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49.それは、慢心か確信か




場札は

紅葉に鹿、菖蒲に八橋、松のかす、芒に月、柳に燕

メシアの番が、回ってくる。


しばらく札を見つめたまま、俺のことも見たまま――

静かに、ぽつりと口を開いた。

「今の私、勝てそうな気がするので……もう一手番、差し上げましょうか?」


……は?


何を言われたのか、一瞬わからなかった。

でも、その言葉の意味は、すぐに全身に染み込んできた。


――やられた。


メシアは、芒に月の対の札を持っていた。

だからあの時、何の反応もなかったんだ。

まるで無関心を装って、俺に“違う”と思わせて――

鳳凰で目を逸らして、最後にすべてを揃えるために。


俺が警戒した心理すら、利用されてた。


綱渡りのはずの戦法を、まるで初めから一本道だったみたいに、

あいつは――勝利へと運んできた。


ぞわっと背筋が粟立つ。


(……完璧だ。やばい。こいつ、全部わかってた)


「それ言ってると負けるぞ?」


かすれた声で、反射的に返した。

でももう、自分の声が空虚に響いてる。


「……ええ。

でも――せっかくの舞台ですから」


メシアは、淡々と言った。

その声はやさしくて、冷たかった。


「貴方を信じている“お友達”の目の前で――

貴方を、徹底的に“弱者”だと刻みつけなくては」


ぞわっとしたのは、言葉より“言い方”だった。

わざと感情を込めないその口調が、逆に刺さる。


「そうかよ……勝手にしろ」


「では、勝手にしますね」


そして――メシアは札を出した。


芒のかすを、芒に月へと重ねる。

それだけで、何かが決定的に崩れた気がした。


そして、まるで儀式の言葉みたいに、静かに言う。


「芒に月。桜に幕。桐に鳳凰。――三光、です」


その瞬間だった。


場が、割れた。


叫び声。歓声。拍手。どよめき。

信者たちの声が一斉に爆発する。

でもそれは音じゃなかった。衝撃だった。


耳の奥がビリつく。

目の前の景色が、ざらついて見える。

熱じゃないのに、焼かれるみたいに痛い。

“祝福”のはずの声が、ただただ俺を押し潰していく。


ああ――これだ。


前にも一度、味わった。

一戦目で負けたとき。

“絶望を浴びる”って、こういうことだった。


俺の負けが、祝われてる。


誰かの勝利じゃない。俺の敗北が、あいつらにとっての歓喜なんだ。


メシアの顔が、遠くに見える。

相変わらず、何も表情を浮かべていないのに――

その無表情が、何よりも勝者だった。


そして――


「……こいこい」


その一言が、空気を変えた。

低くて、静かで――なのに、重い。

押しつけられるみたいに、耳にのしかかってくる。


声なのに、圧。

感情がないはずなのに、殺意だけが真っ直ぐ届く。


本音をむき出しにした、ギラついた“何か”が、胸に突き刺さる。


やられたあとに、さらに踏みつけられるみたいな感覚。

もう終わったはずなのに、まだ続くのかと、喉の奥が苦しくなる。


――なんで、“続ける”んだよ。


終わったはずだろ?

今ので、こっちはもう十分に叩き潰されたんだよ。


遠くから、紫藤の声が聞こえる。

雨柳の声も。

必死に、何かを伝えようとしてる。


でも。


それら全部――歓声に、かき消されていく。


メシアを信じる“信者たち”の声が、空から降ってくるみたいに響いて、

どこまでも響いて、世界中に満ちていく。


胸に刺さってたナイフが、

その声で、グリグリとねじ込まれていくようだった。


応援の声じゃ、届かない。

漫画じゃないから、持ち直したりしない。


引くしかない。

引くしかない。

わかってる。わかってるのに。


でも、指先が、札に触れるたびに――

この場が、針のむしろみたいに痛くなる。


終わらない悪夢の中で、

まだ「続けろ」と言われている。


――これが、“こいこい”の意味かよ。

「では――めくりますね」


たった一言で、空気が張りつめた。


メシアの手が、ゆっくりと山札に伸びる。

その動きは、あまりにも丁寧で――わざとらしいほどに慎重だった。

演技か? いや、違う。

愉しんでる。

この瞬間そのものを、“儀式”みたいに味わってる。


わざと間を空けて――

札に、指先をかける。


そして、めくる。


「……ふふ。ああ……これは、いいですね」


柔らかな笑み。

けれど、ぞっとするほど冷たい。


その目が、何かを見据える。


視線の先には――紅葉の“かす”。


一瞬、頭が真っ白になった。


(……ウソだろ)


そんなピンポイントで、そこ引く?

このタイミングで?


空気が、変わる。

世界そのものが、メシアに味方したみたいだった。


「――貴方の鹿、攫わせていただきます」


静かで、綺麗で、完璧な言葉。

それが、喉の奥に刺さる。


皮膚じゃない。

心の柔らかい場所に、冷たい指が突き刺さる感じ。


メシアの手が、場にある“紅葉に鹿”へ伸びる。

まるで祈るように、ゆっくりと持ち上げる。


――それは、俺が欲しかった札だ。

たった一枚。

それさえあれば、逆転できた。


(……やっぱり、そうなんだ)


運命そのものが、あいつの味方なんだ。


もう、全部が決まってた。

俺なんかが入り込める隙なんて、どこにもなかったんだ。


胸の奥が、ざわっと冷たくなる。


(なんなんだよ、これ……)


誰にも見られたくなかった。

こんな情けない自分、晒されるなんて思ってなかった。

紫藤も、雨柳も、見てる。

メシアの信者たちの歓声が、また広がっていく。

ハレーションみたいに、頭の中で爆ぜて、響いて、消えない。


これはもう勝負じゃない。

見世物だ。


精神的リンチ。


こんな“遊び”、あってたまるかよ。

さっきの――三光。


普通なら、あそこで“上がって”た。

あれで勝つ。誰だって、そうする。

俺だって、そうしてた。


……でも、メシアは“しなかった”。


勝ちたかったんじゃない。

壊したかったんだ。


相手の感情が、形になる前に潰す。

希望も、誇りも、跡が残らないように奪っていく。


――こんなやり方、正気じゃねぇ。


ただの三戦。

願いを賭けた、たった三回の勝負で――

こんなにも“自分が死ぬ”可能性の手を、迷いなく選べるなんて。


(……負けたら終わりなのに。折れたら、本当に負けなのに)


でも、頭がついてこない。

思考が、ぐにゃりと溶けていく感覚がある。


わかってるのに。抗おうとしてるのに。


どんどん、自分が壊されていく。



メシアの合わせ札:

桜に幕、芒に月、桐に鳳凰

紅葉に鹿

菖蒲の短冊、菊の青短冊

桜のかす、菖蒲のかす、菊のかす、紅葉のかす、桐のかす



俺の手番。


場札は、

柳に燕、菖蒲に八橋、梅のかす。


俺の手札は、

桐のかす、桜のかす、萩のかす、藤に不如帰。


一応、札を見直す。


(……落ち着け。冷静になれ、俺)


《藤に不如帰》――これは今、捨てられない。

場に藤が出れば上がれる状態。

それを手放す理由なんて、どこにもない。

……思い出す。


さっき、《桐に鳳凰》が出たとき――メシアは、確かに言った。

「王手」と。


冗談のはずがない。

あいつの性格上、そういう“軽さ”はありえない。


――こいこいも、ただの演出じゃない。


あれは本当に狙える手があってのことだ。


たとえば、《柳に小野道風》での雨四光。

あるいは、《菊に盃》で――飲み。


どちらにせよ、もし成立されたら終わる。

逆転なんて夢のまた夢。

今ですらギリギリなのに、挑んだことそのものが「笑いもの」にされかねない。


恥の上塗り。

“あいつに勝とうとした”こと自体が、冗談だったみたいになる。


《松》の線は薄い。

あれだけ札が出て、なお決まっていないなら、もうないと見ていい。


――とはいえ。


今の俺の手札じゃ、どの札とも噛み合わない。

つまり、出すしかない。


選べるのは、《桐のかす》か、《萩のかす》。

相手が《桐》を持っている可能性は、ほんの少し高い。

なら――《萩》。


《萩のかす》を、場に出す。


静かに、山札に手を伸ばす。

たった一枚で、すべてが変わる。

……そう思っている自分に、どこかで嫌気が差していた。



(ここまで来たら――もう、勢いで)



札を、めくる。


出たのは――《藤の短冊》。


「……っ」


息が詰まる。


顔には出していないつもりだった。

でも、指先が――わずかに震えていた。



(……ダメ札だ)


最悪じゃない。けど、今じゃない。


欲しかったのは、《柳》か《菖蒲》。


どちらかが来れば、まだ望みは繋がっていた。

そう思っていた。ずっと、そう信じていた。


向かいの“教祖様”は、すでに勝利を見据えている顔をしている。


淡々とした無表情。

そこにあるのは余裕でも傲慢でもなく、ただの“確信”。


その顔を見ていると、自分の焦りだけがどんどん浮き彫りになって――

どうしようもなく、惨めになる。


でも――


(……ん?)


体が、妙に静かだった。

どこかが、もう理解していた。


思考が届く前に、心の奥がざわついている。


(……勝てる)


次、上がれる。


その感覚だけが、なぜか確かに、そこにある。


自分でも理由がわからない。

わからないのに、否定できない。


俺の合わせ札:

牡丹に蝶、萩に猪、芒に雁

牡丹の青短冊、萩の短冊

松のかす、松のかす



メシアの手番だ。


場札は、

柳に燕、菖蒲に八橋、梅のかす。


無言で、メシアは《桐のかす》を場に出す。

迷いのない手つきだった。


そして、山札に手を伸ばす。


めくれた札――《菖蒲のかす》。


その札を見た瞬間、喉の奥がひゅっとすぼまった。


メシアは、躊躇なくそれを取る。


《菖蒲に八橋》。

たね札だ。俺が欲しかった札。


じわじわと、確実に、差をつけてくる。



……静かに、絶望が滲んだ。


指先が少しだけ冷える。


言葉は出さない。

顔も動かさない。ただ、試合に戻る。




呼吸を整えようと、無理やりに息を吸う。


そのときだった。


――たね、が5枚揃えば。

勝てる。



その一節だけが、ふいに、頭に浮かぶ。


メシアの合わせ札:

桜に幕、芒に月、桐に鳳凰

紅葉に鹿、菖蒲に八橋

菖蒲の短冊、菊の青短冊

桜のかす、菖蒲のかす、菖蒲のかす、菊のかす、紅葉のかす、桐のかす



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