恋の始まり
「馬鹿なの?」
身も蓋もない言い方でヤヨイに向かう姉。
そんなに気が強いから売れないんじゃね?
財前ルリカ…姉のモデル名だ。
ほんとは志水花なのだけど。
まあ時代遅れも甚だしい名前をつけた親を尊敬してるからな。
単にスタイリッシュだからとかそんな理由でモデル名も決めたんだと思う。
怯んだヤヨイに代わってモブの…いや来年妻になる予定のシズカが口を開く。
「お話を聞いていただきたいんですが…」
キャラでもない言葉遣いだが、本来この程度の常識はシズカなら間違いなくある。
丁寧にお辞儀をするシズカの姿勢に、目を眇めていた姉も少々見方を変えたようで…
「タケル。まさか軽はずみなことをまたしてないわよね?」
さすがに二十年以上俺の姉だ。
ピンポイントで今回の騒動の源を言い当ててきた。
困った。
激怒されることは目に見えている。
軽はずみで結婚しましたとか、どの口が言える?
だいたいシズカの勢いに気圧されて、姉のことをあまり思い出せずにいたことが今になって後悔に繋がっているんだ。
「あんた、まさか…できちゃったの?」
ヤヨイが慌てて否定する。
「いいえ、昨日始めてしたばかりで…」
それを簡単に白状してどうする!
「ふーん…」
目を細めてヤヨイを値踏みする姉。
「なんかめんどくさいことみたいね。あんたその左目どうしたの?」
ヤヨイの左目の青タンに気付いた姉は、話を聞くことに決めたらしい。
「軽はずみな馬鹿だけど、あんたを殴ったりしてないわよね?それだけはしないように教育してきたつもりなんだけど」
「タケルさんじゃないです。タケルさんじゃ…」
何かの記憶がフラッシュバックしてきたのか、ヤヨイは目に涙を溜めはじめた。
「女を泣かせるのは趣味じゃないんだよね」
なかなか男前な台詞を吐いて、扉を少し開けた。
「どうやらこんな所で聞く話じゃないようね。タヌキは入りな」
タヌキって…嘘つきって意味じゃないよな?
「どう見てもタヌキだろ」
「ほんと姉弟なのね」
小さくシズカが呟く。
「あたしは…どう見えます?」
そうやってシズカは話題を広げた。
ヤヨイのために。
この辺の度量の大きさは俺では敵わない。
他人のために個を捨てられる女。
シズカの機転を察知したのか、姉は
「そっちのキツネは…只者でもないのか。いいわ、あんたも」
と、扉をさらに開いた。
どうやら門前払いだけは避けられたらしい。
「…タケル。きちんと説明できるわね?」
ああ、たぶんと返す。
仕方ない。ひとまず腹を括ろう。
姉さえ口説き落とせば両親はなんとかなるはずだ。
俺とは違って姉に全幅の信頼を両親は寄せている。
我が家のガバナンスはひとえに姉に依ってるのだ。
ここまで来て…情けない話だが我が家の門をくぐってやっと腹が決まる。喫茶店で逃げ出そうかと思ってたもんな。
それでも喫茶店からほぼ一時間。俺としては早めの決断だ。
ヤヨイとの結婚、大学を休学、一年間働いてヤヨイを卒業させる…それが目的だ。
シズカとのことは、本人が言っているだけでまだ俺は肯定も否定もしていない。
うん。目標は定まった。
おかしな感覚だが、まだ涙目のヤヨイを可愛いと思った。もし今とか今日のことを思い出す日がくるのなら、初めて可愛いと思ったことをまず最初にしよう。
これが恋の始まりかは自覚がないのだけど。




