52.聖者による"悪者"の仕立て方
◇
3月――最終戦。
(……いける。……けど、まだ分からない)
手札は悪くない。けど、たった1点のリード。
油断なんてできるわけがない。
しかも、今ここで負けたら――
まだ知ってもいない仇を失う。
それだけじゃない。
“全部”が、なくなる気がしてた。
そんなときだった。
向かいのメシアが、ふっと目を細めた。
「紫藤くんのことも分かっていますが――
うちの鬼雷くんのことも、心配してるんですね?」
……は?
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
けど、その声には明らかに“余裕”が滲んでいて――
何より、その目が、最悪だった。
上から、地上の生き物を見下ろしてるみたいな。
祝福も、罰も、ただ“機械的に”ばらまくだけの、冷たい光。
「……心配してるに決まってるだろ」
俺は静かに言い返す。
「わざわざ俺が怒るような話題を、
試すみたいに振ってくるな」
言ってから気付いた。
――やられた。
思考を乱すためだ。
考えを引っ掻き回して、花札に集中できなくさせる。
あいつは、わざと“鬼雷”の名前を出してきたんだ。
この場で、俺の感情を、崩すために。
「私としては、ただ――部下の不始末を片付けただけですよ」
メシアは涼しい顔で言う。
「柳シマとして、必要な処置を取っただけです。
そうでしょう?」
――ぞくり。
背筋が、冷たくなった。
鳥肌がぶわっと、腕を駆け上がる。
「……変なシマだな」
「いいえ。不自然なのは、貴方のほうです」
メシアは、わずかに笑った。
けど、それは“喜び”じゃない。
“こうすることになっている”って顔だった。
冷たくて、予定調和みたいな――笑い。
「死んでいた貴方を、生きていると定義している。
今の状況そのものが、不自然だと思いませんか?」
冗談じゃねぇ。
こいつ、どこまで言う気だ。
「……だからこそ、私が“任された”んです。小野先輩から」
その瞬間、言葉の温度が変わった。
妙に感情が混じってる。
抑え込んだ熱――その“怒り”を、俺は聞き逃さなかった。
「全てを、“あるべき姿”に戻しましょうか」
そう言い放ったとたんだった。
――ズンッ、と。
信者たちの視線が、一斉に、俺に突き刺さった。
無言のまま、ただ睨んでくる。
「この人を侮辱したら殺すよ?」って顔。
しかも数が多い。何十人、もしかしたらそれ以上。
(……なんだよ、これ)
信者たちの中にざわめきが走る。
「仇討ち、終わらせて」「今度こそ名取を潰せ」
「壊して」「消して」「戻して」「“救世主”の名誉を」
言葉には出してない。
けど、顔に書いてある。空気が、そう言ってる。
――俺が“悪者”ってことにされてる。
きっと蝶谷とのやりとりが効いてるんだ。
空気が、少しだけ俺のほうに傾きかけてた。
それが、気に入らなかったんだろう。
だから、話題を振った。
鬼雷の話も、紫藤の話も、全部――
こいつの“演出”だ。
俺を“壊す”ための、言葉だったんだ。
(……絶対に、負けられない)
口の中がカラカラになった。
でも、目は逸らさなかった。
負けたら、全部持ってかれる。
仇も、想いも、俺の“言葉”すらも――
こいつの、“物語”に。
◇
俺の番。
場に出てる札は――
桐のかす、桐のかす、【萩】の短冊、【桜】のかす、【桜】に幕、菖蒲のかす、牡丹に青短、藤のかす。
手札は、
紅葉に鹿、【桜】のかす、【萩】に猪、松に鶴、梅のかす、梅に鶯、芒に月、柳に燕。
どこから攻めるか。
一手で、試合の流れを掴める――そんな札が、いま、ここにある。
「……桜のかすで、桜に幕を取る」
パチン。
静かに札が重なり合う音が、やけに大きく響いた。
桜に幕。光札、一枚目。
先攻の主導権を、確かに握った感覚がある。
(ここは、絶対に取るべき一手だった)
この手札なら、それが“勝ち筋”の起点になる。
――そう確信していた。
山札へと指を伸ばす。
呼吸を整える。目を伏せる。
(……来い)
指先に感じる、薄紙のような手触り。
めくった一枚は――
芒のかす。
(……悪くない。いや、かなり良い)
静かに、息を吐く。
手札の中にある“芒に月”が目に映る。
一歩、踏み込める。
あと一手で、光札がもう一枚手に入る。
(この流れ――乗れてる)
花札は、連なりのゲームだ。
意味のない札なんて、ない。
少しずつ、少しずつ、札が語りかけてくる。
今、その声が、俺にだけ届いている気がした。
ふと、視線を感じた。
向かいのメシアが、黙ってこちらを見ていた。
言葉はない。表情もない。
ただ、じっと――観察しているような、計っているような目。
(……見られてる)
冷たい視線。
けれど、そこに感情はない。
人じゃない何かが、俺の中を透かして覗き込んでくるような目。
(気にするな。――集中しろ、名取)
視線を切って、札に意識を戻す。
手札に指を添え、もう一度だけ深く息を吸う。
まだ始まったばかりだ。
でも――もう、俺は止まるつもりなんてない。
勝つ。
この札たちと一緒に、絶対に。
俺の合わせ札
桜に幕、桜のかす
◇




