1 銀輪と探し物
仄暗い路地裏を微かに照らしていた街灯は、役目を終え眠りについた。
青年の瞳に、ゆっくりと空に昇っていく一筋の煙が映る。
昔はよく星空を眺めては夜明けを迎えていたな、と青年は思い出した。この街に来てからは、これほどじっくりと空を見つめた覚えはない。
そんなにも空がよく見えているのは、青年が地面に寝転がり、文字通り天を仰いでいるからであった。
「すみません、先生。やりすぎました」
「そのようだね」
先生、と呼ばれた煙の主である女性は、手近な柵にもたれかかりながら青年を一瞥した。
青年はといえば、微笑んでいるものの、顔に疲れが滲み出ている。身体は歩くどころか起き上がることもできそうにない。
「まぁ君自体は無事そうで何よりだ。ご依頼の品は捕まえられたんだろう?」
「ご安心ください。それに関してはバッチリです」
右手に掴んだ筒をゆっくりと掲げながら誇らしげに答える。筒からカツンと音が響き、筒の中の物が生きていることを知らせる。
それを見た女性は少し微笑んで頷いた。
「うん。よくやったね」
「ありがとうございます、先生。これはお褒めいただけるかなと思って頑張ったのですが――、まぁ、その……頑張りすぎました」
力のない笑みに疲れが浮かんではいるものの、達成感に満ちた表情だ。
「そのようだね。立てないと見た」
「残念ながらおっしゃる通りです。誰か人を呼んでください」
傍らにいる女性は見るからに華奢で、どう考えても人を運べるような筋肉量はない。
さすがに空が白む時間にもなると、いつも賑やかな声で溢れている飲屋街の喧騒も、朝の霞と共に散ってしまった。
そう簡単には助けは来ないだろう。
「そうしたほうがよさそうだ。使い鳥をジョー君の店に向かわせるよ」
彼女が煙に指で何かの図形をなぞると、途端に煙は鳥の形になり、パタパタと羽を動かして大通りのほうへ飛んで行った。
「さすが先生。頼りになります」
「……それで?」
女性は携帯灰皿に煙草をしまい込むと、青年に向き直った。
顔は笑っているが、その声からは明らかに怒りの感情がのっている。
青年は、ひやりと冷たい汗が伝うのを感じた。
「ユール。予定とは少し違うようだが」
あの場では最適解だったとは思うが、この体たらくだ。後悔がないとは言えない。
もう1度あの時に戻ったとして……もっとうまくやれるだろうか。いや、同じことを選んだかもしれない。
「それがですね——」
青年は前髪をかきあげて眉間を抑え、苦笑いを浮かべながら記憶を辿り始めた。
もちろん、彼は好き好んで路地裏の地面に倒れているわけではない。
事の発端は前日の昼過ぎに遡る。
「どうしようか……」
ランチタイムも終わりかけの喫茶店――"喫茶パラソル"で一人、飲み物を片手に地図を睨み、途方に暮れている男がいた。
このあたりでいなくなったはずなのだが、いくら探そうと見つからない。見知らぬ土地でずっと歩き通して足は棒のようだ。
しかし、万が一誰かに拾われたら……そして知られてしまったら、と思うと気が気ではない。
シューシューという蒸気の弾ける音と鍋を振るう金属音が厨房から絶えず聞こえてくる。
首筋を伝う汗が厨房からくる熱気によるものなのか、状況が変わらないのに進み続ける時間への焦りによるものなのか、男にはもう分からない。
腹をくくるべきかと男が考えあぐねているうちに、さりとて時間は無常に流れていく。コーヒーの氷も大方溶けてしまった。
「あの……」
はぁ、とため息が零れ落ちたとき、近くから男の声が聞こえてきた。
「お兄さん、お顔が真っ青ですけど大丈夫ですか?」
「ああ、本当だ。大丈夫かい?お客さん。医者を呼ぼうか?」
視線を向けると、隣にいた若い客と店員が声をかけてきた。
「いや、だ、大丈夫だ」
「そうかい?まぁ、もうすぐランチは終わる時間だけど、気分が優れないならゆっくりしていって構わないからね」
「ご無理なさらずに」
話しかけてきた青年は、会釈をして微笑むと、目の前の器に向き直った。
食べるのに邪魔なのか長い髪を1つにまとめると、一口また一口と軽快にスプーンを口に運ぶ。
髪を耳にかけた拍子に現れたシルバーのピアスが器のガラスに反射してキラリと光る。
つい目線を奪われ、青年をよく見てみると、いくつか腕輪と指輪もシルバーのものを身に着けている。
装飾品がやけに多いが、さらさらと流れる薄灰色の髪と穏やかな表情が相まって不思議と上品な印象だった。
手元のフルーツとアイスがこれでもかと盛られた巨大なグラスを見なければ、の話だが。
あれがメニューの一番上に載っていた季節のフルーツパフェだろうか。店はサイズについてメニューに注意書きをしたほうがいい。
「せっかくのご旅行も、体調が悪かったら楽しめないでしょう」
「え?どうして……」
男は店に入ってから、注文以外のやり取りはしていない。
「あ、勝手にすいません。ずっと地図を見てるし、東部から来た旅行客だろうと思って。クラシックなローブを着ているのはだいたい魔法使いか、魔法使いが多い東部の人だって先生に聞きました。西側の人は鮮やかな色の服をきているか作業着のことが多いし。あとそれ、東部で有名なローワン商会の土産袋ですよね。あたりですか?」
「あ、ああ……まぁ」
歴史を重んじる東部の人間は、服装もクラシックなデザインを好む人が多い。
この喫茶店がある都市アルディアは国の東西の中間に位置している。国の西部は蒸気機関と工業がメイン産業、東部は魔法使いが人口の多くを占めている。
アルディアは東西それぞれからの旅人が行き来する街のひとつだ。この男も、昨日東部からこの街に来たばかりだった。
「ユール。お客様を困惑させるんじゃない」
「すみません。……またやってしまった」
常連なのか、店員側も気安い態度だ。
「いや、構わないよ。だいたいその通りだし」
「観光……にしては悩まれてそうですけど」
「ああ。仕事でこっちに来たんだが、ちょっと物を失くして……なかなか見つけられなくてね。困ったもんだよ」
「探し物、ですか?」
『物を失くして』と聞いた途端、話しながらも一定のスピードでパフェを口に運んでいた青年の手が急に止まる。
表情は穏やかなままだが、一瞬だけ、鋭い目つきになる。
そしてすぐに、宝の地図を見つけたような、期待に溢れる表情へと変わった。
「あ、ああ……」
突然の変化にたじろぐ男をよそに、青年はいそいそとカバンから小ぶりの紙を取り出した。
「あ、失礼いたしました。僕、こういうものです。」
差し出された名刺には、『プラムヘイゼ捜索事務所 調査員 ユール』と記載されている。
「捜索事務所?」
「捜索に特化した探偵のようなものです。どうです、よければお話だけでも」
東部では聞いたことがないが、アルディアでは一般的なのだろうか。ただ、そこはかとなく怪しい。
男がそう思っていると、顔に出ていたのか、店員がやれやれと肩をすくめながら口を出してきた。
「お客さんは運がいいよ。雰囲気はちょっと……いやかなり怪しいだろうけど、探し物なら頼りになるさ。時間に追われたりしてるときとかは特にね。まぁ、それなりにお金はかかるが。」
男は躊躇いを見せたが、にっこりと笑身を浮かべた自信満々なユールの表情を見て、つい興味をそそられた。
「それじゃあ……とりあえず話だけ」
「ありがとうございます。失くしたのはどんな……?」
「いや、その……失くした、というか……。あとその、できれば……あまり聞かれたくなくて……」
男はきょろきょろと回りを見ると、小さな声で訴えた。
「もちろんです。事務所がすぐ近くなので、そこでどうでしょう」
「え、ええ」
「では、さっそく。あ、ジョー君お会計は置いときますね」
言い終わるや否や、ユールは勢いよく立ち上がると、出口の扉へと向かう。
山のようになっていたパフェグラスは、いつの間にかきれいに空っぽになっていた。




