汽笛が、やけにはっきりと聞こえるぐらいだ。
公園のような広さがあって人がいないところとはまた違った音のなさに、ユールはなんだかそわそわとしていた。
生垣と柵が庭と屋敷を囲うように覆っており、柵をつるバラが華やかに彩っている。
外からは中の様子はよく見えないが、薔薇がたくさんあることだけは隙間からでも見て取れた。
緊張しているユールとは裏腹に、レティは気が重そうな顔をしてため息をつく。
レティがしぶしぶと扉横の呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばしたそのとき――ギィ、という音を立てて扉が開いた。
「遅かったわね」
そして、屋敷の主人が先にそう声をかけてきた。
なぜ主人だとわかったかというと、その人を中心に、きれいに列をなした猫たちが頭を下げていたからである。
「待っているだろうと思っていたよ」
肩をすくめながら答えるレティは、一言目から疲れた顔をした。
ユールはといえば、驚きと困惑の混ざった、先ほどとは違う緊張の仕方をしていた。
レティよりも年上に見えるその女性が、目を閉じて椅子に乗ったまま浮遊していたからである。
深緑色のドレスを身にまとい、陶器のように白い肌にプラチナブロンドのシルクのように艶やかな長い髪。
人形かと見紛うほどの美しい人だった。
「せ、先生……こちらの方は?」
「この人は——」
「あらあら、貴重な自己紹介の機会を奪わないでちょうだい」
女性は軽やかに着地すると、恭しく一礼した。
笑みを浮かべ、今にも歌いだすかのような口ぶりで言葉を紡ぎだす。
「初めまして、レティの弟子。わたくしの名はキャスリーン・イレーナ・マリス。気軽にキャシーと呼んで頂戴ね。この通り、人間よりも猫の友人が多い――魔法使いよ」
自己紹介が終わると、いそいそとまた椅子に座り直した。猫たちは皆そわそわしながらそれを見守っている。
「それはなんと羨ましい。ご存じいただいているご様子かとは思いますが、改めて。レティ先生の弟子でプラムヘイゼ捜索事務所調査員のユールです」
ユールは今までで一番丁寧に頭を下げると、姿勢を正して向き直った。
「あらまぁ、羨ましがられたのは初めてよ」
上品な所作とは裏腹に、キャシーはさぞ愉快そうに大口を開けてけらけらと笑う。
少し浮いている椅子が体の動きに合わせて揺れるものだから、余計に大きな動きに見える。
「お前、いいわね。ますます気に入ったわ。この子たちから聞いていた噂通り。面白い人間のようね」
「僕が噂されてるんですか?それは光栄ですね」
キャシーと猫たちに圧倒され、ぎこちない動きのユールではあったが、概ね良好な評価に内心ホッと胸をなでおろした。
レティはというと、呆れた顔でさっさと本題に入りたさそうにしている。
「マリス師」
「はぁ……」
レティがその名を呼ぶと、キャシーはあからさまに不貞腐れた顔をして、大きく肩をすくめて大きなため息をついた。
「レティ。紫煙の魔術師レティ・ヘイゼ。前から言っているでしょう?」
浮遊した椅子に乗ったままレティに近づくと、レティを中心にくるくると回りだした。
猫もそれに続いてくるくると回っているものだから、外から見ているユールは笑いをこらえるのに必死だった。
何せ中心にいるのが心底めんどくさそうな顔のレティだからである。記念に写真でも残したい。
「お前が聞きたいことはよーくわかっているわ。この子たちから聞いていますからね」
「話が早いことで。それではさっそく」
「あのね、聞きたいのならば聞きたいなりに、聞く側の態度ってものがあるでしょう?久々の客人に浮足立って……浮いているのは椅子ですけれど。こんなドレスまで着飾った麗しのレディに向かって”マリス師”、だなんて。可愛らしくないわ。ねぇ、お前たちも思うでしょう?」
猫一同は賛同の意なのか、各々口々に、にゃあにゃあと抗議の声を出している。
「キャシー。聞きたいのは貴女の話じゃなくて猫たちの話だ」
「いやだわ。『キャシーちゃん』って呼んでっていってるじゃない!」
猫たちの抗議の声が強くなる。
レティは遠い目をする。
「……もう。いつもそうなんだから。それに、この子たちのお話は私を通してじゃないと聞けないから来たんでしょう?だったら、わたくしのお話も少しは聞いて頂戴」
「あぁ……後で聞く。ユールが」
レティが後ろ手にユールを指さすと、急に振られたユールはさすがに目を見開いた。
口に出さないまでも「僕?」という顔を一瞬したが、すぐさま背筋を伸ばして頷く。
「ええ。僕でよければいくらでもお伺いいたしますよ」
「まぁ」
キャシーはユールに向き直ると、頬に手を当て大げさに驚いた顔をした。
「あらあら、師匠と違ってずいぶん優しいのね。そういうところは貴女が習ったほうがいいわ、レティ」
「考えておく」
レティ―は面倒くさそうに肩をすくめる。
その反応が気に入らなさそうで少し唇を尖らせたキャシーだったが、瞼は閉じたままユールとレティを交互に見やると、にっこりとほほ笑んだ。
「まぁいいわ。ユールに免じて許して差し上げる。ほら、お入りなさい。お茶の準備はできていますわよ」
キャシーは手を叩くと、浮いた椅子のまま、屋敷の方向へくるりと回る。
猫たちがついてこいとばかりにかぶりを振った。
風で舞い上がった薔薇の花びらまでもがそれに続く。
ふたりが屋敷へと歩みを進めると、後ろでギィ……と扉が閉まる音がした。
ユールが振り返ると、つるバラが扉を閉ざすのが見えた。
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