47.酒と悦に酔えば、負ける。
二月戦。
札を見つめる視線に、わずかに熱がこもる。
気持ちを切り替えないとな。
場に並んでいる札は――
【萩】に猪、紅葉に鹿、菊のかす、菖蒲のかす、
【桜】に幕、【松】のかす、【牡丹】に蝶、【芒】のかす。
俺の手札は――
桐のかす、梅に鶯、【牡丹】のかす、【桜】のかす、
【萩】のかす、【芒】に雁、【松】のかす、藤に不如帰。
「……派手だな」
思わず、声が漏れた。
猪、鹿、蝶――キレイに並んでる。
見た目は華やか。でも、あれはどっちも狙える札。
取り合いになって、崩れる可能性が高い。
それより、やばいのは――「桜に幕」。
目立つ札だ。今の中じゃ、一番の危険札。
本当は押さえておくべきだろう。
でも。
(……それで、本当に勝てるのか?)
俺の手札は、猪鹿蝶も三光も狙える形だ。
チャンスがあるのに、守ることばっか考えてる。
それじゃ、勝てない。
逃げてどうする。
――勝たなきゃ意味がないんだ。
「名取くんって、猪鹿蝶と相性がいいんですね」
ふいに、隣から声が落ちてきた。
やわらかく、丁寧なトーン。けれど、どこか試すような響きがある。
「……そうか?」
「ええ。さっきも似た札、引いてらっしゃいましたよね」
にこ、と笑うメシア。
その表情には棘ひとつない。
なのに、胸の奥が少しだけざわつく。
(……ん?今の、ちょっと変だな)
場の札は、互いに見えてる。
なのに“名取くんが有利”って――
それってつまり、あいつの手札に猪も鹿も蝶も、ないってことじゃないのか?
……深読みかもしれない。
でも、あの口ぶり。あの視線。
どうも信用ならない。
けど、ありがとな。
今ので、ほぼ確信した。
萩、紅葉、牡丹――あいつは、持ってない。
持ってたらもっと回りくどく“誘って”くるはずだ。
でもメシアは、嘘をつくタイプじゃない。
「言わない」で誘導するタイプ。
……つまり、今回に関しては“言った”ことが答えなんだ。
(言葉が多い分だけ、読める相手だな)
そう思った瞬間、少しだけ息がしやすくなった。
◇
メシアの番
場札は
萩に猪、紅葉に鹿、菊のかす、菖蒲のかす、桜に幕、松のかす、牡丹に蝶、芒のかす。
メシアは、ためらいなく札を出した。
桜のかす。
――そして、そのまま「桜に幕」を、取る。
……まあ、そう来るよな。
桜を握ってたなら、誰だって真っ先に狙う。
あの札は、派手すぎる。強すぎる。
見えてるうちに止めなきゃ、手遅れになる。
だから、あれを押さえるのは正解――教科書通りの一手。
続いて、めくり札。
出たのは――菖蒲の短冊。
メシアは迷いなく、それを場の菖蒲のかすに重ねた。
一手の隙もない。
すぐに手札を整えて、静かに札を並べ直す。
その手つきに、派手さはない。
けど――着実に、勝ち筋だけを積んでいく。
メシアの合わせ札:
桜に幕
菖蒲の短冊
桜のかす、菖蒲のかす。
◇
俺の手番。
場札は
【萩】に猪、紅葉に鹿、菊のかす、【松】のかす、【牡丹】に蝶、【芒】のかす。
俺の手札は
桐のかす、梅に鶯、【牡丹】のかす、桜のかす、
【萩】のかす、【芒】に雁、【松】のかす、藤に不如帰。
俺ができるのは――早めに猪鹿蝶を揃えること。
他の札もブロックには使えるけど、迷ってる時間はない。
今は、攻める。
メシアは、たぶん牡丹と萩は持ってない。
それは読めてる。
でも、勝ちの手前で落とされるのはもう嫌なんだ。
萩は、猪鹿蝶でしか光らない。
けど牡丹は、青短もある。狙われるとしたら、こっちの可能性が高い。
だから――先に動いた。
牡丹のかすを場に出して、蝶を取る。
……一手。
静かに札を置いて、息を吸う。
そして――めくる。
指先が、紙の端をめくった瞬間。
【萩の短冊】。
一瞬、心臓が跳ねた。
(――来た)
場に出ていた萩の札に、猪を重ね取る。
牡丹に蝶。萩に猪。
一手目で、猪鹿蝶があと一枚まで揃った。
紅葉に鹿。
あとそれだけだ。
でも、この“あと一歩”が、どれだけ遠いか――
俺は、嫌ってほど知ってる。
「王手は……言わないのですか?」
メシアが、ふわっと笑う。
その口調は優しいのに、目はまるで獲物を睨む猛禽みたいだった。
勝ちに近づいたら、揺さぶりに来る。
当たり前のことだ。
「せっかくですし、教えていただきたいです。
あなたがこの学苑に来た理由――“願い”、つまり“仇”を」
「悪いが、言えない」
言う気がないんじゃない。
そもそも、思い出せないんだよ。俺、自分の“願い”を。
でも、こうしてここにいて、札を握ってる。
意味も理由も分からないまま。
それでも、はっきりしてることが一つだけある。
――こいつにだけは、絶対に負けたくない。
理屈じゃねぇ。
あの笑い方も、取り巻きの拍手も、“正しさ”の顔も。
ぜんぶ、もううんざりだ。
だから――
勝ちたい。
今はそれだけで、十分だ。
俺の合わせ札:
萩に猪、萩の短冊。
牡丹に蝶、牡丹の青短冊。
◇
メシアの手番。
場札は
紅葉に鹿、菊のかす、松のかす、牡丹に蝶、芒のかす。
メシアは、菊の青短を出して場の菊を取った。
桜に幕があるなら、菊に盃も待つはずだ。
……それを今、出すか?
メシアは、焦っている。そんな気がした。
そして、めくる。
出たのは――菖蒲に八橋。
何も合わさらない。
正直、この場面じゃほぼ意味のない札だ。
それなのに。
メシアの眉が、ほんのわずかに――けれど確かに、動く。
「……なるほど。ネギですね」
「……ネギ?」
「菖蒲の札の俗称です」
相変わらず、芝居がかった柔らかい声。
「地味で、弱く見えて、それなりに体にいい。
……けど、誰もありがたがらない。そんな存在です」
にこ、と作り笑い。
でも、その裏に張り詰めた冷たさが滲んでいる。
「願いも、偶像も、似たようなものでしょう?
叶わなければ、ただの飾り。
価値があるのは、結果だけ」
――言葉が、喉の奥にひっかかる。
どこまでも、透き通った声で言いやがって。
でも、俺は飲み込んで――あえて、軽口で返した。
「へぇ。
俺、ネギけっこう好きだけどな。
鍋に入れたら主役だろ?」
メシアの目がすっと細くなった。
(……何だよ、この雑談)
今さらこんな“知識披露ごっこ”みたいなやり取り、あいつらしくない。
――いや、違うな。
焦ってる。絶対に。
言葉で空気を埋めようとしてる。それも、余裕ぶってるふりで。
それに気づいたとたん、
心の奥が、すこしだけ――すこしだけ、軽くなった。
……俺が落ち着いたんじゃない。
あいつの不安が――伝わってきたんだ。
他人の乱れで、自分が冷静になれて。
相手の揺らぎに、ほんの少し、優越感を感じて。
……最低だな、俺。
でも。
ここで追い詰めれば――勝てる。
(……違うだろ)
一瞬で、頭の中が冷めた。
首を横に振る。雑音を、ぶん、と振り払う。
酔うな。
こんなんに酔ってたら、勝っても意味がない。
メシアの合わせ札:
桜に幕
菖蒲の短冊、菊の青短冊
桜のかす、菖蒲のかす、菊のかす
◇
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