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第一品目「わがままを乗っけたお子様プレート」

日々お仕事を頑張るあなたへ。

 街中にひっそりとある小さなお店。そこに確かに存在していて看板まで出ているのに、通行人は誰も気づかない。ふと目をそらせば見失ってしまうけれど、どの街でもどの国でもどの時代でも必ずどこかに存在する。そんな小さな小さな不思議なお店。


 カランコロンとドアベルが鳴る。すでに夜も更けた遅い時間の来店者。


「あのう、まだ大丈夫ですか?」

「はい、もちろんです。どうぞ、お好きな席へ。」


かなり草臥れた風貌の男が水槽の前の席に腰を下ろす。そして鮮やかで小さな魚をぼうっと眺める。日々の仕事で疲れ切った脳は、可愛らしい魚達のちみちみとした動きに癒しを求めている。先程まで何度も思い出していた仕事のことを、今だけは忘れていたいようだった。


「いらっしゃいませ。こちら、メニューでございます。」

「ああ、どうも。ありがとうございます。」

「お決まりになりましたら、お声がけください。」


目の前に置かれたお冷と、温かいおしぼり。それと年季が入っているように見えるメニュー表。初めて触ったというのに、なぜかしっくりと手に馴染む。どうやら随分と老舗の店にたどり着いたらしい。何度かここは通っているけど、気が付かなかったな。

つい先程まで打ち込んでいた仕事の時とは打って変わってゆっくりと頭が回っていることを感じながら、男はメニューへと意識を向けた。


 深夜の背徳を感じながらのがっつりとしたガーリックステーキ。無理だ、それに耐えられる胃袋じゃあない。日々の不摂生を補うための野菜たっぷりな炒め物。いや、もっと腹に溜まるような物が良い。ソースと肉と米の組合せが最高なソースかつ丼。良いかもしれない。だが折角ならもう少し贅沢してみたい気もする。


何度もページをまくり悩んでいると、最後のページに別メニューが挟まっていることに男は気が付いた。

そういえば、ファミレスでも通常メニューとは別でメニューが用意されてることがあったっけ。一回り大きいのに気が付かなかったなんて、俺疲れすぎてんのかな。


 別メニューに書かれていたのは、店主による本日のおすすめ。どうやら今日は「大人が喜ぶお子様プレート」のようだ。昔ながらのオムライスにナポリタン、エビフライ、ハンバーグ、そしてコーンスープ。幼少期に何度もねだって注文して貰っていた好物が詰まったプレート。

すごく食べたい。ちょっと前に同僚の奴が、家で息子に合わせてお子様ランチを食べたって言っていた。その時に俺も久々に食べてみたいなって思ったんだった。


「すみません、本日のおすすめのお子様プレートを一つお願いします。」

「かしこまりました。セットのドリンクはいかがですか?」

「あー、りんごジュースで。」

「はい、りんごジュースですね。しばらくお待ちください。」


最近選択肢として挙げることすらなくなったジュースを選ぶ。健康診断にひっかかったことはまだないけれど、三十を超えた辺りから流石に腹が気になってきた。だが今晩は気にしないことにする。なぜなら今日は、部下のミスの尻拭いをして、上司からの無茶ぶりをこなして、ここ数年の中で一番遅くまで仕事をした。俺よりももっと過酷に働いている奴もいると言われてしまえばそれまでかもしれないが、俺の中では俺が今日一番頑張った奴だ。ちょっとしたご褒美だって必要だろう。


 心の中で自分を褒めていれば、ジュウジュウジュワジュワと耳を楽しませる音が聞こえてくる。それに合わせて少しずつ鼻に届く料理の香りの強くなってきた。

深夜のこの時間に温かい食事がとれるとは思わなかった。きっと今晩はコンビニ飯になるだろうと覚悟していたのに。明日が休みで良かった。そうでなきゃ、外食なんて選択肢はとれなかっただろうし。そういえば最近ちゃんと湯船に浸かれてないな。シャワーだけよりも浸かった方が良いんだっけか。妹からプレゼントされたバスボムがあったような気がする。なんかこう若い子達が好きそうなやつ。あー、腹が減った。


「お待たせいたしました。大人が喜ぶお子様プレートです。」


腹が減ってたまらなくなったタイミングで店員がお洒落な配線ワゴンで食事を持ってきた。母さんや妹が好きそうだなあ。

店員が鉄板が熱いやらと話をしているのを相槌を打ちながら聞き流す。そんなものよりも目の前に並ぶ、小さい頃に何度も欲しがった宝物を見つめることの方が俺には重要だった。


 黄金色の卵の上に真っ赤なケチャップがかけられ、何とも懐かしい気持ちになるオムライス。最近は卵がくるくる巻かれたドなんちゃらっていうやつとか、上に乗ってる卵を切ったらドロッと出てくるやつとかが"ばえる"からって人気らしいけど、俺はやっぱりこっちの薄く焼かれた卵にケチャップライスが包まれたやつが好きだ。

オムライスに立てかけるように置かれたエビフライは、ピンとまっすぐで綺麗なきつね色。カラッと揚げられサクサクとした食感をしているのが想像できる。タルタルソースがかかっているのも嬉しい。

肉々しいハンバーグとそれの上にかけられたデミグラスソースが、あっつあつのハンバーグ用鉄板の上でジュウジュウと腹を空かせる音と立てる。やっぱりハンバーグにはデミグラスソースが一番だよな。和風とかも好きではあるけど、お子様プレートならデミグラスソース以外にはないよな。

小山の形で盛られたナポリタンには野菜もウインナーもたっぷりと使われ、とても目にも鮮やかだ。弁当にもよく入ってるけど大抵一口位の量で物足りない。けど今日はもっと堪能できる。すごく嬉しい。

付け合わせのポテトフライと焼き野菜は彩りにアクセントを加えているし、コーンスープはふわふわと湯気が立っていて粒も残っている。年を重ねる内に気が付いた野菜の旨さなんてものも満たしてくれるものがあるのが素晴らしい。

目も心も楽しませる、大人を満足させるためのお子様プレート。メニューに書かれていたそんな文言を、ちょっと言い過ぎじゃないか、なんて思ってたけどこの食事はまさしくそれなのかもしれない。


 何から食べるか少し迷ってエビフライを口にする。まずはタルタルソースのついていない部分を。良い香りに誘われるままに口に含み歯を立てれば、揚げたて特有のざっくりとした衣とぷりっぷりのエビの食感のハーモニーが広がる。衣の量とエビの太さが絶妙なバランスで最高だ。スーパーやコンビニでエビフライを買うこともあるけど、大体バランスが好みじゃないことが多い。それなのにこのエビフライはどんぴしゃで俺の好みのバランスになっている。次はタルタルソースのついている部分を。良い油が使われているのか元々気にならないくらいの油っぽさだったが、ソースの酸味で更にさっぱりとした後味になる。あー、癖になる。

次は一番俺の腹を刺激する香りを出しているハンバーグ。箸で一口サイズに切れば、断面からじゅわっと肉汁が溢れてくる。そしてあふれた肉汁が鉄板に触れると、ジュウジュウと音を立てて更に鼻に良い肉の香りが届いて来る。思いっきり口に含めばさっき出てきていた量よりもずっと多い肉汁が口中に広がる。幸せの味だ。濃厚なデミグラスソースが沢山の肉汁と合わさって最高な幸せの味になる。そうだよ、子供の頃はこの味が凄く凄く凄く好きだった。

濃厚な肉を味わえば米が食いたくなる。スプーンに持ち替え、山になるくらいすくって口に運ぶ。全くべちゃついていないケチャップライスと、薄く焼かれた卵が口に広がる感覚がとても懐かしい。俺は!こういう!オムライスが!好きなの!!母さんや妹に連れてかれる今風のオムライスよりも、昔ながらのこういう奴が好きなんだよなあ。懐かしさにジーンとしながら黙々と半分くらいまで食べてしまった。肉がなくなる前に米を食べつくしたくはない。

次に選んだのはナポリタン。野菜と麺をいい感じの割合で食べる。もちもちの麺とソーセージの肉々しさ、そして火が通ったことにより強くなっているケチャップの甘みが口の中を喜ばせる。ほんのりとあるケチャップの酸味と野菜の苦みが最高のアクセントだ。このアクセントがなければ単調な味で途中で飽きてしまうだろうけど、あることによってずっと食べ続けられる気がしてくるのが不思議だ。料理は科学だとよく言われているが、これも科学の一種なんだろうか。

箸休めにポテトフライと焼き野菜を食べながら、次に何を食べるか考える。さっぱりした口でまた一巡しても良いけれど、やっぱりコーンスープを先に飲もう。幼い頃は何故かスープ系を飲むのが下手くそで毎回、口周りをべちゃべちゃにしていたことを思い出す。……そういえば前にアルバムを見た時、そんな感じの写真があった気がする。ちょっと恥ずかしい思い出は頭の外にやり、すくったスープに口を付ければ、コーンスープ独特の滑らかな甘さが口中に広がりほっとする。粒々としたコーンをプチっと潰せば、新鮮で弾けるような甘みが感じられる。


 一通り食べてみれば、どれもこれも凄く旨い。全部俺好みの味がする。そんな店を見つけられた喜びを噛みしめる。こんなに遅くまで仕事をする羽目になるなんて運がないと思っていたが、もしかしたらこの店に会うために運を使ったのかもしれない。

ゆったりとした幸せに浸りながら、りんごジュースを口にして甘く爽やかな味を楽しむ。これ、もしかしたら果汁百パーセントのやつかな。なんだか味が濃厚な気がする。

口の中を甘さでリセットしながら、テーブルの上を見る。どの幸せも半分は残っている。最高だな?どんどんと食事を進めれば、腹が心地よく満たされていくのを感じる。


 米粒一つ残さずに食べきれば、仕事による疲れがすべて飛んでいったような気がする。まだまだ食べたい気持ちはあるが、流石にこれ以上は胃に入らない。今では考えられないような量を食べられた食べ盛りの中高時代が何とも懐かしい。


 まだ少し残っていたりんごジュースを流し込みながら、ぼんやりと仕事のことを思い返す。今日の分は何とか終わらせたが、まだまだタスクは山積みだ。だが、この店に入る前の焦燥感は消え、タスクの消化方法と必ず捌きこなせるという自信が湧いてくる。虚勢ではない、裏打ちのある自信。うん、よし。俺はまだまだやれるな。


 腹を満たされ、心まで満たされたことを感じながらレジへと向かう。


「凄い美味しかったです。」

「そう言っていただけて何よりです。それだけで店を構えた時の苦労が報われます。」

「また来ます。」

「ぜひ。この店はいつでもどこでも、休息を与えるために存在しています。」


なんとも不思議な店だった。帰宅してからそう思った。

店員はどことなく浮世離れしていたし、店自体も普通とは違っていた気がする。こんな遅くまで営業しているのに、通りで飲んだくれていた人達の目には一切映っていないようだった。


でもまあ、そんなことはどうだっていいか。カラコロと会計時にサービスで貰った飴を口にすれば、爽やかなサイダーで心が軽くなる。俺に悪影響はないみたいだし、休息を与えるためにあるみたいだし。一息つきたくなったらまた行けるだろうな。

あなたには疲れを飛ばす爽やかなサイダーを。

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