59.この"運命"は、"当然"だ(メシア戦終)
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メシアの番。
場札
桐のかす、紅葉のかす、松のかす。
「……ここで、私が運命に愛されていたら。
きっと――持っていたんでしょうね」
静かな声だった。
柳の短冊が、卓の上に滑る。
その指には、爪が食い込むほど力が込められていた。
「ええ。赤短、持ってませんよ」
口元は笑っているのに、目は冷たい。
その顔が、どこか“人”ではないものに見えた。
「正直、私はかなり厳しい状態です。
でも――まだ、終わったわけじゃない」
淡々とした口調。けれど、空気が張り詰めていく。
「柳のかす、あるいは紅葉の青短。
そのどちらかが来れば……私は、まだ勝てます」
(……執念深い)
そんな言葉が自然と浮かんでいた。
こっちが勝つ未来を“許してない”ような、そんな圧だった。
(……都合のいい奴だな)
それでも、一瞬だけ心がざわつく。
言いようのない感覚が、喉元に刺さったまま抜けない。
(いや……こいつは、生徒たちを見捨ててきた)
俺は、自分の中の戸惑いを打ち消すように、指先に力を込めた。
「――引きます」
札をめくるメシアの手は、祈りでも希望でもなかった。
ただ“押し通す”意志だけがあった。
出たのは――菊のかす。
……空気が凍りつく。
メシアは俯いたまま、しばらく動かなかった。
やがて顔を上げたその目には、光がなかった。
仮面を塗り直したような微笑み。
「……ふふ。なんだ、結局、そういうことですか」
低く、抑えた声。
だけど、その声は、俺の胸を真っ直ぐに刺してきた。
「奇跡は“バカな奴”に微笑むんですね」
視線を逸らさず、まっすぐに言い放つ。
「努力した者は報われない。計算した者は裏切られる。
でも――何も分からず札を出した“君”が、勝つ」
その言葉に、俺は少しだけ口を引き結んだ。
でも、言い返す言葉が見つからない。
「“感動”しましたよ、本当に。
君は何もかも曖昧なままここに来て、運だけで札を手繰って……
それでも、ここに立っている。
……きっと、それが“この学苑の正解”なんでしょうね」
その声に、怒りも、嘲りも、熱も、何もない。
あるのは、空っぽの硝子みたいな響きだった。
「私は、間違っていたらしい。
誰よりも考え、正しくあろうとした。
なのに、結果はこれです。――滑稽ですよね」
バンッ。
札が卓を打つ音。
それは、怒りではなく“諦めの強調”だった。
「でも、覚えておいてください。名取くん」
その声だけが、鋭く変わる。
まるで毒を含んだ針のように。
「“奇跡”に甘えた者は――
いつか、“本物”に、必ず潰される」
言葉の抑揚は穏やかなのに、聞く側の呼吸を止めさせるような圧があった。
メシアは、うっすらと微笑んだ。
優しく、神さまみたいに穏やかで、どこか夢を見てるような表情で。
その口が、静かに開く。
「……その優しさ、誰かの棺に添えてあげてください」
祈るような声だった。
「火葬場で、それはきっと……綺麗に燃えます」
静かで優しい――けれど、言葉だけが最悪だった。
(……理解なんて、してないくせに)
その言葉が、喉元まで出かかった。
救う気なんてないのに、救いを語る。
壊れているのは誰なのか。
今、俺にはまだ分からなかった。
ただ――
この人を信じていた誰かが、これを聞いて、
どんな顔をしているかを考えると――
胸の奥が、ひどく冷たくなった。
メシアの合わせ札
梅に鶯、藤に不如帰、菊に盃、芒に雁
梅の赤短冊、桜の赤短冊、藤の短冊、牡丹の青短冊
桜のかす、藤のかす、藤のかす、芒のかす、菊のかす
◇
俺の番。
場札
桐のかす、紅葉のかす、菖蒲に八橋、【松】のかす。
手札
【松】に鶴
静かに――最後の一枚、松に鶴を、場の松のかすに重ねた。
まるで、何の迷いもなかったように。
けれどその指先には、汗が滲んでいた。
それでも俺は、選んだ。
「……雨四光だ。点数は7文。倍付で――14文」
その声は、どこまでも静かで、どこまでも確かなものだった。
松に鶴。
桜に幕。
芒に月。
柳に小野道風。
全部、そろっていた。
俺が打った、俺の札で。
一瞬、メシアの目がわずかに見開かれる。
だけど、それもすぐに引っ込んだ。
「……やっぱり、“奇跡”のほうが強いんですね」
乾いた笑みだった。
けれど、その言い方が――妙に鼻についた。
「努力なんて、計算なんて、やっぱり意味なかった。
バカが札を並べてる方が、勝てるんだ」
その言葉に、会場がピリつく。
勝者を讃えるでもなく、潔く負けを認めるでもない。
まるで、“勝った側”を貶すために選んだ言葉だった。
「君、札を出した理由すら曖昧なんでしょう?
“なんとなく”で勝ったつもりですか?
だったら――本当に、愚かですね」
そこに込められていたのは、
自分の敗北を、勝者ごと汚しておくという意思だった。
(……なんだ、こいつ)
思わず、口の中に苦いものが広がる。
でも、俺は視線を逸らさなかった。
「違うな」
そう言ったとき、メシアの目が少しだけ揺れた。
「これは、“奇跡”なんかじゃない。
これは――“当然の結果”だよ」
「……は?」
「メシアが、生徒たちにしてきたことを。
どれだけ綺麗な言葉で包んだところで――
“見てた人間”は、ちゃんと知ってるんだよ」
空気が、わずかに変わった。
俺の声は静かだったけれど、
その言葉には、冷たくて硬い芯があった。
メシアは、薄く笑って言った。
「……説教ですか? 教師みたいに」
俺は、肩をすくめた。
「……俺、一応、その“経験者”なんで」
それだけだった。
でも、それ以上の説明なんていらなかった。
勝敗は、札が語っている。
そして今度こそ、本当に――終わったのだ。
一月 名取:0文 メシア:1文
二月 名取:2文 メシア:0文
三月 名取:14文 メシア:0文
合計
蝶谷 名取:16文 燕 メシア:1文
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