60. 「うんうん、負け惜しみだね〜」
◇
勝敗が決した――その直後だった。
「はーいっ!お待たせしましたっ!」
唐突に、明るく場を割くような声。
ぱん、と乾いた音が響き、会場の空気が一変する。
「ただいまより~、名取選手への祝勝インタビューを行いまーす!」
やって来たのは、賀松 明翔。
眩しいほどの笑顔で、場を“祝祭”に塗り替える男だった。
「いやぁ、見事でしたね名取選手!どうですか、今の気持ちはっ!」
俺はまだ息も整っていない。喉が焼けたままなのに、マイクを突きつけられる。
「……いや、正直、勝てると思ってなかったから……」
「“奇跡”、ってやつだね!」
嬉々とした声で、賀松が答えを先取りする。
でも、すぐにその目が――獣のように鋭くなる。
「でも、“奇跡”って、勝手に起こるものだっけ?
違うよね?みんなもそう思うよね?」
観客が、かすかにざわつく。
名取への賛辞に見せかけて、視線の刃は――明らかに、メシアへ向けられていた。
「おれは思うんだ。
夢って、努力すれば必ず掴めるって!」
キラキラと笑いながら、信じきった声で続ける。
「だからさ、“最初から負けるつもりだった”お友達には――がっかりだよ」
一転して、声が冷えた。
名指しこそないが、誰に向けての言葉かは、誰の目にも明らかだった。
信者の何人かが息を呑み、会場がぴしりと軋む。
舞台袖のメシアは、何も言わず、俯いていた。
(……いや、あいつ……)
俺には、見えていた。
時折浮かぶ、苦しげな表情。
強く見せていても、どこか痛みを隠しきれていない目。
――まるで、自分で自分を壊しているみたいな顔だった。
「ちょ、ちょっと待て。それは……違う、だろ」
思わず、言葉が漏れた。
どんな意図があったにせよ、“全部ふざけてた”なんて言うのは、違うと思った。
けれど――
「違わないよ、名取くん!」
賀松は目を輝かせたまま、俺の肩を軽く叩く。
「君はすごいっ!だって、勝ったじゃないか!
努力も才能も心の強さも、ぜーんぶ揃った、僕らの希望の星!」
それは、純粋さじゃなかった。
夢に取り憑かれたような、眩しすぎる“正しさ”だった。
「そして、メシアを信じていたお友達~!」
賀松は、マイクをくるっと客席に向ける。
「これからの君たちの希望は――名取くんですっ!」
ざわっ、と客席が揺れた。
戸惑いながらも、拍手が起き始める。
(……違う。俺はそんなつもりで……)
でも、もう止められなかった。
誰かを信じたい目が、次々と、こちらに向けられていく。
そのときだった。
「……滑稽ですね」
低く、冷えた声が空気を裂いた。
舞台袖のメシアが、ゆっくりと顔を上げる。
「“夢が叶う”だの、“希望の星”だの。
どこまで都合よく言葉を並べれば、救われた気になれるんですか」
その言葉に、信者たちの肩がぴくりと動く。
「勝てば信じる、負けたら捨てる。
そんな薄っぺらい“信仰”しか持っていないのに……
よくもまあ、“救ってくれ”なんて言えたものですね」
静かに、冷酷に、ナイフのような言葉が突き刺さる。
「いいんですよ、もう。
バカには、バカなりの“神様ごっこ”をしていれば」
ざわ――
空気が、揺れる。
信者たちの顔が、ゆっくりと俯いていく。
けれど――その言葉を吐いたメシアの顔もまた、曇っていた。
それが本心ではないことくらい、見れば分かる。
……むしろ、言いたくなかったというような、苦しい顔だ。
(……あまりにも、露骨だ)
わざと、憎まれるように話している。
自分から、信者の手を振り払うように。
なんで、そんなことをするのかは、分からない。
でも、たしかに見えた。
その目に、一瞬だけ浮かんだ“痛み”。
ほんのわずかな、人間らしい後悔の色。
夢を讃える男と、信仰を断ち切る男。
その間で、俺は一言も言えず、ただ立ち尽くしていた。
……なんなんだ、この学苑は。
この世界は、どこか、おかしい。
◇
そんな空気の中――
「うんうん、負け惜しみだね〜」
賀松が、わざとらしいほど明るく笑って言った。
空気の張り詰めた場に、鮮やかすぎる声が響く。
「ま、仮にも“教祖様”だったんだし。最後くらい、強がってくれなきゃ困るよね!」
あっけらかんと、笑いながら。
でも、その目だけは――まっすぐに、冷たく、メシアを射抜いていた。
「さて、名取くんっ」
突然、話題が切り替わる。マイクがこっちに戻ってくる。
「次の手順、ちゃんと覚えてるかな?仇討ちの“お片付け”だよ」
(……お片付け?)
思わず聞き返しそうになるが、賀松はそのまま進めていく。
「今から、君が山札を作って。
その山札から、彼――つまりメシアくんに、一枚めくらせてあげてください」
その場の空気が、静かに凍る。
「出た札が偶数月だったら――」
少しだけ、楽しそうに言葉を間を取った。
「彼の“仇”は、君の仇に取り込まれるよ。いわゆる、成長ってやつ。
仇の格が上がるんだー。名取くん、おめでとう!」
拍手のタイミングのように、賀松が手を叩こうとして――止めた。
「で、もし奇数月だったら……」
にこり、と笑ったその顔は、まるで舞台の上の王子様のようだった。
「この場にいる人たちで、“自主的制裁”ってことで。
あとは何もないよ~」
さらりと、空気のように、何気ないことのように言う。
俺は、しばらく言葉が出なかった。
(……なんだ、このシステム)
「さ、名取くん。やってやって!」
賀松の無邪気な声が響く。
その背後で、メシアはただ、じっと黙っていた。
笑いもせず、抗議もせず。
その瞳の奥に、言葉にならないものだけを宿して。
俺は、無言のまま山札を手に取った。
誰もが息を詰めていた。
さっきまで祝祭の音に包まれていた空間が、
今は、札一枚の重みに――沈んでいた。
(……どうして)
こんなに祝われて、認められて、讃えられて。
それなのに、こんなにも、息が詰まるのは――
この勝利に、何が残るんだ?
俺は、ゆっくりと札をくる。
あの男が、それをめくる。
奇数か、偶数か。
誰かの仇が消え、誰かが裁かれる。
◇




