4.願いが散った仇花の末路
◇
蝶谷は、床にぺたんと寝袋を広げた。
「……さて、ちょっとだけ喋ろうか」
そう言って腰を下ろすと、じとーっと俺を見上げてくる。
目線に、遠慮とか、加減ってものが一切ない。
「君さ、何も覚えてないんでしょ。
“青秋学苑”のことも、“仇討ち”のことも」
俺は、うなずく。
「うん、だよね。そんな顔してると思ったし」
蝶谷は寝転がって、腕を枕にして天井を見上げた。
声は気だるいのに、どこか楽しそうだった。
「ここには、“主牌”って呼ばれる花札のトップがいてさ。1月から12月まで12人。
それぞれの月札を背負ってる。松に鶴、梅に鶯――そういうの」
天井に何か映ってるみたいに、指先で空をなぞる。
「で、みんな仇討ちで勝ちまくってる連中なんだよね。
強いってだけじゃなくて、もっとこう……“おもしろい子”たち」
「……主牌って、そんなにすごいのか?」
「うん。まあ、たしかに“すごい”とは言えるかな。
強くて、札が読めて、人を引っ張れて……あと演出が上手い。魅せ方ってやつ。
そういうのが自然に出来る子。だから勝つし、だから集まる。群れが」
「制度……ってことか?」
「いや、制度なんかじゃない。ただの、流れ。
誰かが勝って、みんなが従って、負けた子は……そのうち消える。
あっけないもんだよ。勝った子の印象だけが、最後に残るからさ」
声のトーンは変わらない。
まるで実験報告でもしてるみたいに、淡々と。
そのときだった。
――バンッ。
遠くの方で扉が勢いよく開いた音がした。
空気が一瞬、固まる。
蝶谷はすっと起き上がり、俺に向かって指先だけで手招きする。
まるで、「面白い標本があるよ」って顔で。
「……ちょっと、見せてあげるよ。徒花になった子」
その声には、同情も怒りもない。
ただ――少しの好奇心と、決定的な無関心。
だからこそ、怖かった。
◇
階段を下りた先、小さな部屋に、ひとりの生徒がいた。
制服はくしゃくしゃで、目だけが開いてるのに、何も見てなかった。
顔は上を向いたまま、ピクリとも動かない。
「……あの子、“仇”が“徒花”になったやつ。さっき、俺に勝負を挑んできたんだよね」
蝶谷が、軽く肩をすくめて言った。まるで「失敗した実験体を見せる」みたいに。
「直前まで、普通に笑ってたよ。あと1点で勝ちだった。
でも、欲張って“こいこい”って言っちゃった」
「……で、負けたのか」
「うん。で、願いも消えた。“仇”が、跡形もなく」
そう言いながら、蝶谷は虚ろな生徒をじっと見ていた。
その目に、同情は一切ない。ただ――何か面白い現象を記録してる学者みたいな目だった。
生徒の口元が、かすかに笑っていたようにも見えた。
でもその顔には、もう何もなかった。悔しさも、怒りも、希望も。
まるで「感情」だけが先に死んだみたいだった。
「“仇花”ってさ、本当は咲くはずだった願いが、未完成のまま消えること。
二度と戻ってこない。終わりは、意外と静か」
蝶谷はポケットから札を1枚、取り出した。
《牡丹に蝶》。
柔らかい光を帯びているような、美しい札だった。
「これ、俺の“仇”を見せるための札。……でも、まだ“仇花”じゃない。
俺が、まだ負けてないからね」
そう言って、くるりと裏返す。
指の動きは穏やかで、それが逆に怖い。
「でも負けたら、これもただの紙。意味のない花。誰にも見られず、忘れられる。
そういうの、すごく……面白いと思わない?」
ぞくっとした。
「花札で勝てば、現実がちょっとだけねじれる。願いが、手に入る。
でも、負けたら――全部、なくなる。“生きる理由”ごと」
蝶谷は笑った。声はやさしくて、温度もあるのに、やけに寒かった。
「だからみんな、死にものぐるいで戦う。願いがあるから。
守りたい何かがあるから。
……それって、いいモルモットになるよね」
しんとした空気の中、蝶谷がふっと呟く。
「青秋学苑での“こいこい”ってさ。命と同じくらい重いものを賭ける遊びなんだよ」
一拍置いて、蝶谷は笑みを深める。
「つまり――“花札できない子”ってのは、この学苑じゃ、“人間扱いされない”ってこと」
言葉が、じわじわと胸に刺さってくる。
視線を感じて、もう一度“仇花”になった子を見る。
人間の形をしたまま、心だけがごっそり抜け落ちたような、そんな姿だった。
その光景に、背中の内側から、冷たいものが這い上がってくる。
「……負けたくないなら、戦えるようにならないと。
俺は助けないからね?」
蝶谷の声は優しかった。
でも、その優しさは“壊れる過程を楽しむ者”の口調だった。
◇
「“花を合わせる”――
たった一手で、人生が変わるんだよ」
ここ、青秋学苑では――
花札を知らなければ、人として扱われない。
大げさじゃなくて、本当に。
勝ち負けは、順位や成績だけじゃない。
“願い”だって、“名前”だって、札一枚の裏表で決まる。
だから、みんな必死で覚える。
負けたら終わる。
覚えてないやつは、そもそもスタートラインにすら立てない。
……そんな中で、俺は今、ゼロからそれを教わることになる。
◇
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