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5.悪辣な合理も、勝てば官軍



美術塔の静かな一室。

冷たい石の床に、ぱた、ぱた、と札が並ぶ音だけが響いていた。


音の主は、蝶谷 夜白。

黙ったまま、黒い花札を一枚ずつ並べていく。

その手つきには、妙な緊張感と、どこか楽しげな空気が混ざっていて――

まるで舞台の“仕込み”でもしてるみたいだった。


「……まずは、全部見せるね」


俺の方を見もせず、蝶谷は札をひとつずつ拾い上げては、丁寧に床へ置いていく。

花が咲くように広がっていく札たち。けど、どれもただの“飾り”じゃない。

そう。しっくりくるのは――「駒」。


「一月、二月、三月……」


蝶谷がひと月ずつ口にしながら、札を並べていく。

それぞれに違う花が描かれていて、意外と華やかだった。


「……ってことは、1つの花に4枚か。

12つの花があるから全部で48枚?」


俺がぼそっとつぶやくと、蝶谷が軽く頷いた。


「うん、そう。構成はそんな感じ。

トランプでいうスペードとかハートの代わりに、“松”とか“藤”とかね。名前は色々あるけど」


蝶谷は一枚、黒っぽい札をひょいっと摘んで見せてきた。


「最初のうちは、ぜんぶ“花”って呼んじゃっていい。

名前とか絵柄より、“合わせられるかどうか”のほうが大事だから」


そう言って、札を二枚、指先でスッと寄せて――


ぱんっ。


乾いた音が、静かな部屋に響く。

紙でも木でもない、不思議な音。けど、確かに“重なった”感触があった。


「トランプでさ、同じマークの札を揃えるゲームあるじゃん? あれと近いよ。

花札では同じ“月”の札を合わせたら、“揃った”ってことになる」


「……あれ? 札って、よく見ると似てるの多くないか?」


「ふふ、気づいた? でもね、全部ちゃんと違うんだよ」


夜白は、品のいい仕草で札を並べ直す。


「これが一月から十二月。

いわば、季節の花カレンダーってやつだね」


「えーと……サボテン、梅、桜、ブドウ、アヤメ、牡丹、ナンテン、山、マリーゴールド、紅葉、柳、桔梗……とか?」


「……今、サボテンって言った? あとマリーゴールド?

その発想、逆にすごいよ」


「いや、自分でも途中で“何かおかしい”とは思った」


「うんうん、そういうズレ方、嫌いじゃない。むしろ興味ある。

ねえ、もう一回じっくり聞かせて?」


「拷問かよ……やめてくれ、ほんとに」


「まあ、花の名前なんておまけだよ。

大事なのは、“どれがどれとくっつくか”ってこと」


「じゃあ実際は何なんだよ、サボテンは置いといて教えてくれ」


「えーっと……なんだったっけ、サボテン?」


「ボケてるだろ完全に」


「でもね、名取くん。

花の名前、覚えない方が強くなるんだよ?」


「……は?」


「花札はね、“精神戦”なんだよ。

ちょっと抜けてる方が警戒されないし、相手の読みも狂う。

結果、勝てる」


蝶谷は札をすべらせながら、涼やかな目元で笑う。

――その奥に、“何かを試している”ような気配があった。


「……でも俺は、そういうの好きじゃない。ルールはちゃんと知っておきたい」


「真面目だなぁ。

じゃあ、マツウメサクラーフジアヤーメボタンハギススキキクーモミジヤナギキリー」


「おい、その言い方ふざけてるだろ」


「うん、ふざけてる。だって本当は教えたくないもん。

覚えたら、鈍るよ? 強さって、意外とそういうもんでしょ」


「……そうなのか?」


「覚えるのは“取る優先順位”だけでいいんだよ。

菊・桜・芒が一軍。松・紅葉・牡丹・桐が二軍。

萩と梅が三軍で……ベンチウォーマーは藤と菖蒲、ってとこかな」


――たかが、花の絵札を揃えるだけの遊び。


最初は、そう思っていた。


けれど――

蝶谷のその“軽口”の裏側にあった妙に研ぎ澄まされた“本気”が、

背中にじわりと冷たい汗を這わせてくる。




「はい、名取くん。“出す”練習ね。

同じ花を合わせるだけ。とーっても簡単な作業だよ?」


蝶谷の声は、ふわっと空気に溶けるような柔らかさだった。

でも、なぜかスッと胸の奥に刺さる。妙に印象に残る声色。


「名取くん、“桜さん”と“梅さん”のご挨拶、できるかな?」


「……誰?」


「このお二人のこと」


蝶谷がすっと札を二枚差し出す。

片方はまるっこくて愛嬌のある“梅”。

もう片方は花びらがギザギザしてて、ちょっと派手めな“桜”。


「……俺のこと、完全に初心者扱いしてるだろ」


「うん、してるよ。だから、はい。見分けて?」


「こっちが梅で、こっちが桜……だろ?」


「正解。お見事。すごーい、初対面で見抜くなんて」

蝶谷がぱちぱちと拍手じゃなくて、指をぱちんと鳴らす。

軽い音なのに、耳に残る。不思議と印象的だ。


「馬鹿にするな……って言いたいところだけどな。

ま、学びってのは段階あるし、最初は初級から、が普通だよな」


「ふふっ、さすが元先生。

でも今回はね、おちょくるために言っただけ」


苦笑しながら肩をすくめるしかない。


「じゃあ、改めて言わせてもらおうか」


「うん、どうぞ」


「馬鹿にするなよ」


「うんうん。君は今、生まれたての赤ちゃんだから。

馬鹿なの、当然だよね?」


蝶谷が、にこりと芸術作品みたいに美しい笑みを浮かべる。

その笑顔、光の加減で見たらたぶん、額縁に入れてもいける。

でも――中身は、わりと容赦なかった。


「じゃあ、桜の札を“桜に幕”の札と合わせてみようか」


蝶谷が指さしたのは、中央に置かれた、派手な一枚。

赤に、紫に、黒――まるで歌舞伎の舞台みたいなデザインだ。


「……たしかに、“幕”って感じだな」


俺はさっき覚えたばかりの“桜”の札を手に取る。

ちょっとだけ緊張して、深呼吸して、それから――そっと重ねた。


ぱんっ。


控えめな音だったけど、手のひらにちゃんと“合った”感覚が伝わってくる。


「うん、ばっちり取れた。

じゃあその札、自分の右側に置いてね」


「……右って、こっちか?」

一瞬迷ってから、手元の右側を指さす。


「正解。そこが“君の陣地”。

札の並べ方って、人によってクセ出るんだよ。そこを見るの、けっこう好き」


「花札で性格診断かよ……」


「うん、そういうの楽しいじゃん?

たとえば君には、“わざと雑に置いて”ほしいな」


「いやいや、なんで?」

蝶谷は、にこっと笑った。

やわらかく、どこか芸術作品みたいに整った笑顔。


「――勝つため、かな」


その言い方は、ほんとに軽い。

でも、言葉の奥に混じる"本気”が、妙に冷たかった。


その目は、まるで珍しい虫でも観察してるみたいにじっとしてて――

けれど、その奥にあるのは、ちゃんとした"戦意"だった。


俺は思わず、ため息をつく。

取った札を、わざと雑に、ぐちゃっと置いた。

まるで花畑を足で踏んだみたいで、胸がざらっとする。


「……なあ、俺って今、教えてもらってるの、ほんとに"花札"だよな?」


「もちろん」

蝶谷はさらっと返す。


「――ただし、“勝たなきゃ命がない”タイプの花札ね。

楽しさ? 正しさ? そういうのは、勝ったあとに思い出せばいいんじゃない?」


言ってることはめちゃくちゃなのに、妙に筋が通ってて、反論できなかった。


もう一度、深く息を吐いて、散らばった札たちを見つめる。


“なんか気分悪いな”って思ったけど、

ここで俺は、誰でもない存在で――

だったら、今この場で“誰かになる”しか生きる道がない。



俺は溜息を吐いて、受け入れる。

――そのとき。


「さあ、これで君も、やっと“人権あり”だね」


蝶谷が、冗談みたいに笑った。

けど、目は全然冗談じゃない。

それに卑怯を受け入れろ、なんて冗談じゃない。


でも、俺は何者でもない。今は彼に教わるしかない。

彼だって俺を勝たせようという意思は本物だと伝わってくる。


だから俺は、黙って頷く。それしかない。



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