54.エンターテイナーの打ち手
◇
メシアの番。
場にあるのは、
桐のかす、桐のかす、桜のかす、牡丹に青短。
指先が、静かに動いた。
「……ちょっとした余興をしましょうか」
声は淡々としていた。
けれど、その奥に――うっすらと“熱”が混じっていた。
無理やり抑え込んだような、ぎりぎりの熱。
出されたのは、菊に盃。
(……は?)
喉が詰まった。意味が分からない。
「……正気かよ」
思わず、言葉が漏れる。
「正気ですよ。私はこういう打ち方、よく致しますので」
メシアは平然と、目も逸らさずにそう言った。
「俺が菊、持ってたらどうすんだよ」
「……今の貴方、あまり菊に愛されてなさそうですし」
にこ、とも笑わず。
ただ、空気を撫でるみたいに、さらりと。
刺さる。
言葉の刃を、あくまで優雅に、笑いもせずに突き立ててくる。
「証明してみせましょう」
「“今の私”こそが、祝杯の盃にふさわしいということを」
「……そうかよ」
そう返したけど、喉に引っかかるものが残った。
その声――いや、あの言い方。
祈ってるんじゃない。信じてるんでもない。
あれは、“運命の方に、こっちを正解だって言わせよう”としてる声だった。
(……何だよ、それ)
怖い、と思った。
でも同時に、なぜか――寒気とは違う、ざらっとした感情が胸の奥に残った。
「いいけどな。これで俺が菊取ったら、どうすんだ」
「面白いじゃないですか」
「観客を喜ばせてこその、教祖ですので」
「……教祖の定義、歪みすぎてないか」
軽口を叩きながらも、心はざわついていた。
その瞬間――
メシアが札に手を添えた。
滑らかすぎるほど優雅な手つき。
仰々しくもなく、演出じみてもいない。
ただ、“美しく振る舞うこと”が当然であるかのように。
一枚、めくる。
――牡丹のかす。
そのときだった。
一瞬、ほんの一瞬。
メシアの指先が――震えた。
わずかに、だ。
誰も気づかない程度。本人ですら、気づいていないかもしれない。
でも、見えた。
俺には、見えたんだ。
(……手、震えてたよな)
その事実に、ぐらりと視界が揺れた。
怒りでもなく、恐怖でもなく――心配だった。
(なんで……)
俺が動揺してどうする。けど、けど――
そのとき。
「うおおおおおおお!!!」
「さっすがメシア様!!!」
「祝杯だぁぁああ!!」
「“神”だろ、マジで……!!」
「見たか名取! これが“本物”だ!!」
信者たちの歓声が、会場を揺らす。
まるで地鳴りのような騒ぎ。
祭りのような、いや、狂気の祈りのような熱。
耳が痛くなるほどの歓喜の声が、四方から押し寄せる。
(……うるせぇ)
心の中で、ぎゅっと叫んだ。
けど、言葉にはならなかった。
一方で、メシアは――
まるで“それが当然”のように、無表情のまま、淡々と札を重ねた。
牡丹のかすと、手元の青短。
すっと、何のためらいもなく、重ねる。
静かな手つき。
それなのに、どこか“遊んでる”ようにすら見えた。
自分の命を捨てているような、この自暴自棄感はなんなんだ。
メシアの合わせ札
芒に雁
藤の短冊、牡丹の青短冊
藤のかす、芒のかす
◇
俺の番
場にあるのは、
桐のかす、桐のかす、桜のかす、菊に盃。
手札は、
紅葉に鹿、松に鶴、梅のかす、梅に鶯、芒に月、柳に燕。
――菊に盃が、場に置かれている。
(……なんだよ、これ)
喉の奥に、妙な引っかかりが残る。
どう考えても、おかしい。
あの札は、“勝ち筋”の中でも重要な一枚。
普通なら、合わせ札――菊のかすか青短を手札に持ってるからこそ、出すはずだ。
なのに、あのときのメシアには、それが“確定打”に見えなかった。
むしろ……あれは、賭けだった。
(じゃあ、なんで出した……?)
裏がある。確実に。
わざと負け筋を見せてきた可能性もあるし、ただの“演出”だった可能性すらある。
まるで、信者の前で“物語”を作るためだけに、勝敗すら利用してるみたいな――
(……いや、今はそこじゃない)
ぐるぐると頭を回る思考を、強引に切り離す。
分析よりも、まずは行動だ。
札を見直す。
場札は――桐のかす、桐のかす、桜のかす、そして、菊に盃。
手札に目を落とす。
紅葉に鹿、松に鶴、梅に鶯、梅のかす、芒に月、柳に燕。
どれも、できれば温存しておきたい札ばかりだ。
特に、芒に月と紅葉に鹿――光札を2枚、もう手にしてる。
ここで無理な一手を打ちたくはない。
けど――
(動かなきゃ、流れが腐る)
迷いを飲み込んで、梅のかすを出す。
札が場に置かれる音が、やけに響いた。
流れを作るための、最小限の動き。
この一手が、次に繋がるかどうかは……山札次第だ。
祈るような気持ちで、そっと一枚をめくる。
(来い……桐に鳳凰、もしくは……菊)
出てきたのは――芒のかす。
――その瞬間、胸の奥が、すっと軽くなった。
(……よし)
手札にある芒に月が、確定する。
もう一つの光札。これで、二枚目。
しかも俺は、すでに桜に幕も取ってる。
(……勝ち筋、あるぞ)
少しずつ、確実に札が応えてくれている。
なのに――
視線の端で、あの“菊に盃”がチラつく。
(……やっぱり、わかんねぇ)
光札が、2枚。
確実に、手の中にある。
俺の合わせ札
桜に幕
萩に猪
菖蒲に短冊、萩に短冊
桜のかす、菖蒲のかす
◇




