8.陸に咲くたねと、獣道の陰
◇
蝶谷が、別の札の束をトン、と軽く弾いた。
「さて。次は“たね”の説明に入ろっか」
そう言って、数枚の札をスッと抜き取る。
その手つきがやけにスムーズで、ちょっと演劇の幕開けっぽかった。
そして――畳の上に、ずらっと並べられた札たち。数えてみたら、9枚。
「先に言っておくねー」
蝶谷は口元だけ笑いながら、読み上げる。
「梅に鶯、藤に不如帰、菖蒲に八橋、牡丹に蝶、
萩に猪、芒に雁、菊に盃、紅葉に鹿、柳に燕」
「多い多い多い! 今ので脳が詰まりかけたんだが!」
「うん」
「……これ全部、覚えなきゃいけないのか?」
「うん」
「……そうなのか……」
「――ごめん、嘘」
「嘘つくな」
「つい、ね。顔が真面目すぎて言いたくなっちゃった」
蝶谷がさらっと流す。
俺がにらむと、蝶谷は肩をすくめて続けた。
「全部覚える必要はないよ。
たねは“たね”ってざっくり把握しておけばOK。
その中で、役に関係するやつだけ、ちょっと覚えておけば問題なし」
「はあ、安心した……」
「でね、“たね”っていうのは、
動物とか道具とか、“生き物寄りの札”のことなんだ」
蝶谷は、盃の描かれた札を指でそっとなぞりながら、口を開く。
「空に太陽や月があるなら――地面には、鹿とか蝶とか。
光札が“空担当”なら、たね札は“地上の住人”って感じかな」
「なるほど。主役じゃないけど、いい位置にいるやつらってことか」
「そうそう。目立ちはしないけど、物語に欠かせない、名脇役たち」
蝶谷は言いながら、桜・松・桐の札をスッとつまみ上げて、こちらに向けた。
「で、ここからがちょっと面白いとこなんだけど――
たね札が描かれてる花には、基本的に光札がいないんだ」
「光がないところに、たねがいる……?」
「そう。“主役が不在の場所で、地上メンバーが奮闘してる”ってイメージで覚えると分かりやすいかも。
逆に、“光札がある花”には、たね札がいないって覚えちゃってもOK」
「……言われてみると、たしかにそうかも。
“桜に幕”も“松に鶴”も、“桐に鳳凰”も、動物とか道具って描かれてなかったな」
「そう、つまり――“たねがいない花”は、松・桜・桐の3つだけ。
この3つだけ覚えておけば、他は“なんかいる花”で通るよ」
「だいぶ学びやすくなったな、それ」
「でしょ? こう見えて優しさでできてるんだ、俺」
「いや、お前さっき嘘ついて俺に9枚丸暗記させようとしたよな?」
◇
「"たね”界のスーパースターっていったら、やっぱりこの3枚だね」
畳の上に、迷いなく3枚の札が並べられる。
「萩に猪、紅葉に鹿、牡丹に蝶。――合わせて“猪・鹿・蝶”
これで、"いのしかちょう”って読む。ひとつの役として成立するんだ」
「へえ、読みが意外と可愛いな。
……これ、花札の中じゃ有名なやつ?」
「うん、伝統的なセットだからね。
“たね”札の中では、唯一、たね札だけで成立する役でもあるんだ」
「ってことは、他の“たね”じゃ、役にならないってこと?」
「基本的にはね。“猪鹿蝶”だけは特別枠ってこと。
たね界の“選ばれし3匹”って感じ」
「選ばれし3匹って、ポケモンみたいだな。
他のたねじゃ、役は作れないのか?」
「うん、基本的にはね。
“こいこい”だと、たね札で役になるのはこの“猪鹿蝶”だけ」
「ってことは、他の札は……サポート役か?」
「基本的にはね。猪鹿蝶だけが、“たねだけで一発成立”する役。
他のたね札たちは、基本“サポート役”扱いかな」
「格差社会だな……」
「とはいえ、たね札をいっぱい集めると“たね”っていう役にはなるよ。
5枚で1文、6枚で2文、7枚で3文……最高で9枚集めて4文まで上がる」
蝶谷は札を一枚ずつズラしながら、静かに笑った。
「ちなみに、たね札は全部で9枚しかないから、これ以上は伸びない。限界値ってやつだね。
……まぁ、実戦で9枚集めるのって、なかなかに奇跡だけど」
「なら、猪鹿蝶だけを覚えておけばいいのか」
「うん。
例外のジョーカー”みたいな札もいるけど――
そこは後で教えるね。お楽しみってことで」
◇




