50.違和感の答え合わせ
◇
俺の番。
場札は、
柳に燕、梅のかす、【藤】の短冊
手札は
桐のかす、桜のかす、萩のかす、松のかす、【藤】に不如帰。
……引かないと。
そう思っただけで、体は勝手に動いていた。
思考はまだぼんやりしているのに、手だけが迷いなく山札へ伸びる。
もう、理屈よりも反射でしか動けていない。
(メシアは、ずっと落ち着いてる。
こっちはもう、余裕なんてどこにも残ってないのに)
一枚、引く。
そして、ようやく――手札を見る。
《桐のかす》。
《藤に不如帰》。
それから、場に視線を移して――
……《藤のかす》。
……ん?
え、これって。
合わせ札を見る。
《梅に鶯》、《牡丹に蝶》、《萩に猪》、《芒に雁》。
(……ってことは)
たねが、4枚。
藤を合わせれば――5枚目。
その瞬間、頭のどこかで、「カチリ」と音がした。
全身の感覚が、ぴたりと静止する。
視界が澄んでいくような、
あるいは、うるさいノイズがようやく止んだような。
(――あがれる)
心臓が、どくん、と強く跳ねる。
こんな静かなかたちで、ぽとんと答えが落ちてくるなんて。
(……嘘、だろ)
なのに、すべてが妙に納得できる。
やっと、腑に落ちた。
やっと、意味が揃った。
ずっと曖昧だった違和感の正体が、ようやく形を持った。
少しだけ、深く息が吸えた気がした。
高鳴りではなく――
むしろ、落ち着きに似た静けさ。
けれど、それが不安定にざわついている。
「……なぁ、メシア」
「どうしました?」
「上がれるんだが」
「はぁ、それは良かったですね」
口調は丁寧。
けど、そこに宿っていた“意味”は、まるで空っぽだった。
ほんの少し前まで、あれだけ“熱”を滲ませていたくせに。
今のメシアは、勝敗すらどうでもいいと言わんばかりの表情をしている。
……けど、いい。
勝ちは――勝ちだ。
一気に体が軽くなったような気がして、思わず笑いそうになる。
でも、それはこらえて。
代わりに、手札を静かに並べていく。
確信を添えて。
勝ったときは、山田がこんな風に札を並べてた。
それを思い出して、真似してみたくなっただけだ。
「まず、梅に鶯」
「まとめて宣言いただいて構いませんよ」
「悪いな。どうしても、嬉しくなってさ」
軽く返して、次の札を置く。
調子に乗ってると自分でも思う。
でも、止まらなかった。
「で、芒に雁だ」
紅葉は揃わなかったけど――
牡丹に蝶、萩に猪。
並べてるだけなのに、胸の奥がじんわり熱くなる。
「牡丹に蝶と、萩に猪」
声に、少しだけ嬉しさが滲んでいたと思う。
そして、最後に――
「……で、今回の主役の藤に不如帰! これで、たね――1文だ!」
言い終えた瞬間、空気が止まった。
その静けさは、まるで札の音さえ吸い込むような――妙な間。
(……ん?)
ざわ……と、ほんの小さな波紋が広がる。
「こいこい中じゃなかった?」「……今のって2文じゃ……?」
そんな声が聞こえてきて、背中が少しだけ冷たくなる。
俺、なんか……ミスったか?
「はーいっ! お待たせしましたっ」
そのとき、ぱんっと手を叩く音。
空気が明るく跳ねた。
「ただいまより~、名取選手への――祝勝インタビューを行いまーす!」
軽い調子。
けど、それだけじゃない。
まるで“舞台の照明”を入れ直したみたいに、ふわっと場が明るくなる。
賀松 明翔だ。
「まずは、今日の勝利っ! おめでとうございますっ!
いやいやいやぁ、どうでした? 藤、不如帰、決まったねぇ~」
いきなりマイクを顔に近づけられて、思わずたじろぐ。
「あ、いや……うん、たまたま揃って、ラッキーだったなっていうか……」
「うんうん、そういう偶然、あるよねぇ。これが花札の魔法~!」
目が笑ってて、声も柔らかい。
明るいけど、どこか“優しい誤魔化し”みたいなものが混じっていた。
あえて、皆が触れたくないところから視線を逸らさせるような。
「今の点数状況は……2対1! 名取くん、ただいまリードです!
このまま、勝ちきっちゃったりするんでしょうか~?」
何人かが笑い、何人かが戸惑った。
そして、何人かは……明らかに、目の色を変えていた。
(ああ……これ、“俺が勝ったこと”がまずかったんだ)
冗談交じりにそう言うと、何人かが笑った。
笑ったけど……その後ろでは、ざわつきが消えきらない。
「……メシア様……負けたの……?」
「いや、まだだよ、次で……」
「でも……名取って人、知らないよ……誰……?」
不安の声だった。
“知らない誰か”に、自分たちの“神”が負けた。
それがたった1戦であっても、現実は変わらない。
「……メシア様が……いなくなったら、私たち、誰を信じれば……」
ぽつりと、ひときわ弱い声が聞こえた。
その言葉に、俺の心が微かに揺れる。
そんな空気の中で、俺は――ふと見た。
向かいに座る“神”の表情を。
メシアは、一瞬だけ目を伏せた。
ほんの僅か、でも、確かに――苦しそうな顔をした。
それは俺からしか見えない角度だった。
きっと、信者には見せないようにしてる。
……けど、次の瞬間。
彼は顔を上げた。
「――勝ちますから。安心して下さい」
その声は、艶めいていた。
まるで舞台役者のような、なまめかしい笑顔。
毒を含んだ、甘い表情。
信者たちのために見せた、“救済の仮面”。
まるで最初から、“救世主”を演じているようだった。
何人かの信者が、わずかに身を引いた。
その笑顔の異様さに、気づいているのかもしれない。
けど、それでも――
「メシア様……!」
「さすが……やっぱり、私たちの神……!」
その場にいたほとんどの信者は、逆に歓声を上げていた。
どこか怯えたように、でも縋るように。
あの言葉を、盲信するように。
メシアは、笑っていた。
信仰を縫い上げる“教祖”の顔で。
誰よりも完璧に、美しく、わざとらしく――笑っていた。
(……違和感しかねぇよ)
これは、偶然じゃない。
わざとだ。演じてる。
ここまで“完璧に教祖”してみせる意味って、なんなんだ。
何を企んでるんだよ、燕 メシア――
俺は思った。
本当は一番、彼が“神”じゃないってことを
誰よりも自分自身が分かってるんじゃないかって。
「で、メシアくん」
インタビューが一段落したタイミングで賀松がふっとマイクを切る。
顔は大衆の方を見たまま、声だけメシアに向けている。
声色は変わらない。
相変わらず、にこにこと太陽みたいに。
「君さ、まだ勝てるんだから。ね?」
笑顔のまま、言葉が刺さる。
「夢を捨てる大人は、学校にいちゃいけない
分かってるよね?」
それは応援でも励ましでもなかった。
満面の笑みに包まれた“命令”だ。
メシアの肩を叩いて、さらっと賀松はさらっと舞台を降りていく。
◇




