55.残酷で、平等だ。
◇
メシアの番。
場にあるのは、
桐のかす、桐のかす、桜のかす、菊に盃、梅のかす、芒のかす
メシアは、場の札を見つめたまま――
楽しそうに、首をかしげた。
「ねえ、名取くん。……芒に月、持ってますよね?」
突然すぎて、心臓が止まりかけた。
なんでそれを、今、言ってくる――?
「……いや、まぁ……持ってるとも言えるし、言えないような……」
なんとかごまかそうとした。
けど、メシアはすぐに、ふっと笑って――うん、と頷いた。
「持ってますね。それで、動きがまとまりました」
(……やられた)
自然すぎる誘導。
言葉の裏に針を隠すような、軽い口調で――
俺の“手の内”を、いつの間にか引き出していた。
「……くそ、やらかした」
口の中で呟いたと同時に、メシアの指が滑らかに動いた。
出したのは――梅の赤短。
そして、場の梅に鶯を、迷いなく取っていく。
所作が、相変わらず優雅だった。
まるで一枚の絵を仕上げるみたいな、完成された動き。
(……でも、なんか、おかしい)
「……え、そっち? 菊に盃、取らないのか?」
わざと問いかけてみた。
その意図が読まれるのは分かってたけど――
あえて、反応が見たかった。
メシアは、また“その場にふさわしい微笑”を浮かべて答えた。
声には、どこか艶っぽい含みすらある。
「――あれは、観賞用ですから」
「観賞……?」
「はい。菊は、この手札に3枚持ってますしね」
(……ん?)
一拍、沈黙する。
「……いや、ちょっと待てよ。
“手四”は4枚だろ? さっき出した菊に盃を考えれば、
今手札に3枚って――辻褄、合わないだろ」
誰が聞いても明らかな矛盾。
場に出した札と、今の発言。数字が合ってない。
メシアは、ほんのわずかだけ、目を伏せた。
一瞬だけ、言葉を選ぶような沈黙。
そして、何事もなかったかのように、さらりと口を開く。
「……訂正します。
持っているのは……二枚です」
その一言が落ちた瞬間――
会場の空気が、微かに揺れた。
「……え?」「さっき三枚って……」
「今、嘘ついた?」「……嘘、なんて……そんな、ね……?」
小さなざわめきが、静かにあちこちから漏れ出す。
声を荒げる者はいない。けれど、目線や呼吸の乱れが、確かに会場をざわつかせていた。
“あのメシア様が、間違えた?”
“いや、あれは何か意味があって……”
“そんな、嘘なんて――”
信じたい者たちの心が、ひび割れかけている。
そんな中、メシアは――
何も言わず、ただ、薄く笑った。
優しさも、余裕もない。
そこにあったのは、悪辣とも言える気配。
ゾクリ、とした。
メシアの指が、迷いなく山札へと伸びる。
その動きはあいかわらず、恐ろしいほど滑らかだった。
ふ、と空気が張る。
そして――
軽く、一枚をめくる。
紅葉の、かす。
……出た瞬間、体の芯がひやりと冷えた。
(……嘘だろ)
ほんの一秒、その札がメシアの手にあることを想像しかけた。
でも――
すぐに気づく。
違う。これは、俺が取れる。
(……ありがとう)
思わず、心の中で呟いていた。
紅葉のかす――それは、俺の手札にある「紅葉に鹿」に繋がる札。
見えた。
また、一枚、役が見えた。
メシアの合わせ札
梅に鶯、芒に雁
梅の赤短冊、藤の短冊、牡丹の青短冊
藤のかす、芒のかす
◇
俺の番。
場にあるのは、
桐のかす、桐のかす、桜のかす、菊に盃、【芒】のかす、【紅葉】のかす
手札は、
【紅葉】に鹿、松に鶴、梅に鶯、【芒】に月、柳に燕。
考えることはない。
芒に月は、もう確定だ。
今やるべきは――紅葉に鹿。
迷わず、札を出す。
紅葉のかすと鹿を、静かに重ねる。
これで、たね札がふたつ。
その瞬間――
向かいで、メシアの肩がわずかに揺れた。
「あ、ああ……?」
かすれた声が落ちる。
いつもの敬語じゃない。芯が抜けて、言葉に力がない。
「……これは……ええと……ああ……そう、ですか……」
視線は俺じゃない。
紅葉に鹿。
さっき自分が引いた札を、まるで裏切り者でも見るような目で見ていた。
(……何だ、その顔)
「……ちょっと、おかしいですね……。紅葉は、さきほど……私が、引いたばかりで……」
ぽつぽつと漏れる声。
もう“語り”じゃない。
自分に言い聞かせているだけだ。
「……“正しい”のは、私のはずなのに……」
その言葉だけが、小さく震えていた。
わずかに歪んだ口元。
目の奥に差す影。
ほんの少し、“人間”の顔がのぞいた。
(……でも、偽物に見えるのは、なぜだ)
弱っている姿すら、どこか芝居じみている。
演じてる気がなくても、そう見えてしまう存在になっている。
勝てると思い込んでいた相手が、今――
負けを見ている。
その現実が、メシアを静かに飲み込んでいた。
俺は山札に指をかける。
狙うは――桐に鳳凰、もしくは菊。
めくる。
出たのは――紅葉のかす。
一瞬、その絵柄を見てから――自然と口元が緩む。
「……さっき見たな」
静かに、笑いが漏れた。
さっきメシアが引いた、同じ札。
でも、もう俺の手札には紅葉に鹿がある。
つまり――メシアの引きなんて、必要なかった。
あのときすでに、
運命はこっちに向いてたってことだ。
そして――
メシアの沈黙が、ほんの少しだけ長くなった。
まるで、言葉すら置いていかれたみたいに。
俺の合わせ札
桜に幕
萩に猪、紅葉に鹿
菖蒲の短冊、紅葉の青短冊
桜のかす、菖蒲のかす、紅葉のかす
◇




