2 紫煙の魔術師
男がユールに連れられ喫茶店横の階段を登ると、すぐ上の階に事務所はあった。
扉を開けると、ドアにつけられたチャイムが小気味良い音を響かせ、来訪者を出迎える。
戸口から奥を見やると、物憂げな表情の女性が煙草を燻らせながら、大きな窓の前に立っていた。
「何をお探しで?」
そして開口一番にそう言った。
「先生、気が早いです」
まだ依頼人を通してすらいない。
ユールがやれやれと肩をすくめながら目の前の女性を紹介する。
「彼女はうちの所長、レティ・ヘイゼ先生です」
「どうも」
肩口で切りそろえられたワイン色の髪が、窓から入る風をうけてふわりと舞い上がる。
窓から差し込む光が煙をまとって、男の瞳にはやけに神秘的に映った。
レティは何かを思い出したような顔をしてすぐに煙草の火を消すと、窓に向かって手のひらで仰いで煙を散らし、何事もなかったかのように向き直る。
「先生……ですか?」
「僕の魔術師の師匠でもあるので、僕はそうお呼びしています」
歳の頃は20代くらいか、かなり若いように見えた。若そうに見えたユールと同じくらいか、さらに年下か。
男からすると、正直なところ”師匠”というような年齢にはとても見えないが、腕があるのであればそれに越したことはない。
「魔法で探してくれるのか?」
男は思わず期待に満ちた眼差しで目の前の女性を見やった。これは思いがけず早期解決するかもしれない。
「あいにく……私は魔法使いではなく、魔術師だ」
レティは少し苦そうな表情を浮かべながら続ける。
「特に東側の人間には勘違いされがちだが——魔法と魔術は異なるものだ」
男は少し肩を落とした。
なんだ。よくはわからないが、魔法ではないのか。
東側では魔法が生活に根付いており、周りも魔法使いばかりで、魔術というものはあまり聞いたことがない。
「それに、捜索の観点で言えば、魔法だってそう万能ではないよ。魔術については……」
「先生」
「あぁ……いや、今はその話はいいか。探索に向いた魔術もいくつかあるにはあるが、うちは実地調査と聞き込みをメインでやっている」
「は、はい」
男は無意識に背筋を伸ばしていたことに気づいた。
ふと教師に詰められた学生時代のことが脳裏に過ぎる。先生だからだろうか。
魔法使いは実力がものを言う世界。おそらく魔術師もそうなのだろう、と男は思った。その点で言えば、珍しいことではない。
「ええと、裏取りと堅実な証拠集めが大事ってことです。ねぇ先生?」
「あぁ」
あわててユールがフォローの言葉を口にするが、少々心もとない。
そのレティはといえば、こめかみに添えられた指がゆっくりと一定のリズムを刻み、視線は値踏みでもするかのように依頼者の輪郭をなぞっていた。
店員に推されたのもあり、焦りと勢いでとりあえずついてきてみたものの、調査員だけでなく、事務所と所長からもそこはかとなく怪しい雰囲気が漂っている。
男は気が早ったかと思い後ろを振り返るが、ユールはわざとらしく不思議そうな顔をする。
「どうしました?」
「ええと、その……」
柔らかな笑みを浮かべてはいるが、ユールは扉の中央からびくとも動かず、決して通してくれそうにはない。
「大丈夫ですよ、言い方がちょっと……取っ付きにくいかもですけど、ああ見えて緊張してるだけです。先生は魔術師連盟の認定魔術師なので、実力も確かですよ。」
男が言い淀んでいると、ユールが小声で補足する。確かに、入り口のすぐ横には何かの認定証が掲げてある。
いずれにしても、後へ引くこともできなさそうだと諦め、男は導かれるままに歩みを進めた。
事務所内は1階の喫茶店の半分ぐらいの広さがあった。
奥側の壁は本と雑誌の棚で埋め尽くされているせいか、窓が近いのに妙な圧迫感がある。
レティの近くにある机や、入口近くのテーブルにも、付箋が貼られた書類が塔のように積みあがっている。
まるで新聞社か警察にでもいるかのようだ。
その手前にある棚も資料がまとめられているファイルがぎちぎちと詰められており、余計に狭く感じさせているのかもしれない。
「こちらへどうぞ」
「あっどうも」
応接スペースのソファとローテーブルの周辺は比較的きれいに整頓されており、男もそこに座るように勧められた。
室内は先ほどまでレティが煙草を吸っていたにもかかわらず、不思議と部屋の中は煙っぽくも煙草の臭いもしなかった。
煙草が特殊なのか、風通しがいいのか、換気のシステムが優れているのかはわからない。むしろ晴れた日の草原のような爽やかな香りがして、そのアンバランスさが男には少し気味が悪かった。
「それでは早速――何か……気になるものでも?」
「えっ、いや……何も」
向かい側に座るレティは、近くにいるのに遠くにいるような、妙な距離感を感じさせた。
何かを見透かしているかのように、瞳は鋭さを増して真っ直ぐ男を捉えている。
外は歩くだけで汗をかくほど暑い日なのに、男は肩から背中にかけて身震いするほどの寒気を感じた。
男がそんな居心地の悪さに包まれていると、いつの間にかユールがトレイを抱えながら近づいてきていた。
「こちら、よろしければどうぞ」
「あ、どうも」
ソファに腰かけたと同時に、ユールが人数分のお茶と、山のように積み上げられたクッキーをテーブルに置いていく。ティーパーティーでもここまでの量は並べない。
迫り来るような書籍の山の中では、その異物さがひときわ目を引いた。
「あ、気になりますか?これ」
「まぁ……そりゃ」
テーブルの大半を占められたクッキーが気にならない人間はそういないだろう。
丸や四角のシンプルな形だが、ナッツやチョコレートが混ぜ込んであり、バターの匂いが食欲をそそる。だが問題はその量である。
「そこの通りのケーキ屋さんで売ってるクッキーの詰め合わせです。これがまたサクサクで甘さも程よくてすごくお勧めで――」
「詳しいお話をお伺いしても?」
ユールは少しシュンとした表情を見せたが、すぐに気を取り直したのかニコニコとしながら先生の横に座った。自分の分の大量のクッキーを抱えながら。
果たして、本当に腕の方は大丈夫なのだろうか、と男は思った。
いくら暑さと疲れで頭が回らなくなってきているとはいえ、やはりもう少し考えてからついてきたほうが良かったか。
しかし、時間が迫っているのも事実である。男は腹を括るべく、息をゆっくりと目を閉じる。
時計の秒針が刻む音と、ユールがクッキーをかじる音が、妙にはっきりと男の耳に響いた。




